紙とペンと髪の毛

静嶺 伊寿実

出張先のホテルでの出来事

1月21日

 トラブルで疲れた身体をホテルのベッドにしずめた。最小限の物だけがしつらえられたビジネスホテルのシングルルームは、安く抑えた分、壁やカーテンが黄ばみ、毎日拭いているであろう鏡台きょうだいを兼ねた机だけが綺麗だった。下着や着替えに充電器、会社の資料が入った出張用バッグを机に置き、ネクタイを緩めながら仰向あおむけになった。

 まったく、ついてない。頑張れば頑張るほど上手くいかないことばかりだ。

 早く寝ようと中途半端なたけのごわごわした浴衣に着替えて、就寝した。


 翌朝、緊張のためかいつもより早く目を覚ますと、机の上にA4の紙とペンが置いてあった。

 こんなもの出したっけな、と思いながら近づくと、紙の上に太くて短い髪の毛が一本、紙の上にある。くせのある髪の毛だ。俺の髪は真っ直ぐで、こんな風に丸まったりしていない。

 風かなんかのせいで、掃除しそこねた髪の毛が紙の上に落ちたんだろう。

 俺は紙と髪の毛を塵箱ごみばこに捨てて、使えそうな油性ボールペンをスーツのポケットに入れて、チェックアウトした。



1月22日

 五日連続の出張なのに、二日目で早くも疲れが溜まっている。

 初日がいけなかったんだ。あいつのせいで、いや、こんなことを考えるのは止めよう。これから先は関わらない奴だ。

 それにこの疲れは、移動時間が長かったせいだろう。同じ所に泊まれるならこんな疲れ方もしなかったろうに、全国をジグザグするように回されるのだから勘弁してほしい。今日は昨日とは違ったホテルにチェックインして、シングルベッドに倒れ込む。

 今日のホテルは昨日のホテルよりは幾分いくぶんか綺麗で、茶色を基調としたベッドルームに鏡は無く、加湿器がついていた。そなえられた机に充電器や明日の着替えを置いて、着心地の良い浴衣タイプのホテル着にそでを通す。携帯電話で音楽を聴きながら寝ることにした。一人で全国を周る出張は相部屋になることもない。


 翌朝。起きるとA4用紙とペンと髪の毛が二本、机にあった。置いた覚えは無い。誰かが入って来たのだろうか。まさか、ビジネスホテルとは言えオートロックだ。

 白紙だと思ったA4用紙には、ミミズのような線が書かれていた。文字なのか絵なのか判別できない。

 俺はボールペンごと用紙と髪の毛を捨て、チェックアウトした。



1月23日

 仕事が終わった後に飲み会に誘われ、断れないままビールを何杯か飲むはめになった。酒の回りが速く、ぼうっとした頭のままホテルの部屋に入った。入ってすぐの荷物置きに出張カバンと上着を放り投げ、ベッドに横になる。

 今日のホテルは内装にっているようで、茶色いまだら模様のベッドカバーと茶色い絨毯じゅうたんに赤い椅子がえていて、同じ茶色を基調としたホテルでもこうも変わるんだな、と眠い頭で思った。テレビはベッドの横にあり、メタリックな机は広々と使えそうだ。

 出張三日目となると家に帰りたくなる。だが家路にはまだ遠い。眠い、限界だ。俺はなんとかスーツとYシャツを脱いで、ホテル着を着たかどうか分からないまま、寝た。


 翌朝、目を覚ますと八時十五分だった。携帯電話のアラームに気付かなかったらしい。寝坊だ。

 急いで支度してロビーへ向かう。机の上に何かあったようだが、そんなものを見る余裕は無かった。



1月24日

 今日の仕事は充実感があった。会話をすれば面白いほどに弾み、どんどん仕事が決まっていく。この調子なら目標にたどり着きそうだ。夕食前にはチェックインして、ホテルの部屋に入る。

 シックな部屋にはマスタード色のカーテンが掛けられ、木製の机に湾曲わんきょくなひじ掛けの木製椅子、セミダブルほどの大きさがあるベッドが設えてあった。ベッドスローは紺色で、これが部屋の雰囲気を落ち着きのあるものにしていた。良い部屋じゃないか。俺は思わず感嘆かんたんした。

