第2話「ドラゴンの花嫁」
極寒の地に今下り立とうとしている巨大生物がいた。
立派な翼を持つドラゴンだ。
そのドラゴンは地に下り立つとその身体を変化させた。みるみるうちに精悍な成人男性の姿へと変わる。同時に、彼の周りにひらひらと妖精たちが集まりだした。
「ただいま」
彼はそう優しく妖精たちに声をかけると歩き出す。
彼の行先には氷でできた宮殿が見えた。
「只今帰りました、スレンダ様」
宮殿に入ると彼は主である竜神スレンダに挨拶をした。
「クリフの子供は元気にしてたかしら?」
彼女の身体を飾っている装飾品がシャラシャラと涼しげな音を出す。
「とても幸せそうにしてたよ…」
「一足先に大人になってしまったってところかしらね」
「ちがっ…」
「わないでしょ。ドラン」
「………」
黙ってしまったドランであった。
(そうだ。あれからずっと一緒に手を取り合ってここまできたんだ)
すべての出来事が過去になっていく。
自分たちがまだ幼かった頃、それでもせいぜい十年ほどしかまだ経っていない。
あの頃はまだ人と同じ時の中を生きていて、成人を迎えた今は、これからずっとこのまま生きていくことになる。そんな時にクリフはリリスを妻に迎え、そして子まで成した。自分は置いて行かれたような気がどうしてもしてしまって少々腐っていたのも確かだ。
「私がお前の子を産もうか?」
「え?」
意味ありげな顔でスレンダは言う。
「どちらにせよ、ドラゴンという種族は私とお前しかいないようだからね。私は一向に構わないわよ」
そう言うとスレンダはバチンとウィンクをしてみせた。
「いや、あの、その、それは…ちょっと…あー、考えさせてください」
ドランはそう言うと慌ててその場を逃げ出した。
「はーーーーーー」
大きなため息をつく。
ドランは再び大陸へとやってきていた。
周りはうっそうと生い茂る森林で、今は切り株に座っていた。
生意気そうな茶色の瞳で空を仰ぐ。木々の隙間から青空が見え、そして再び深いため息をついた。
「俺だってわかっている」
誰に言うわけでもなく彼は呟いた。
瞳と同じ色の髪が肩の上で揺れた。額には銀色のセルクルが光っている。
いずれは種族を残すために子を成さねばならないということもわかっている。このままいけばスレンダとの間に子を作らねばならないということも理解はしている。だが──
「……クリフ、本当に幸せそうだったよな」
それはつまり、クリフは愛する人との間に本物の愛が存在しているからだ。
ドランはそれなりにスレンダを尊敬してはいるが、それは男女の愛情ではない。
そう。彼は羨ましかったのだ。
親友であるドランは愛する人を獲得できた。だが、自分はどうだ。互いに愛せる相手がいない。今までに様々な人と出会い、その中には多くの女性もいた。好ましく思える人もいたが、それが恋愛の愛情かどうか、どうもよくわからなかった。
「この人じゃないと駄目だという気持ちだよ」
かつて親友がそう言っていたが、この人じゃないと駄目というのはむしろ親友であるクリフに対して抱いていた気持ちだった。とは言え、だからといってクリフと男女の営みがしたいとは思わない。同性しか愛せないという人も過去に知り合ったこともあったが、クリフに対して抱いている気持ちとは違うとわかっていた。
「ドランはまだ運命の人に出会ってないんだよ」
クリフはそう言っていた。
そんな相手が本当に自分に現れるのだろうか。
「運命の人か…」
と、ドランがそう呟いた時。
ズサササササササーーーーッ!
