紙とペンと小野篁《おののたかむら》

うめもも さくら

彼女の名前は小野《おの》皇《こう》

此処はとある裁判所。

裁判官は赤い顔の大男。

その隣には上質な着物に身を包んだ美丈夫。

彼らは罪人を目の前にしても顔色一つ変えずに判決を下す。

こんな二人だが、実際はとある秘密を抱えている。


「お疲れ様でした。閻魔大王」

本日執り行われる全ての裁判を終えたことを確認して美丈夫は大男に声をかける。

もういいですよという美丈夫の言葉を聞くと閻魔大王と呼ばれた大男はほっとしたように力を抜いた。

するとずるりと彼の赤い顔がずり落ち、その奥には女性と見まごう美しい男性が顔を覗かせる。

お面だった赤い顔はカランと音をたてた。

「篁ぁ!!怖かったよぉーー!!」

「はぁ、もう少し威厳を持ってください。そんな青ざめた顔でいたら罪人になめられますから」

「だからお面してるんじゃないか。着物も何枚も重ねて着てるんだよ!」

けっこう暑いの我慢してるんだよと言いながら着物を脱いでいく。

美丈夫はそんな閻魔大王からすっと目をそらすと裁判の資料をまとめて大王のいる間から出ていく。

足早に廊下を抜けると自分にあつらえられた部屋に戻り扉に背をつけずるずると座り込む。

「びっくりしたぁ。閻魔大王ったら急に着物脱ぎ出すんだもの……」

真っ赤に染めた頬を手で押さえるその姿は誰がどこから見ても恋する年頃の女性だった。

「どうしてこうなったぁぁ!!」

彼女は地獄の中心で哀を叫んでいた。


彼女が地獄に来たのはほんの少し前。

スマホと軽い筆記用具の入った小さい鞄を前カゴに入れて買い物をするべく行きなれた道を自転車で走っていた。

もうすぐ店に着くというところで急にガクンと自転車に衝撃が走る。

チェーンでも外れたかなと自転車を止め足を地面につける。

正確にはつけようとしたが地に足がつかなかった。

地面にぽっかり穴が空いていて彼女はその穴のなかに足を突っ込んでいた。

黒く丸い穴はどこに繋がっているのかその先は全く見えない。

もちろんこんな穴は先ほどまではなかった。

突然現れたその穴はまるで井戸のような形をしていた。

彼女は為す術もなく自転車と鞄と共にその井戸のような穴に飲み込まれていく。

彼女を飲み込んだその穴は役割を終えたかのように彼女飲み込むと同時に消えてしまった。

その光景を見たものは誰もいない。


彼女が目を覚ますとそこは行きなれた道でも見知った場所でもなかった。

まるで燃えているような橙色の空に辺りはゴツゴツとした岩肌ばかりだ。

聞こえてくるのは誰かの悲鳴と怒号。

頭を駆け巡るのは不穏な想像ばかり。

彼女が恐ろしさで体が凍りついたように動けずにいると背後から声をかけられた。

「そこに誰かいるのか!?」

振り向けば大きな男がそこに立っていた。

その男の頭部には石で出来たような太い突起物があり、大きな口からは獣のような牙を覗かせている。

その姿はまさしく

「鬼……」

目の前の男は訝しげに彼女を見るとすぐに何か思い当たったような顔をして彼女に向かって大きな声をあげる。

「その格好、お前此処の罪人だなっ!!逃げ出そうとでもしていたのか!?」

戻れっ!!と彼女に怒号を浴びせながら近づき彼女の腕を乱暴に掴む。

悲鳴もあげることができず、ずるずると引きずられて行きそうになったところでもう一つ声がした。

「何をしているんだ?」

その声は威厳に満ち溢れており鬼も彼女も身を固くした。

赤いお面をした大きな体の男は彼女に近づき、涙を湛えるその瞳を見咎めると静かに絹をさしだす。

「こんな子、裁判で見たことがない。たとえ罪人であっても判決が出るまでは不要に罰を与えることはこの閻魔が許さん」

閻魔という言葉と目の前の鬼、裁判や判決そして罰という言葉。

その全てがこの場所がどこかを導きだしていた。

「もしかして此処は地獄……?私は…死んだの?」

何か鬼と閻魔という男性が話し込み、こちらに顔をむけると紙と墨のついた筆を突き出した。

「名前を書け。それでひとまずどこの罪人か、裁判をいつ受けるのか確認する」

彼女は急いで紙に書くが恐怖と動揺で手が震えてしまい何度書き直しても墨で字が潰れてしまう。

「すみません。ボールペンで書いていいですか?」

彼女は自分の鞄からボールペンとメモ帳を取り出し名前を記入する。

名字を書いたところで鬼と閻魔の視線に気づき手を止めて二人を見る。

「それはなんだ?」

「ボールペンですけど……」

「ぼー…るぺん?墨はどこにあるんだ?」

「墨…っていうかインクです。インクがこの中に入っていて字が書けるんですよ」

関心と興味の混ざった瞳で二人はボールペンを見つめる。

そして、彼女が名前を書くと今度は驚いたように目を見張る。

「小野……篁?」

「え?あ、篁じゃなくて皇……」

インクが出るかと試し書きした意味のない形がちょうど彼女の名前の上にあり、まるで一つの漢字のようになってしまった。

「篁じゃないかっ!!久しぶりだなっ!!何百年ぶりだ?千年以上経っているんじゃないか!?」

「え?いや、私は……」

「小野篁様であられましたかっ!!申し訳ございません!数々のご無礼をお許しください。」

閻魔は久しぶりに旧友に会ったように好意の目を向け、鬼は深々と頭を下げてくる。

「少し縮んだのではないか?顔も少し違ったような……でも昔の記憶だからな」

思い違いかもしれないと笑いながら理由のわからないままの彼女を連れて閻魔大王は帰った。


小野篁とは平安時代の貴族で昼は朝廷で官吏を夜は井戸を通り閻魔大王の副官をしていたといわれる歴史上の人物である。



あつらえられた部屋の中でなんとか電波のとおったスマホで小野篁を検索した彼女はあつらえられた男物の着物を身に纏いバレないように小野篁のふりをして閻魔大王の副官として今日まで働くことになったのだ。

それは恐ろしいからとか死にたくないからだけではない。

憧れなのか、恩返しなのか恋なのか。

まだ彼女の中でも答えはでていないけれど。


本当は臆病で優しい、自分を助けてくれた優しく強い閻魔大王のため彼女は今日も紙とペンを使い時にスマホも用いて今日も閻魔大王の副官として彼を支え続けている。








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紙とペンと小野篁《おののたかむら》 うめもも さくら @716sakura87

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