夜は猫ですが、労災認定所でヴァンパイア所長の秘書をしています

八島清聡

第1話 ヴァンパイアってもっと貴族的で高尚な生きものじゃないの?





 ・今夜の予約は1名。電話で簡単に用件を伺いましたが、全部長時間労働とパワハラが原因で、難易度レベル4。依頼人は職場に軟禁状態。同僚を人質に置いてぬけ出してくるそうです

 ・明日はお給料日です。百年前のマージ紙幣じゃなくて今のデール紙幣で払ってくださいね

 ・疑似血液はいつものモーリス精肉店で買いました。500デールがツケになっています

 ・牛乳を飲んだら、ちゃんとコップを洗ってください。私は洗いませんからね



 ……そこまでつらつら書いて、私はペンを離した。今日も長々と書いてしまったけれど、これ以上はやめておこう。説教モードになりそうだし。


 金色の羽が6枚生えたペンが、紙上にふわふわと浮かんだまま、くるりと一回転した。これは「死者の速記イズラーイールペン」。ペンを握ると頭の中に浮かんだ言葉や文章を読み取って自動で書いてくれる。しかも超早くて達筆。手を離せば速記は止まる。

 ペンの下、金色の皮をなめしたような厚い紙にはびっしりと字が並んでいる。これは、「創造の織紙オリファエルペーパー」。巻物のような形状で下に向かって紙面を伸ばして書いてゆくのだが、いくら使っても紙はなくならない。

 どちらも便利な魔法工具で、とても重宝している。この紙とペンはもはや生活必需品。

 だってこうして毎日、長々と申し送りを書かなくちゃならないんだもの。

 ハアアと大きく息をつくと、ペンを触ってないのにオリファエルにさらさらと文字が浮かんだ。

「ルネ嬢、お疲れ」と書いてある。私は「ありがと」と小さく呟いた。文字は消えた。オリファエルは意志持つ魔法工具なのだ。人型にしか反応しないのが実に惜しい。


 私たちの家は二間とキッチン、バストイレのみ。本当はもっと広い家に住みたいけれど、王都は物価が高くて今の収入じゃここがせいいっぱい。

 この部屋は住居で、居間兼寝室。隣りは事務所。仕事場になっている。

 今日の申し送りをテーブルの上に広げると、後ろのベッドの方へ振り返った。

 ベッドの上には、白のフリルシャツに黒いズボンを履いた男が両手を胸の上で組んで横たわっていた。銀色のボサボサの髪が枕に広がり、恐ろしく整った顔は蝋人形のように白い。唇も青ざめている。男にしては長い睫毛……精緻な美貌。生気は感じられず、まるで死体のようだ。

 いや、今の彼は死んでいるのだ。呼吸もせず、心臓も停止している完全なる死者。


 私はランプに灯をともし、壁にかかった古びた木時計を見た。今は冬だから日の入りは早く、午後五時。窓越しの空は既に闇色が濃く、太陽は沈みきる一歩手前だった。

 椅子から立ち上がり、ベッドに歩み寄る。夜が降りてくる。私は彼の瞳を凝視した。


 ――使者が、生者となる瞬間は、何百回繰り返しても慣れない。


 ゴ―ンと大聖堂の鐘の音が響く。人界の夜の、始まりの合図。

 鐘が鳴り終わると同時に、彼の眼がゆっくりと見開かれる。深海を思わせる濃いブルー。覚醒を視認した途端、私の視界は白く霞みがかり、ゆらゆらと左右に揺れた。光が弾け、からだと意識が急速に縮んでゆく。

 いつものように目を閉じ、きっかり5秒数えてから目を開く。さっきまで足もとにあった、ベッドの枠組みが頭上に見えた。私は黒猫になっていた。何を隠そう、これが私の夜の姿なのだ。


 ベッドの上に飛び上がる。彼は目を開けたまま、ぼんやりと天井を眺めていた。

 ニャアンと鳴き、肉球で頬をつつく。びっくりするほど冷たい。彼に人間のような体温はない。動くと多少は熱が生まれるらしいけど、夜明けを迎えれば再び停止して元通り。

 彼―サディアスは、私の方を見るとニイッと笑った。やじりのような鋭い犬歯が覗く。人外であるまぎれもない証。私の右鎖骨に打ち込まれた命の楔。

 サディアスは身を起こしながら言った。

「ルネ、俺のメシは?」

 第一声がそれかい! と思いながら、私は伸ばされた手をシッポではたいた。


 目覚めたサディアスはキッチンで顔を洗い、それからテーブルの上の申し送りを手にとって読んだ。私はぴょんと彼の肩に飛び乗る。気を効かせてオリファエルは文字を発光させるが、元々夜目が効くサディアスには関係ないらしい。

「へー、当日予約入ったんだ。珍しい。つか、軟禁てなんだよ。同僚が人質……? 犯罪臭しかしねぇ」

 サディアスは独り言を言いながら、申し送りを読んでいく。

 これは一見すると、私が昼間、必死にこなした仕事を確認している……ように見えるが、実はところどころ読み飛ばしている。特に自分にとって都合の悪いところには絶対に触れず見なかったことにする。

