園田さん
園田真理子とわたしは同級生で、小学校の時からの知り合いだった。素直な性格で、まるで太陽の化身の如く慕われる彼女に内心嫉妬していたのは間違いないだろう。
それは彼女が優れていたからではなく、彼女を恋い慕う人々の中にわたしの想い人が含まれていたからだ。
知り合いに、それも会話すらまともにしたことのない顔見知りにそんな風に思われているだなんて彼女は考えもしないだろう。
それもそのはず、なぜなら彼女は人を疑うということを知らないという部類に入る人種だからだ。
彼女が言ったことは、まるで神のお告げのようにクラス中に響き渡る。しかも、女子バスケのエースで中学生の時は地方の強豪校にスカウトされていた。けれども彼女はそれを断り、わたしが受けた私立の高校に入学した。
わたしは彼女のことが嫌いだったので、彼女が地方に行くものとばかり思い込んで勉強に専念して、この高校に入学した。恨めしいことに、彼女はガリ勉じゃないですよという涼しい顔で、県内有数の進学校であるここに入学した。しかも、わたしよりも上の成績で。
わたしが彼女を決定的に嫌うようになったのは中学の時だ。忘れもしない。わたしは幼馴染のK埼という男を恋い慕っていた。昔の話だが、語るだけでもおぞましい。中学生の初恋を怪盗のように華麗に奪い去る園田真理子の魔力に、K埼は当てられてしまった。これが一度目の轟沈。その後もA森やO村、わたしがいいなと思った異性は全て園田真理子に傅いた。それに、わたしの傷口に塩を塗りたくるように、彼女は誰とも付き合わなかった。
園田真理子を憎んでいる人間は、恐ろしいことにわたしだけだった。彼女は現代の魔女よろしくみんなに魔術でもかけているのか洗脳しているのか、誰にも嫌われたり嫌味を言われることがなかった。修学旅行の際、同室の女子全員に園田真理子の評判を聞いたが、みんな素直に「園田さんは可愛いよね」と言うのだ。
確かに見た目が可愛いし、能力として優れていることはわかる。しかし、全クラスメイトに好かれ、愛され、崇め奉られる園田真理子は異常だ。わたしもその洗脳のような愛され具合に浮かれてヘラヘラしていられれば幸せだったのに、わたしは全ての恋路を踏み荒らされ、枯れ木の枝を折っては泣いているというのに、彼女に片思いをねじ伏せられた少女は山にもなるほど多く尸を積み重なっているというのに、一向に彼女に嫉妬する人はいなかったのだ。
バレンタイン当日。またしてもわたしはやられてしまった。原因はもちろん火を見るよりも明らかであり、場内入場目前にて轟沈した。やけくそ気味のわたしの恋愛は、またしても掻っ攫われていった。しかも、キャッチアンドリリースで。
時計を確認すると、女子バスケ部の活動が行われているであろう時間帯を指していた。
最終下校時刻までは余裕がある。バレンタインで血気盛んな生徒たちが図書室なんて利用しない。図書委員として当番を放り出すわけにもいかないので、わたしは彼に渡す予定だったデパートのチョコレートを齧った。誰もいないし、図書室での飲食は禁止と定められている。しかしながら、これは失恋を慰める立派な行為であり、一刻も早く破れ捨て去られた片思いを忘れるための有効な手段でもある。次の明るい大恋愛のために必要なのだ。園田真理子の手のつけていない場所で見つけるしかない。もうわたしは彼女に呪われているとしか思えないのだ。さらば、剣道部主将の先輩よ。よく考えたら剣道部なんて汗臭いから付き合わなくても良かったのかもしれない。
わたしは非常に単純な性格をしているとよく思う。ココアパウダーがかかった口の中でほろほろと蕩けるビターチョコを舐めるように味わっていると、先の失恋などどうでも良いと思えてきた。又聞きした話ではあるが、チョコレートを食べるときに解消されるストレスは、想い人と接吻するよりも大きいという。つまり、剣道部主将やサッカー小僧、書道部の部長なんかとキッスするよりも、こちらの方が手軽なのかもしれない。わたしの単純な脳みそは今まさに、恋愛不要論者の方へと傾いている。機嫌が良くなって、わたしは中島敦の短編集を手に取った。国語の成績は一度も園田真理子に敗北したことがない。つまり、国語だけは学年主席をキープし続けているのだ。
なんども捲られた形跡のある文庫本をペラペラとめくる。チョコレートは残り一個になっている。李徴が虎に変身して野山を駆け巡る様を連想する。わたしだって虎に変身してみたい。変身して、わたしが今まで恋い焦がれた男どもをガブリと喰らい、園田真理子の足元にならべたてるのだ。これが今まで、卿が食い散らかした恋心であると。
「今宮さ~ん!」
わたしは心臓が縮んだような気がした。わたしは虎ではなく、弱り果てたネズミに変貌した。急いでチョコレートをカバンの内側に押し込み、中島敦を中断した。
「……園田さん、部活はいいの」
「んー、今日は早く終わって」
チョコ美味しいよね、と彼女は芳香剤の匂いを振りまいて近づいてくる。
