太陽の刻印 外伝集

谷兼天慈

第1話「我愛すは光の乙女」

 棺の中では老女が横たわっている。

 閉じられた瞳は見ることはできないが、年の割にはふさふさとした黄金色の髪が顔を縁取り、若い頃はかなりの美女だったのだろうと推測される。

 横たわる老女の周りには赤い花がびっしりと敷き詰められていて、横たわる人の存在感を際立たせている。もう死んでいるというのに。死してもなお存在感を醸し出すとは。

 そして、今、棺に近づく人がいた。

 老人だ。棺の老女と同じくらいの年老いた男だった。

 琥珀色の髪の毛とその色と同じ瞳の穏やかな、それでいてどこかしらお茶目な雰囲気の瞳をした老人だった。

 その老人が棺に跪く。手には白い一輪の花が持たれている。棺の中の赤い花とはまた違った形態の花だった。

 その白い花を胸の上で組まれた老女の手に持たせる。

 その時、後ろで声が上がった。

「リコリス・ラジアータですね」

 老人はそのままの格好でじっとしている。

「マンジュシャカとも言うらしいが、僕は彼岸花という呼び方が好きだった」

 老人が答える。その声はとても老人とは言えない若々しく美しい声だった。

「彼の世界の花はこちらでも存在します。リコリスもですが、バラもこの世界で存在しています。名前も不思議と同じですよね」

 いまだ振り返らない老人に向い、その人は語りかける。白い髪の毛は地に届くほどの長さで、その髪の色と同じく白い瞳をしていた。そう、氷神バイスだ。

「マリス様、その赤いバラはどうして?」

「999本ある。赤いバラを999本。そして、白い彼岸花。これは僕の気持ちだよ。彼女に…シモラーシャへ贈る僕の真実の愛を具現化したものだ」

 老人、いや、マリスは立ち上がる。

 だが、立ち上がった瞬間。彼は様変わりしていた。同じく琥珀の髪と瞳を持ってはいるが、どう見ても年若い青年の姿に。

 それは吟遊詩人のマリーだった。

 彼の表情は苦悶に歪んでいる。本来の彼を知る者から見たら、それは見たことのないほどに辛そうな表情だった。

「マリス様…」

「僕は彼女に僕の光輝神官になってもらいたかった。でも、彼女はそんなものにはなりたくないと言ったんだ」

 彼は振り返って棺に横たわる老女、シモラーシャに視線を投げかける。

 彼は思い出す。

 何十年か前のあの日のことを。

 やっと気持ちが通じたあの日、そして、同時にいずれは別れなくてはならないと宣告されたあの日のことを。


********************************************


「だーかーらーあたしはそんなもんになんかならないってーの」

「えええーそんなー」

 すべてのことが終わり、三人の神の御子たちと一緒に魔法の塔に向い、一息ついた時だった。

 ドーラやドドス、カーリーは新米神として三人の御子たちと行動を共にすることとなり、バイスとマリスはそれに手を貸すこととなった。

 その時、マリーはシモラーシャに自分の光輝神官として永遠に一緒にいてほしいと願ったのだ。だが、それを一蹴された。

「どうしてですか。僕はあなたが好きです。ずっと一緒にいたい」

「あたしもマリーのことは好きよ。でもね、永遠の命なんていらないの。これはもうあたしの魂に刻まれた考えなんだと思う。人の心は変わるわ。あたしの心だって変わるかもしれない。もしかしたら長く生きることに飽きてしまうこともあるかもしれない。その時に後悔したとしても、死ねない身体だったとしたら…考えただけで吐き気がする。それくらいイヤ」

「でも…」

「あたしだってマリーに悪いって思ってるよ。今までマリーは散々悪いことしてきたけれど、それは小さい頃からのネコウマのせいだと思うし、それを克服するためにもあたしは力になりたいって思ってるのも確かだよ」

「……シモラーシャ、ネコウマじゃない、それを言うならトラウマですよー」

 相変わらずの頭の悪さに苦笑する。

 だが、その頭の悪さがなぜか愛しいと思ってしまう。

 恋はそれほど人を愚かにしてしまうのか。

(昔の自分では考えられないことだよな)

 マリーは目を細めて愛しい女を見詰めた。

「えーそうだっけ。まあいいや、なんでも。とにかくね、あたしはね、あたしの気持ちも大事にしたいって思ってて、やりたくないことやイヤだって思うことは絶対したくないの。あたしは死ぬことはそんなにこわいって思ってなくて、いつ死んでも別にいいやって思ってて、死ぬその瞬間に後悔する生き方だけは絶対しないぞって子供の頃からずっと思ってて、それだけは誰に何を言われても貫きたいって思ってるの。そのあたしが、いくら大好きな人の願いであったとしても、あたしはそんな永遠の命なんて欲しくない。死ぬその時まではマリーと一緒にいたいし、いてあげたいって思うけど、あたしはマリーにはあたしだけしかいらないっていう気持ちは持ってもらいたくないって思ってて、たとえあたしがいなくなったとしても、マリーはマリーらしくあたしの好きなマリーとしてずっと生き続けてほしいなって思う。マリーにはもうあたしだけじゃなくて、バイスだっているし、今は会えないかもしれないけど、マリーの故郷のサーラさんだっているでしょ。きっといつか会えるよ。マリーをちゃんとわかってくれるサーラさんに。きっと、これからももっともっとマリーのことわかってくれる人が現れるよ。それに、転生が本当だとしたら、あたしもいつかまたマリーのもとに生まれてくることもあるよね。あ、それだったら、生まれ変わったあたしを探すっていうのもいいんじゃない? 今のあたしの記憶があるかどうかわかんないけど、きっとあたしたち、その時もまたいいコンビになれると思わない? ね、そうしようよ。マリー、あたしを探してよ。そしてまた一緒に生きよう。何度でもそうやって知り合って、一緒に生きていって。まるで永遠を生きるように、そんなふうに生きていこうよ。ね、楽しいと思わない? あたしはそれ、楽しいって思うんだけどなあ」