頭の上から何かが落ちてくる音がした。
ドランは慌てて立ち上がって上を向いた。
何か、人のようなものが落ちてこようとしていた。
「うわっ!」
彼は慌ててその人のようなものを受け止めた。
それは、女の子だった。
「いたたたたた…」
ドランは女の子を受け止めたまま、その場に尻もちをついていた。
腕の中の彼女をまじまじと見つめる。
ストレートな黒い髪の毛は背中くらいまで伸びていて髪と同じく黒い瞳は濡れたようにキラキラとしていた。その瞳がじっとドランを見つめている。どうやらこの地方の人間ではなさそうだ。身に着けている衣服もここら辺では見たことのないもので、奇妙なデザインだった。
「えっと…君は誰かな」
我ながら変な質問をしているという自覚はあったが、何か話さなくてはと思ってドランはそう言った。
すると、じっとドランを見つめていた彼女は急に思い出したように辺りをキョロキョロしだした。そして叫んだ。
「えっ! ここどこ? あたし、学校から家に帰ろうとして路地を曲がったとこだったのに!」
「えーと、それで、どうしてここに来てるのかな、ドランくん」
あれからドランは女の子、名前はアキという、そのアキを連れて魔法の塔にやってきていた。
そこにはマリーがいる。アキからいろいろ話を聞いたのだが、どうにもこうにも彼女の言ってる意味がわからず、こういう問題はマリーに聞くのが一番だろうと判断したのだった。
「だってさー異世界から来たみたいなことを言うんだよ、この子。俺にはこの子の言っている意味がまったくわかんないんだよ。だから助けてくれよ。あんただったら異世界のことはよくわかってんだろ」
「しょうがないですねえ。わかりました。とりあえず彼女と話をしてみましょうかね」
そして、わかったこと。
アキはこの世界とは違う別の世界から、どうしたことかここに飛ばされてきたこと。彼女のいた元の世界はいわゆるこの世界の双子だった世界で、今現在はもうどこにも存在していない世界であり、彼女の生きていた時代は滅亡するずっと大昔のことで、何らかの出来事で遠い遠い未来の、しかも双子の世界に飛ばされてきたということがわかった。
「あー僕もその世界のその時代に行ったことがありますよ。けっこう気に入った世界でしたね。長い長い時間の中で一番よく過ごした場所だったと思います。もう今は存在しない世界ですけどね」
マリーは懐かしそうにそう言った。
「あたし、もう帰れないのかな。お父さんやお母さん、お兄ちゃんにももう会えないのかな」
泣きそうな声でアキはそう言った。
「たぶん、それは無理でしょうね」
「えっ、なんでそんなことがわかる?」
マリーの言葉にドランは吃驚した。
「僕に言えることは、彼女は何らかの意思によってここに飛ばされてきたということだけです」
彼は少し考えるような感じで琥珀色の瞳を宙に向けて、何かを感じ取っているように見えた。それはまるで、誰かから何かを言われているようにも見える。そして、ひとつ頷くとドランに向かってニッコリと笑った。
「ということで、ドランくん。アキのことは君に任せますよー」
「えっ?」
「彼女はここで暮らしていくしかないようですねえ。なので、彼女の身柄をあなたにゆだねますよ。早くこの世界に慣れるように、しっかり保護して差し上げて下さいねえ」
「えええええーーーー?」
そして、ドランはアキと共に旅をすることになった。
「まずは二人で旅をしたほうがいいみたいですねえ」
と、マリーはドランとアキを送り出す時に言った。
ドランが拠点としているコーランドは人間であるアキには住めない場所だったので、氷の宮殿に連れて帰るわけにはいかない。なので、早く世界に慣れて生活していく為にも旅をしながらこの世界のことを学んでいかなければならない。ただ、まだ世界には魔族が跋扈しているので、その魔族から守ることができるのもドランであり、最初に彼女を見つけたドランが一番ふさわしい。
「とにかく、二人仲良く旅をしてきなさいねー」
そう言われて二人は送り出された。
ドランは隣を歩くアキをチラリと盗み見た。
今はもうあの奇妙な衣服は着ていない。彼女の話では、あれは彼女くらいの年頃の女の子が「学校」という、ここで言うところの魔法の塔のような場所に着ていくもので「セーラー服」というものらしい。魔法剣士が着るマントみたいなものかな、とドランは思った。で、マリーの奥さんであるシモラーシャはこの年頃の女の子が着るような町娘の服は持っていないので、急きょ、衣服のセンスのいいティナに頼んだ。テイナは頼ってもらったことが嬉しいらしくて、かなり張り切って衣服を選んでくれた。ということで、今のアキは普通に町娘に見える。
それから、互いの親睦のためにも、とにかくいろいろ話をした。ドランは自分の経歴を包み隠さず話し、自分は人間ではないこと、ドラゴンであり、この姿も本当の姿というわけではないこと、今はこの世界には自分とスレンダという竜神の二人だけだということも話した。そして、アキにねだられてドラゴンの姿にもなって見せた。
「すごい。本当にドラゴンだ。あたし、すごく竜に憧れてて、本物をこの目で見てみたいって思ってたの。これで願いが叶ったわー」
彼女の言葉にちょっと誇らしい気持ちにドランはなった。あまりにも気分がいいので、彼女を背に乗せて空を飛んでみせたりもした。