見られていた。しかし、それは問題ではない。彼女はジャージ姿のままでズンズンと歩み寄り、カウンターに腰掛けた。行儀悪い、と嗜めることができる雰囲気ではない。
「わたしもいっぱい貰っちゃった」
カバンや体育館シューズ入れ、紙袋に至るまで全てにギッシリチョコレートや手紙が詰め込まれている。きっと靴箱やロッカー、教室の机なんかは悲惨なことになっているのだろう。わたしは友人と交換した少しのチョコレートと義理チョコを少し頂いただけだ。漫画かよ、と突っ込みたくなるような光景が広がっていた。
「今日司書さんいないの?」
「今日はいない」
へぇ、だからチョコ食べてたんだね、と彼女は笑った。
「そんなにいっぱい貰って食べきれるの?」
「え、食べないよ」
はぁ?と思わず聞き返す。食べないって、あんたはアイドルか何かか。せっかく貰ったのに食べないなんて勿体なくないのか。そもそも食べないのに貰って何が楽しいのか。
「こんなに一杯無理だって。いっつも兄貴とかママに食べてもらってる。何入ってるのかわかんないしさぁ」
お返しするのだって大変なんだよ、と彼女は眉をひそめる。
そして、
「あ、あとは剣道部の主将っていう人にも貰っちゃった。今川さんの好きな人だよね」
心臓の奥の紐が、プチンと音を立てて切れるように思った。
「は、はは……そう」
足は震えて膝は笑っていたし、声は図星ですというばかりに震えていただろう。
「今まで貰った相手、全部断っちゃった。だって、面白くないもの」
でもね、と彼女は続ける。
「わたしは今川さんにチョコをあげたいの。だってわたし、今川さんのこと好きだから。
チキって今まで言えなくてごめんね、でもね、今までずぅっとわたし我慢してたの。今川さん、いろんな人をすぐに好きになってたでしょ。だから全部奪っちゃって、今川さんのこと見えなくしてきちゃった。サッカーやってた子に書道家の人、あとは剣道部の人もそうだし、結構今川さんってモテるんだよ。だって可愛いもん。問題がわからないときに唇に鉛筆を当てる癖とか、ボールを顔面で受けちゃうのも好き。あとはいつもパンツの上に体操ズボンを履いてるのも可愛い。ダイエットしようとしたけどすぐ諦めてお菓子を買っちゃうところとか、好きな人のこと目で追ってボゥっとしてるのも好き。通学してる時に定期券を落としたかもって泣いてた時も、失恋したあと、いっつもお菓子を食べながら泣いてるよね。本が好きで国語が得意なのも可愛いよね、文系なのに英語が苦手で道で観光客に話しかけられた時に固まってるのも。えへへ、いっぱいしゃべっちゃった。でもね、今までずっと綺麗なままでいてくれてよかった。わたし、今宮さんのこと好きなの。だから邪魔しちゃった。ごめんね」
冷や汗が止まらない。しかして、手も動かない。まるで睨まれたように動けなかった。今までの行動、彼女の思い、わたしの失恋。全てがフラッシュバックしてぐるぐる回る。つまるところ、彼女にわたしは振り回されていただけであり、全ての失恋は計画された失恋である、ということなのだ。目眩がして倒れそうになった。
だからか、わたしは彼女のことが嫌いで嫌いで仕方がなかったのかもしれない。彼女の計画的犯行に、わたしは飲まれていたのか、と。膝をついて思わず屈服したくなるほどに彼女は恐ろしかった。しかし、その瞳は煌々と輝き、これが本心偽りないことを十分に示していた。
「わたしのこと、好き?」
彼女は哀れな子供を追い詰めた連続殺人鬼のような面持ちでわたしを見つめた。
「いい加減にしてよ、あんたのこと、好きじゃないに決まってるじゃん……」
言ってやったぞ!とガッツポーズしたのちに激しく後悔した。相手はあの、園田真理子である。彼女から逃げるということは、堂々と宣戦布告した、ということと同じである。わたしは子鹿の如く震える足を叱咤して、ジィッと睨みつけた。
「別にあんたのこと、昔から嫌いだったし、あんたがどうやってようがわたしは絶対に彼氏を作ってみせる
つまりあんたとは絶対に交際なんてしてやらないってわけ」
正直逃げ出してたまらないのだが、ここで引いてはわたしが廃る。この宣言は、きっと歴史に残るだろう。リンカーンの演説の如く、後世に語り継がれるはずだ。何が面白いのかニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。きっともう、後戻りできないのだ。
「絶対に好きって言わせるからね」
そう言って彼女は図書室から消えた。わたしは暫くその場に座り込み、最終下校時刻の放送が流れるまで惚けていた。
次の日、教室に入るとわたしの席には彼女が座っていて、「今川さん!」と親しげにわたしの名を呼び抱きついた。わたしに向けられた視線で胃が痛んだのは、言うまでもあるまい。
罪のアントニム 青木晃 @ooyama01
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