夢と希望の走り書き。
紅井寿甘
紙とペンとまだ見ぬ未来
くるりとペンを指の上で一回転させる。
机の上に敷かれた紙は、限りなく白い。ほんのわずかな黒色が枠線と、『進路希望調査』という文字だけを作っている。
空欄がみっつ。
人によっては「全然足りない」とすら言うのかもしれない。実際、もしも私が10年前にこの紙を手にしていたら、枠外どころか裏面まで使っても足りないほどの将来の夢を、なんなら挿絵付きで綴っただろう。
そんな空想に逃げなくても、第五志望くらいまで世間に名前の通った大学で埋め尽くせる学友だっているだろう。
……私は、どうしたらいいんだろうか。
「……まだ書いてなかったのか、ソレ」
夕陽の差し込む教室。机の上に影が伸びてくる。
クラスメイト……というのも適切じゃないだろう。幼稚園のころから15年一緒の腐れ縁。世に言う幼馴染というやつだ。
「あはは、かしこまってマジに書こうとしたら……結構、迷っちゃって」
「……そうか」
「……なんか調子狂うなぁ」
こっちが割とマジなことを感じ取ったのか、単にノリが悪いのか。幼馴染の反応が悪い。
「別に、学力でも金銭でもそんなに不都合はなかったろ。そんなに悩むことかよ」
「いや悩むでしょ……少なくとも上京するかしないか、とかさ」
子供の頃は、なんにでもなれると思っていた。それは、今からでも――よっぽど特殊な進路でなければ――まだ、なんにでもなれるかもしれない。
でも、「いつかなんにでもなれる」は、「これからをどこでどうすごして、なにになるか」の答えではぜんぜん無いのだ。
今は今しかない。地元と東京は違う場所だ。
子供の頃と今は違う。時間は早く流れる。世界は広がる。……隣にいる人も、違うかもしれない。
「そっちは、なんて書いたのさ」
「……進路は人によって違うだろ、参考になんねぇよ」
「別に頭の程度はおんなじくらいだし、男女差とかも考えなくていいでしょ」
「……というか参考にされたくねぇよ。人の一生を左右するかもしれんやつを」
その答えを聞いて、ため息をひとつつく。
「もし参考にしたら喜びなよ。人の一生の大事な分岐点に自分を使ってもらったことをさぁ」
「重すぎるわクソが」
「うわ、ひっど」
ズキズキする心と、確かに重いかもという事実を隠すようになるべくライトな微笑み顔を張り付ける。
その顔を見てから、幼馴染はそっぽを向きながら言った。
「どーでもいいヤツが勝手に参考にして勝手にキレんならいいけど、こう……お前の人生を軽いノリでおかしくすんのは違うだろ……」
「……ぷっ」
「……テメェ笑うなよ」
「い、いや……そっちもなんだかんだ重いじゃん。めっちゃ重く捉えてるじゃん」
笑ったことで少し軽くなる。……いや、心の重さが分かったことで軽くなった。
ペンをさらさらと走らせる。第一志望に都内の大学、第二志望に地元の大学。おそらくそう無理もなく受かりそうな名前を書き連ねる。
「……いやいいのかよ」
「だって所詮ただの現時点の希望でしょ」
「それを今の今まで書き渋ってたって話じゃなかったのかよ」
「いいの。一番分かりたかった事は分かったから」
願書出す前には第一志望教えといてよ、参考に。と言い残し、幼馴染の脇腹を小突いて立ち上がる。
傾いた陽がまっすぐ目に入る、眩しい時間だった。
夢と希望の走り書き。 紅井寿甘 @akai_suama
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