「ねえ、ドラン。あなたのその額のセルクルってきれいだね」
「ああ、これ?」
ある時、とある町外れの川辺で休憩している時に、アキがドランに聞いた。
ドランの銀のセルクルは、まだ彼が幼い時に人間に変身する能力がない彼にスレンダが与えた、かつての地神ラスカルの持ち物だった。今はもうドランも成人して自身で変身することができるので、すでにもうセルクルの力は借りる必要はないのだが、何となく習慣でずっと額につけたままにしていたのだ。
「そうだ。これ、アキにやるよ」
彼はそう言うと彼女の額にセルクルをはめた。
「うん、よく似合ってる」
「そお?」
嬉しそうにアキがニッコリ笑った。
「………」
その時、ドランの心に何かが芽生えた。
なんだろう。この温かな気持ちは。まるで大切な人に大事なことを告げたようなそんな満ち足りたような気持ちが、ドランの心を満たしていった。
──運命の人──
その時、心に浮かんだ言葉は、いつか親友に言われた言葉だった。
そして、ドランははっとして隣でニコニコと笑っている一人の少女を、まるで初めて会った人のような目で見た。
空から降ってきた少女。異世界からきた人間。運命の出会い。
(そうだ。ノンとアディオスの物語だ)
かつて、ミーナの光輝神官であるオリオンが話してくれたミーナの母と父の初めての邂逅を彼は思い出した。
「アキ」
彼は真面目な顔を見せて言った。
「俺はアキが好きだ」
「うん。あたしもドランが好きだよ」
即答だった。
だが、彼女はその意味がわかっているだろうか。なので、もう一度彼は言う。
「アキ、俺の好きという気持ちは友達に対するものじゃないよ」
「え?」
「俺はアキのことを女性として好きだって言ってるんだよ?」
「………」
アキは絶句した。
それからみるみるうちに彼女の顔が赤く染まっていった。
「俺は人間じゃない。でも、それでも、俺はアキが好きだと思った。アキは俺のことをそんな目で見れる?」
そして、ドランはわざわざ本来の竜の姿に戻った。
「まだ知り合ってからそんなに経っていないから、これから俺のことをそういう目で見れるかどうか、アキにはよく考えてほしいなって思う」
くぐもった声でドランはそう言った。
「俺はアキといつか一緒になりたいって思う」
「ほんとに?」
突然、アキがドランの足に抱きついた。
彼女はその姿勢から上を向いて、ドランの顔を見つめた。
「あたし、一目惚れだったの。最初はなんてきれいな人なんだろうって思った。それから竜の姿になった時もかっこよくて大好きになった。でも、ドランは人間じゃないし、あたしは人間だし、きっと一緒にはなれないんだろうなあって思ったから、良い友達になろうって思ったんだよね。いいの? あたしみたいな小娘で」
「もちろん」
それから、ドランはコーランドにアキを連れて行った。額のセルクルはアキの身体を極寒から守ってくれるので、セルクルは彼女の額から外されることはなくなった。まるで、それが婚約の証とでもいうように彼女の額で光っていた。立派な成人竜が誇らしげに空を飛ぶ。その背には額のセルクルを輝かせた少女が乗り、人間の存在を許さない極寒の土地であるコーランドへと飛んでいく。人間の花嫁を連れて、竜神に報告するために。二人は空を飛んでいく。
それを微笑ましく見つめる瞳があった。金色と銀色の瞳を持つ神が。二人を祝福するように、フィドルを奏でていた。愛の音色を。それが二人に聞こえたかどうかはわからない。ただ、世界は少しだけ温かくなったように人々には思われた。少しだけ温かく。
だが、しかし、音神にはわかっていた。若い二人は必ずいつか別れが来ることを。一人は後に竜神となるが、もう一人は限られた時を生きる人間であること。たとえ、彼女が切望したとしても、彼女は神にはなれない。神官になるという手もあるにはあるが、これも死の覚悟がいる。理を捻じ曲げてでも神格化したとしても失敗すると取り返しのつかない魂の消滅が待っている。それを恐らく若い竜神は理解していないだろう。
そして、後に音神の危惧は当たるのだった。それも最悪の出来事で。
アキは不治の病にかかり、それをドランに知られたくなくて、他の男に心変わりをしたと偽って彼のもとから去ることになったのだ。
ドランは初めての裏切りに絶望し、長い間、苦しむこととなる。
ただ一人、アキがドランのもとを去る時に決して彼には黙っててほしいと言いつつ真相を告げたスレンダだけが、いつか、アキが亡くなり、その真実をドランに告げるまで、全力で彼を支えることを誓ったのだった。
「ドラン、長い間、おまえを苦しめて申し訳なかった。異世界からやってきたかわいそうな少女を、そして、真相を隠していた私を、どうか許しておくれ」
後に、ドランはスレンダの献身的な想いを受けとめ、一人の成熟した大人の男として、スレンダとの間に幼竜を生み出すこととなる。それはもっともっと未来の話。もう誰も地球という滅びた世界に生きていた少女のことなど覚えてはいない、そんな遠い未来の話なのだった。
おしまい
2018年12月15日記
太陽の刻印 外伝集 谷兼天慈 @nonavias
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