 あ、給料のところはスルーした。この男、私の先月分の給料をなんと百年前に流通していた古銭で支払ったのだ。額面は同じでも、当時のお金の価値は現在の五分の一だ。私は買い物先で気づいて激怒したのだけれど、サディアスは昼間は寝ていて動けないし、夜暴れ回っても猫の身ではいかんともしがたい。夜も人間の姿でいられるなら、思いっきり罵倒できるし、何を言い訳しても論破できるのに……。一体、誰のせいでこんなことになったのやら。

 あ、人類の仇敵であって、私の育ての親でもあって、雇い主でもあるこの軽薄で適当すぎるヴァンパイアのせいです。間違いない。


 サディアスは申し送りに目を通すと、鼻歌を歌いながらキッチンの大鍋に火をつけた。中には赤いスープ……ではなくて疑似血液が入っている。豚と牛と馬の血液を煮詰めたものだ。すさまじい匂いだが致し方ない。

 人間を襲って血を啜るよりましだ。彼はこうして私が買ってきた動物の血を飲んで日々の糧にしている。

 木皿に温めた血を入れると、直接口をつけてズズズと飲み始めた。

 彼の唇に血がべっとりとつく。うーん……なまじ美形な分、鬼気迫る光景……。

 なのに

「あ~うめ~! 生き返るわ~!」

 ……あんたは酒場でビールをかっこむオッサンか。さすが毎晩、「生き返ってくる」だけのことはあって実感が篭もっているけど。満面の笑みで疑似血液を三杯も飲むと、今度は戸棚を開けて私が買っておいたパンとハム、チーズも食べ始めた。

 は? な、なんでだ~! あんたは血(もどき)さえ摂取してれば生きられるでしょうが!

 こっちの朝御飯まで食べるな! しかも「これもなかなかイケんな」とか言ってるし。

 飛びついてニャーニャーと抗議し、ガリガリと引っ掻いたがサディアスは一向に気にしない。ガブリと噛みついてもみたが無駄だった。彼の強靭な皮膚は猫の爪や牙など1ミリも通さない。私にはどうにもできないとわかっているからやりたい放題なのである。


 結局、パンもハムもチーズも食べられてしまった。最悪……。

 おのれ、食べ物の恨みは怖いんだぞ。今度大鍋にニンニクを仕込んでやる……。

 お腹がいっぱいになるとサディアスは歯を磨いて血の匂いを消し、着替えると隣の事務所へ移った。

 私も仕方なく後をついてゆく。彼は一応所長らしくデスクに落ち着くと、これまた私が昼間作成しておいた依頼人ファイルを開いた。ファイルはオリファエルではなく、旧式のタイプライターをちまちま打って作ったものだ。これでも秘書なので、こういう事務作業もこなす。ファイルは案件ごとに依頼人の詳細や相談内容が書かれている。

 それを丹念に読みこんで、依頼人の訪問を待つのだけど……

「……なんだこれ。クソが。ヤるしかねーだろ」

 隣りの上司から、不穏な言葉が聞こえてくるのは気のせいだろうか。


 ――午後九時。

 依頼人がやってきた。クリスという名のガリガリに痩せた男だった。

 サディアスの顔を見ると、

「やっと労災認定所に相談が来れました……」

 と少しだけホッとした表情を見せた。


 そう、うちはこう見えても労働者の味方である労災認定所なのである。強制労働や過酷な環境下で働かされている人たちの相談を受けて会社や店舗に指導したり、退職させて新しい仕事を斡旋したりする。主に相談料や手数料、斡旋料が収入源。ただし、うちは非合法。国の認可は受けていない。

 そもそも国の認可をもらっている労災認定所は、午前九時から午後八時までの間しか営業できない。夜しか開いてない当事務所は、この時点で違法だったりする……。


 クリスさんは、涙ながらに窮状を訴えた。会社の社長は横暴極まりなく、給料も満足に払わない。長時間拘束し、従業員にたびたび暴力を振るう。逃げだそうとすると同僚を監禁し、お前がいなくなればこいつの命はないと脅す。会社というか、ただの犯罪組織……?

 話を聞き終わると、サディアスはきっぱりと言いきった。

「お話はよくわかりました。では、殺しましょう」

「えっ?」

 ペット然として、床に寝そべっていた私は驚愕した。正面のクリスさんの目も丸くなる。

「こ、殺すってどういことですか?」

「文字通りです。社長に死の制裁を与える。これ以外にクリスさんが救われる道はありません」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。殺すなんてそんな物騒な……。そんなことしちゃあなたと僕がお縄になってしまうじゃないですか」

「大丈夫です。完璧に仕留めますので」

「困りますよ。ここって労災認定所ですよね? お仕事斡旋とかしてくれるところですよね? 間違って暗殺ギルドに来たわけじゃないですよね?」

 クリスさんは激しく動揺している。サディアスは立ち上がると壁にかけてあった黒のトレンチコートを羽織り、同じく黒の中折れ帽をかぶった。

「とにかく今からおたくの会社へ行って始末をつけてきます。すぐに戻ります。その猫と留守番していてください」

 そう言うと、颯爽と事務所を出て行ってしまった。

「だ、大丈夫かな? 大丈夫だよな。殺す云々は『法にのっとって社会的に抹殺する』って意味だよな?」

 クリスさんがおろおろと呟く。

 私は嫌な予感がした。

 が……猫の身ではどうにもならない。悔しい。口惜しすぎる。

 ああ、だめだ。これはきっと明日はオリファエルで説教コースだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

夜は猫ですが、労災認定所でヴァンパイア所長の秘書をしています 八島清聡 @y_kiyoaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