第2章:Thank you,my twilight ③

「優しそうな人やな」

 スズさんの声が、少しだけ弱弱しく感じた。

「ああ」

 僕の声は、多分ほんの少しだけ力強かったかもしれない。

「とりあえず、何食べようか」

 エレベーターを降りて、木屋町通りを三条方面に適当に進む。飲み屋は多いが、単なるご飯屋さんというのは意外と少ない。酒はもうたくさん飲んだから、飲み屋は全般スルー対象。木屋町で飯と言えば、昔も今もカレーうどんかラーメンになるのかな。回転寿司は格安のチェーンではないし、お好み焼きは「京都まで来て?」と言われてしまいがちで人気がない。あとは、何故か仙台牛タンの店がある。

 その後、二人で話し合った結果、「カレーうどんやろ」と即決だった。食べている間、僕らに大した会話はなく、ただ黙々とカレーうどんと海老天むすびのまんぷくセットを食べていた。

 店から出ると、やけに風が冷たい。

 この店、いい店なんだけど、店から出て右手にはビデオボックス、左手には援交待ちの女性が大勢いるカラオケ店と…あまりよろしくない。腹を満たした人間の気持ちを、一気に冷めさせてくれる。


「どうすっとや?」

「んー」

 帰ると言いたいところだが、久しぶりに会いたい人がいる。

「案内所行く」

「は?」

「行くぞ」

 ビデオボックスの方面に歩き出そうとすると、スズさんが「ちょい待ちや」と尖った声を出した。そんな声を出すのも無理はないだろうが、彼女はとても大きな勘違いをしている。木屋町に風俗案内所などという景観を著しく乱すものは存在しない。小さな歓楽街と言えども京都市内なのだ。

「その案内所じゃねえよ」

「じゃあ何ね?」

 今から向かうのは、この街の情報が集まる場所。

「木屋町総合案内所だ」

「説明になっとらんて」

「世話になった人がいるところ。変なところじゃない」

「なんや今日は、随分と知り合いに会わせてくれるんやねえ」

 茶化すように言うが、そういう話じゃない。ここ一カ月、何度か木屋町を訪れた僕らのことを案内所のアイツは知っているはずだ。挨拶をしろと言われるのは時間の問題だから、自分から挨拶をしに行くだけだ。

「行くぞ」


 向かったのは、カレーうどんの店を出て徒歩一分のビデオボックスだった。「いらっしゃいませ」という店員の声が響く中、入口近くに積んであるカゴを取る。スズさんが「ここあれやろ? ビデオ見てあれするところやろ」と言わず、ただ俯きながら黙っているのが気になるが、今聞くことじゃない。案外しおらしいところもあるのかもしれないしなあ。

 店の中を進み、奥にある準新作コーナーの上から二番目の棚、右から五番目のビデオを手に取る。棚の奥で微妙に光っている鍵を手に取り、ビデオで隠しながらカゴに入れた。そのまま受付に行く。

「どのコースにしますか?」

 店員がビデオのバーコードを読み取り、チラリと鍵を見る。

「一時間、王様コース」

「かしこまりました、お部屋二〇三です」

「あいよ」

 受付と逆方向にある自動扉をくぐり、階段で二階に上がる。一般客がスズさんを二度見してくるが、スズさんは見られていることを特に気にする様子がない。スズさんが深呼吸をしているのが、息遣いでわかった。

「変わったシステムだろ?」

 階段を上がり切ってから、スズさんの目を見て言った。

「ここは好かんばってん、システムはよかね」

 スズさんがこの店に来て初めて、顔を上げて喋った。

「映画みたいだろ」

「ゲームみたいでもあるね」

 二〇三のプレートがかかった大きな扉の前で、スズさんが言った。久しぶりに来たけど、この部屋だけあからさまに扉が大きすぎるんだよなあ。何も知らない一般客は、一体どういう気持ちでこの部屋の扉を見るんだろうか。

「行くか」


 棚から取った鍵を使い、扉を開ける。

 中に入ると、大きなモニターが目に飛び込んでくる。通常のビデオボックスの部屋は、パソコンと24インチ程度のモニターが置かれた机があるだけだ。あとは全部フラットシートという、窮屈なつくりをしている。

 しかし、この部屋だけは違う。大きなモニターが壁にかかっており、その前にはこれまた大きなデスクと椅子が置かれている。しかも、デスクと壁の間には人が歩けるほどのスペースがあり、扉から椅子までも二歩くらいの余裕はある。不思議なことに、床はほかの部屋と変わらないフラットシートだ。

 そして、モニターをまっすぐ見つめるアイツがいる。

「よう」

 椅子に座ってモニターを眺めたまま、アイツが声をかけた。野太く、酒とたばこにやられたようなガラガラとした声だ。もう何年も変わっていないように聞こえるが、前よりもっとガラガラ度合いが増したようにも聞こえる。五十本も入っている缶ピースを一日一缶吸うような奴だから、当然か。


