藤棚

南風野さきは

藤棚

 頭上には藤花の瀑布があった。わたしが見上げている藤棚は、花と蔓の重みによって、かしぎ、潰れたとしても、おかしくはないようにおもえた。藤の網の目にちらちらと覗く空は澄んだ青で、陽射しは黄金にちかかった。陽に照り輝く藤花の群れの豪奢さを、わたしはじっと見つめていた。ちいさな花があつまった房は、あまりにも密に垂れているので、藤色の霞みを眺めているようだった。

 目の前に、一粒、ちいさな水滴があった。その水滴はとまっていた。球形にちかい透きとおった粒のなかで、藤花の霞みが曲がっていた。目線をうごかすことはできなかったが、空中に散在する水滴たちに貼りついたきらめきを察することはできた。

 この水滴は雨粒なのだろう。空はよく晴れているようだから、天気雨だろうか。

瞬かないきらめきと、静止した藤の滝。陽射しはゆらめかず、このからだは停止している。

 唐突に、それまでそこにあった彩りが黒で潰された。

 燦然としたひかりに満たされていた白昼は、一瞬で、暗闇に転じていた。


 頭上には藤花でできた天井があった。わたしが見上げている藤棚は、花と蔓の重みによって、かしぎ、潰れたとしても、おかしくはないようにおもえた。藤の網の目にちらちらと覗く空は澄んだ青で、陽射しは黄金にちかかった。風に揺れ、陽を弾く藤花の群れは、藤色の霞みがゆらいでいるようでもあり、水面が波打っているかのようでもあった。

 頬でつめたいものが弾けた。水滴であるようだった。耳を澄ましてみると、藤棚のそこここで、ぱたぱたと音が立っていた。

 この水滴は雨粒なのだろう。空はよく晴れているので、天気雨だ。

 あたりを見回してみると、この藤棚は高台にあるようだった。

 うごくことが、できている。それがあらわすことは、このように記されているものを、誰かが読んでいるということだ。

 こうしてこれを読んでいる誰かが、記した者であるとはかぎらないのだけれど。

 日付と出来事でつづられている文字のあつまりを、ゆるしなく紐解く誰かが他者であったとしたら、記した者が気の毒であるようにもおもえる。

 わたしはわたしに気の毒がられて嫌がるだろうか。

 雨粒に叩かれていると、突然、目の前のすべてが真っ黒になった。


 頭上には咲き乱れる藤花があった。わたしが見上げている藤棚は、花と蔓の重みによって、かしぎ、潰れたとしても、おかしくはないようにおもえた。藤の網の目から覗く空は晴れていて、陽射しは黄金にちかかった。風に揺れている藤花の群れは、藤色の霞みがゆらいでいるようでもあり、水面が波打っているかのようでもあった。

 頬でつめたいものが弾けた。水滴であるようだった。耳を澄ましてみると、藤棚のそこここで、ぱたぱたと音が立っていた。

 この水滴は雨粒なのだろう。晴れているのに降ってくる。天気雨だ。

 藤の花房が、風にゆらぐ。ゆらめく花の落とす影が、地で踊る。藤棚を透かし、絡み這う蔦葉をすり抜けた陽が、まばゆく淡く、土にはしゃぐ。

踊っている斑な影に、わたしは染まる。かたわらにいる誰かも、藤棚の影に染まっている。 

 わたしはわたしの影である。わたしによって記されただけの、とりとめもない文字である。ひらかれたときにだけひかりを得、読まれたときにだけ脈動し、とじられれば静止する。燃やされて灰と帰せば、はじめからなかったものとなるのだろう。

 ペンをとっているわたしは、この日、藤棚のしたで、誰かと並んでいたということにしたらしい。もしくは、誰かといたということを、おもいだしたらしい。とにかく、そのように、この誰かをかきくわえた。

 わたしはこの誰かと一緒にいたかったのだろうか。

 暗転はいつも突然である。

 とじられた日記のなかで、わたしは静止に上塗りされる。

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藤棚 南風野さきは @sakihahaeno

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