紙とペンと書き取り
達見ゆう
第1話
「ももをひろったのはだれですか」
この答えはおばあさんだ。
「ももたろうがけらいにしたのはだれですか」
えっと、きじとさろといね……。
「ほら、また間違えているよ。“さろ”じゃなく、“さる”。“いね”じゃなく“いぬ”。るとろ、ねとぬの書き間違いに気をつけて」
ユキヒロさんが私の答案にダメ出しをする。
「だッテ、ユキヒロさん。カタカナってむずかしイ」
「カタカナじゃない、平仮名だ。全く、そんなんでは次も申請は通らないぞ」
そう、ユキヒロさんと結婚して三年。日本に暮らして五年。私は日本人になりたくて、役所に帰化申請をした。
結果は大惨敗。理由は簡単。日本語がまったく書けなかったからだ。
会話さえできればいいじゃないかと思うのだが、役所の人がいうには『小学生並みの読み書きができないと厳しい』のだそうだ。
そういうわけでユキヒロさんの指導の元、小学生のドリルを毎日解いている。
シャーペンと練習用の紙、消しゴムはあっという間に無くなるくらい練習をした。でも、どうしても書けない。私の母国にはない文字だから、なおさら難しい。なんで文字が何種類もあるのだ。
「ほら、日本人になって俺と一緒の戸籍に載りたいのだろ?
国籍法を見ると五年住んでいるから五条一項はクリア、二十五歳だから二項もクリア、三の素行善良もクリア、四項の生計の安定についても専業主婦だから税金や年金の問題は気にしなくていい。五はお前の国は重国籍を認めているけど、宣誓書を役所に出せばいいし、六の反社会的勢力とは関係ない。日本語さえできれば申請が通るのだからいいじゃないか」
ユキヒロさんは優しい。きっと日本人から見ると私の文字はひどいのだろうし、書いていることもさっきの間違いからして、めちゃくちゃなのだろうに。「問題の意味はわかるのだから読みは合格だな」って励ましてくれる。
「よし、あとは平仮名と片仮名の書き取りを三回ずつ。今夜はこれで終了だ」
やっと今夜の特訓が終わった。こんな生活があとどのくらい続くのだろう。日本語さえ書ければこんな勉強をしなくても済むのに。
私はシャーペンの芯を補充し、練習用の紙をおろし、書き取りを始めた。
「やはり、書き取りが厳しいですね。アンジェリカさん」
再トライした役所の窓口での面談。役所の人の渋い顔が全てを物語っている。目の前のテスト用紙には空欄が目立つ。これは書いた部分が正解だとしても三十点もいかない。
「もウ一回、モう一回だけ。やらせてくだサい!」
私は食い下がる。もうあのドリル漬けの日々はうんざりだ。ここでダメだとまた特訓の日々が続くことになる。
「わかりました。もう一種類ありますから、それを解いてください」
なんとかチャンスをもらい、解いてみる。さっきのよりは解きやすい。多分、いける!
「はい、時間です。アンジェリカさん。……うーん、さっきよりはできてますね。たぶん、申請は大丈夫ですよ。本省にはこれで報告しますね」
やった! これでドリルから解放される。
「あ、あノ、結果が出るのはイツですか?」
「そうですね。書類に不備が無ければ二、三か月後ですね」
あと三か月。日本人になれればビザの心配もしなくていい。それまで夫の保険金の支払いはなんとかしないと。死亡金を高めにしたからブローカーからの借金もきついしね。
紙とペンと書き取り 達見ゆう @tatsumi-12
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