 まくしたてるシモラーシャをじっと見つめる。

 マリーは切ないような泣きそうな表情を見せた。

(僕はシモラーシャというその単体を愛したけれど)

 彼は思う。

 やはりシモラーシャはシーラスティーンだ。シーラから新しい魂が生まれたわけじゃなく、シーラが転生したのがシモラーシャなんだな、と。

 結局、自分はシーラそのものに惹かれ、初めて彼女に会ったあの時から愛していたのだ。彼女の魂を愛したのだ。ただ、あの頃はすべてのことにやさぐれていて、自分の愛を信じられず、そして、当時不実だと決めつけていた彼女に惹かれていることを認めたくなくて、それで憎んだつもりだったが、シモラーシャが生まれた時、これはシーラではないと決めつけ、この人なら愛してもかまわないんだと自身に信じ込ませたのだ。それが真相なのだろう。

 だとしたら、自分はもっと素直になるしかない。

 どちらにせよ、自分はシモラーシャを愛していることに間違いないのだから。

「じゃあ、シモラーシャ、君が年老いて亡くなるまでずっと一緒にいるよ。そして、君が亡くなったらまた君を探し出す。どこにいてもきっと君を」

 その言葉に彼女はニッコリ笑う。

「うん。マリーなら絶対あたしを探し出すと思うよ」

「そうやって何度も何度も転生してくる君を探し出して、永遠に君と一緒にいるよ」

 出会っては別れ、別れては出会う。

 それもまた絆を確かにするための儀式。

 彼らはそうやって永遠を一緒に生き続ける。


********************************************


 あれからドーラはティナと添い遂げた。リリスはクリフの光輝神官となり、ドランはスレンダの後継者として精進し、クリフとは当然のごとく無二の親友となっていった。ジュリーは兄王が王になった後にその兄王が後継者を残す前に崩御してしまったので、兄王に代わり王座について、王妃となったリリンとともにジャミー王国を繁栄させ、大陸一の大国となっていった。クリジェスはそのジャミー王国のお抱え薬師となり、多くの弟子に薬学を伝授し、伝説の薬師として名を残した。カーリーはそのジャミー王国の守り神のような存在となり、サフランを光輝神官に迎えた。オリオンは無事ミーナの光輝神官となり、ドドスは風神としてミーナの傍で彼女を助け続けた。ジュークはマリーに触発され、さらに娘に背中を押されて、愛する人を探す旅へと旅立って行った。同時にミーナの母親であるノンとクリフの母親のスメイルも探し出してみようと思っているらしい。


 マリーは跪いていた棺から立ち上げる。

 これから棺はこの丘に埋葬されるのだ。彼はあたりを見回した。気持ちのいい風が吹き渡り、彼の髪を揺らした。小高い丘から先には広大な海が広がっていた。遠い過去、マリーの故郷のあの崖のようなこの場所に彼女を埋葬しようとずっと前から決めていた。

 ここから眺める風景は自分の故郷の風景にも似ているが、この世界の双子の世界、遠い昔に滅びたあの世界の、かつて訪れたどこかの場所にも似ている。双子だから似ているのも当たり前なのだが、間違いなくこの場所もあの世界にあったはずなのだ。そして、恐らく訪れたこともあるはず。遠い遠い昔のことだ。そして、これから先も長く長く未来は続いていくのだ。飽きるはずがない。かつて愛する人は長く続くことを飽きる時がくるかもしれないと言っていたが、およそ自分は飽きるということはないと思っているし、実際、気が遠くなる程の長い時間を生き続けても、それでもまったく飽きることがない。もっともっと生き続けて、もっともっと何もかもを知りたいと思う。今はさらにシモラーシャを探し出すという確固たる目的もある。飽きるはずがない。

「遠い遠い昔のこと…」

 マリーは歌う。

 フィドルを奏で、彼は歌い続ける。

「一人の少女が願った永遠の命…」


 君の想いは永遠の命

 僕の想いは永遠の愛

 君の願いは僕に

 僕の願いは君に

 そして僕等は生まれた

 君の声届いているよ

 僕はこうして生きている

 きっと僕等はふたりでひとり

 きっと僕等はふたつでひとつ

 だから君を探し出す

 何度でも何度でも

 探し出す

 何度生まれ変わっても

 何に生まれ変わっても

 君を愛するよ

 光とともに在る乙女よ

 僕の光

 愛しい君よ

 愛してる愛してる愛してる

 どれだけ言っても気持ちが溢れる

 この想いを

 永遠に君に捧げるよ

 君求めるは君想う僕

 そして

 我愛すは光の乙女



 歌声は朗々と響き渡り、風に乗ってどこまでもどこまでも届く勢いだった。

 聞いているのはきっとこの世界のすべて。生きとし生ける者、この世界その人だっただろう。世界はマリーの歌声をどこまでもどこまでも届け続けた。人々は、動植物さえもこの歌声を聴いたことだろう。どこからか聞こえる不思議な歌を。愛の歌を。



                  完



              2018年11月10日記


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