「ども」

 会釈をする。

「ど、ども」

 スズさんも、ためらいがちに会釈した。

「久しぶりだな、スグル」

「ご無沙汰です、神崎さん」

 姉さんの死後、悦子おばちゃんが居なくなってから、僕の面倒をみてくれた人だ。大学の学費を出してくれたが、出ることができなかった後ろめたさから、ずっと会っていなかった。この街に戻ってきてすぐに挨拶をすべきなのだが、一か月もかかってしまった。悦子おばちゃんと再会して、感覚が少し麻痺しているのかもしれない。

「大学はごめん」

「それは構いやしねえんだがよ、除籍だからって避けるこたねえだろが」

「まあ、それは……ごめんなさい」

「ずっと見てたぜ、ここからな」

「じゃあ、この人のことも知ってる?」

 スズさんのほうを見る。

「ああ、スグルと出会ったところから一か月、一緒にいたやつだな」

「どうも」

 スズさんの顔が暗い。

「安心しな、それ以前のことは知らねえ」

「そ、そうですか」

「見ない顔だったしな」

「だろうな」

「まあとりあえず、座れや」


 床に直接座ると、神崎さんからピース二本が差し入れられた。スズさんは若干苦い顔をするも、素直に受け取っている。火をつける。スズさんにライターを渡しながら、耳元で「ゆっくり吸って、肺には入れなければうまいから」とアドバイスした。

「スズさんのことよりもよ、悦子さんに会ったんだってな」

「ああ」

 スズさんが、ゆっくりと煙を吐きながら目を丸くしている。

「優しそうな人でした」

「まあ優しい人だが、最近あの人やべえんだわ」

「どういうことだ?」

 神崎さんが椅子を回転させて、僕らの顔をじっと見る。神崎さんもまたピースに火をつけ、ゆっくりと煙を吸い、またゆっくりと煙を吐いた。それから僕の目を覗き込み、「驚かずに聞けよ」と前置きをする。

「ああ」

「この前、深夜に悦子さんがヤクザと取引している現場をとらえた」

「は?」

「え?」

 思わずピースの煙を思いきり吸い込んでしまい、盛大に咽てしまう。

「一週間前、木屋町の路地にある俺のカメラの映像だ」


 神崎さんが大きなモニターで、自身が勝手に取り付けた小型カメラの映像を流す。誰もいない木屋町の路地で、スーツを着た男と老人とがすれ違っている映像だった。何もおかしなところはないように見える。輝度を弄ってはいるが、このままではやや見づらい。

「もう一度ゆっくり、拡大しながら流すぞ」

 すれ違う老人の顔が拡大されると、僕はそれが悦子おばちゃんだと確信した。いくら輝度を弄っているとはいえ、ボンヤリとした映像であることに変わりはないが、確かにさっき会った悦子おばちゃんだった。

 そして、次にスーツを着た男の手元が拡大される。その手には、小さな茶色い包みが握られていた。ゆっくりとその手が動き、悦子おばちゃんの手と交差する瞬間、茶色い包みが悦子おばちゃんの手に渡り、スーツの男の手には金が渡った。

 最後に、男の顔が拡大される。左頬に切り傷の跡がある、見るからにそういう仕事をしているような強面だ。

「この男な、悠高会という老舗ヤクザの構成員だ」

 スーツの胸元付近を拡大すると、ご丁寧に代紋を刻んだバッジが付けられていた。

「包みは、薬だろうな」

 ヤクザと取引をしているという時点でなんとなく察してはいたが、改めて薬と聞くと、頭が真っ白になる。悦子おばちゃんのような芯の強い女性が、薬になんか手を出すはずがないと思った。だけど、やつれた顔も「何もできなかった」と言ったときの弱弱しい声も、全てそれで説明がつくとも同時に思う。

 それに何よりも、映像が証明していた。

 信じなければならないが、信じたくはない。


「スグルくん?」

 スズさんが、顔を覗き込んできた。僕の顔を見たスズさんが、眉尻を下げて口をぎゅっと閉じる。スズさんが僕の手からピースを取り、神崎さんが差し出した灰皿で火をもみ消す。その一連の動作をぼうっと見つめていると、本当に何も考えられなくなる。時計の無い壁を見つめ、ため息を吐き、頬を叩く。

「スグルくん?」

「だ、大丈夫」

 ポケットからイナズマメンソールを取り出し、火をつけた。

「なんで薬なんか」

「さあな、人間の心まではカメラに映らねえ」

「何か事情があったはずだ」

「だろうな」

「さっき悦子おばちゃんに会ったとき、僕は九年間の話はまたゆっくり聞いて知ればいいと思った。だけど、今はすぐに知らないといけないという気持ちだ。はあ……。ああ、もう、わけわからん」

「調べるか」

 ふうっと煙を吐きながら、息も吐く。

「もちろん」

「私も協力する」

「ありがとう」


 悦子おばちゃんに、家族に何があったのか、僕は知らないといけない。知れば嫌な思いをするだろう。後悔もするだろう。だけど、家族を放ったらかしにしていたのは、悦子おばちゃんだけではない。悦子おばちゃんを探さなかった僕もまた、そうなのだ。だから、その苦しみや後悔は僕も背負わないといけない。

 もう二度と、家族を失いたくないから。

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はんぶんこ人間 三田ゆう @gamihiroki

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