 机の前に、机と同じ幅の鏡が張られているのが少々気になったけれど、スタンドライトがモダンな形で俺好みだったので、鏡のことは気にしないでいられた。

 木製の椅子に座って、机の上のテレビをつける。湾曲したひじ掛けが丁度良い高さと柔らかさで、ゆったりと身体を預けることができた。

 ふと正面の鏡を見る。気の抜けた自分の顔をよく見ると、目の下のクマが酷かった。出張の疲れだろうか、それとも昨日の酒のせいだろうか。

 今日は早いところ寝よう。部屋を満喫したかったので、近くのコンビニで適当な夕食を買って、ホテルの部屋で食べる。こういう食事もたまには悪くない。

 机の上を綺麗に片付けた後、着替えを机に並べて、ゆったりとした気持ちで就寝した。


 翌朝。余裕を持って起きると、机の上にA4用紙とペンと髪の毛があった。太くて短い癖のある髪の毛は、数えたくないが十本以上はある。

 そして紙には「お前のせいだ」と書かれていた。紙の右下に、読めないが何か四文字のような名前のようにも見えるものも書かれている。

 なんだこれは。嫌がらせにしてはたちが悪すぎる。

 あいつか? いや。まさか。そんな訳は無い。ここには居ないはずだ。

 俺は昨日出たゴミの一番下にそれら全てをまとめて捨て、チェックアウトした。



1月25日

 今日で長かった出張も終わり。最終日の今日は自腹を切って、ちょっと良いホテルにした。明日の昼には家に帰られる、しかも伝統のある評判の良いホテルに泊まれるとあって、自然とテンションが上がった。

 スムーズにチェックインをし、ホテリエの案内を受けて部屋に入ると、今までのホテルとの内装の違いに「おおー」と声が出た。

 セミダブルベッド、L字の黒い机には革張りのチェア、30型以上はある薄型テレビ、ふわふわのスリッパに、ホテル着はなんとパジャマタイプとガウンタイプが選べるものだった。値段が違うとこうも違うのか、と奮発した自分を褒めた。

 十八階の部屋から見える夜景は、人工的な明かりなのに星のように輝いて見え、今日まで頑張った自分をたたえてくれているようだった。とても綺麗だ、とベッドで夜景を楽しんだまま、いつの間にか寝入っていた。


 翌朝、朝日で目を覚ました。時間を気にしなくて良い朝は良いものだと着替えて、ホテルのサービスのペットボトルの水を開栓して飲んだ。

 途端、口に違和感を感じて慌てて洗面台に走る。吐き出すと、髪の毛が出てきた。

 あの癖のある太くて短い、あの髪の毛が。

 一人で使うには広すぎる洗面台の鏡を覗くと、目がくぼんでギラギラした顔の男の顔があった。酷いクマだ。

 チェックアウトの時間が迫っている。荷物を持ってもう出ようとベッドルームに戻ると、黒い机の上に紙とペンが置いてある。さっきまで無かったはずだ。

 紙には「お前のせいだ 木村守治」の文字。

 すると窓に、あいつが、木村が張り付いていた。俺は絶叫する。腰を抜かし、それでも窓から離れようとした。

「お前のせいだ」と聞こえた。

 違う! 俺は喉を引き絞って叫ぶ。

 俺が悪いんじゃない、確かにあれは俺とお前でやったことだ。会社で買った物を納入せず、そのまま転売して金を作ろうと提案したのは俺だ。でも乗ってきたお前も悪い。俺は額が大きくならない内に手を引いて、こっそり会社に金を返した。でもお前は着服し続けて、挙げ句バレてクビになった。当然だろ。クビになった後、ろくに就職できなかったお前を心配して、出張のついでにお前の家に行ったら、お前は俺のせいだと責め立てて、もみ合いになり、お前はマンションから落ちた。俺の手には髪の毛が、お前の髪の毛が残った。

 落ちて死んだことを俺のせいにするのか。全部お前自身が引き起こしたことだろ。

「お前のせいだ」

 俺は荷物をつかんで、倒れそうになりがながら、なんとかロビーへ向かった。



3月17日

 あれ以来、俺の身に異変は無い。クマも取れず身体は疲れたままだが、仕事のせいにしている。

 ただ、時々所構わず紙とペンと髪の毛が置かれるようになった。

 

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紙とペンと髪の毛 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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