ただ、わたしはきみを。
花咲夕慕
らしくない
「あああ、だめだめだめ!」
衝動のまま、ぐしゃっ、と紙を丸める。そして放り投げた。
「どうしようどうしよう……どうしよう」
意味も無く呟いて、机に突っ伏した。ひんやり冷たい。
ちら、とスマホを見る。03:23。もはや夜と言っていい時間なのかもわからない。
日付は、3月1日。
明日──もとい今日で、私は高校を卒業する。
早く寝た方がいいのはわかっている。まだ受験も終わってないし、どうせ夜更かしするなら勉強した方がずっと有意義なのはいやっていうほどわかっている。
でも、今はとてもそんな気分になれなくて。
新しく紙を広げて、ペンを手に取った。
数十秒たっぷりにらめっこしてから、そうっとペン先を付ける。
『今日で卒業だけど、私は卒業より佐々木と会えなくなる方が寂しかったりして笑』
「うわああ! キモい! あと『笑』ってつけるのもキモすぎる!」
ぐしゃっ、ぽい。
『卒業してもたまには連絡してね笑』
「ううう彼女でもないくせにこれはウザい! そしてどうしても書いちゃう『笑』よ!」
ぐしゃ、ぽい。
『ずっと、好』
「あーだめだめ、これは、だめ」
ぐしゃっ。
「だめ……」
握りしめたその紙を、私は──放り投げることができなかった。
結局ろくに寝れもしないまま、私は家を出た。
薄くした化粧は死ぬほどノリが悪いし、唇もカサカサ。可愛い色のリップが台無しだ。前髪の調子も悪い。
悪い所ばっかり。最悪だ。夜更かしが女の大敵だというのは本当のことらしい。
いや──違う、か。違くはないけど、多分、もっと別の理由で。
「おはよーう!」
そんな元気な声と共に、どすんと背中に誰かがぶつかる。
「愛美か……元気だなー」
「お、優花なんか今日可愛くない?」
「あー、今日はちょっと化粧してて……ほら、さ。写真とか撮るし」
「いつもすればいいのに! 可愛い!」
「面倒臭いじゃん」
「あはは、優花らしいねえ」
肩を竦める私を見て、にかっと笑う。綺麗に並んだ白い歯がのぞいた。グロスでつやつやの桃色の唇。私より頭半分くらい低い身長でこちらを見上げるから上目遣いになる瞳は、大きくて少し茶色い。睫毛はくるんとカールしている。
ぱっつんになった前髪は愛美によく似合っていて、多分本人もそれがわかっているからいつもそうしているんだろうと思う。
可愛い、自慢の親友だ。
「よ」
後ろから聞こえてきた声に振り返る。
「……よ」
同じように返すと、ふっと笑われた。
「最後の日まで相変わらず素っ気ないのな、お前は。んじゃ、愛美、先行ってるな」
「はいはーい」
愛美に手を振りながら去っていく。いいのかとたずねると、うん、と頷かれた。
「どうせ卒業式のあとどっか行くもん。それより私は優花との最後の登校の方が大事!」
「同じ大学行ければ、またできるかもしんないけどね」
「うん……あ」
は、と愛美が口を閉ざした。何かと思って考えてから、ああ、と笑った。
「いいよ。推薦受けなかったのは私だし」
「でっ、でも、本気で私たまたまだから! 多分超ギリギリで引っ掛かっただけだし、てかむしろ頭悪いから推薦じゃなかったら受かってないと思うし!? 絶対優花の方が頭良いし、もし受けてたとしたら優花受かってたよ!」
「いいのいいの。私面接とか無理だし。向いてないから」
必死に言う愛美に苦笑してひらひらと手を振った。もうそれ以上、何も言わないで欲しかった。
……惨めになる。
別に顔に出るタイプじゃないから、そのまま話題を変えて、たわいもない話をしながら学校へ向かった。
ほっとした顔をした愛美を横目で見ながら。
卒業式は、ろくに話なんて聞いていなかった。教室に集まって先生の話を聞いて、友達と話して、写真を撮って、また遊ぼうね、なんて言ったりして。
人生の中で一回しかない行事で、大事な日で、そんなことはわかってるのに。ずっと上の空だった。
「あ、優花? このあと打ち上げいくよねー?」
荷物をまとめながら問われ頷く。
「一緒に行こーよ」
「あーごめん。ちょっと用事あって。後からすぐ行く」
「えーなになに、告白ぅ?」
何かを言う前に、横から笑い声が起こった。
「まさか、無いでしょ。あの優花だよ?」
「確かに!」
あはは、と笑う友達たちに悪気がないのはわかっている。だから私も合わせて笑った。
友達を見送って、暫くぼうっと座っていた。どれほど時間が経ったのか、すっかり人気の無くなった教室で席を立った。
校内をゆっくりと歩く。教室も、廊下も、どこを見ても──話し声が聞こえてくるみたいだ。染み付いていたはずの私たちの気配は、ほんの数週間で呆気なく薄れていってしまうのだろうけれど。
思い出はそう簡単に消えはしない。
窓から学校の近くに生えている桜の木が見えた。小さな蕾が幾つもある。
まだ満開には随分早い。この花びらが散る頃には、私たちはもう皆ばらばらになっているんだろう。
毎日会うのが当たり前だった人たちに急に簡単に会えなくなるのは、何だか不思議な気持ちだ。いちいち理由が必要になるのは面倒臭くて、変な感じがする。
上靴を脱いで、靴箱に仕舞う。そこで私は手を止めた。
本当に──そのまま、帰るつもり?
そんな声が聞こえた気がして、首を振った。だって……無理じゃん。そんなの、らしくない。
無意識にポケットに突っ込んだ手が、何かに触れた。それを引っ張り出す。
少しくしゃっと潰れた、折り畳まれた紙。
息が詰まった。
どうしよう、どうしよう……どうしよう。
聞き覚えのある声が聞こえてはっとする。慌てて、靴箱に目を走らせる。隣のクラスの、男子の列。あ行──違う、か行──まだ、もうちょっと──……あった。
足音が近づいてきて、考える間もなくその靴箱を開けた。まだ帰っていない。声が聞こえたのだから、わかりきっていたことだけれど。
ばたん、と閉めた直後、声の主が現れた。
「お、優花じゃん。まだ帰ってなかったんか」
「……まあ。そっちも」
「や、そこで待ってたんだけどさ、ちょっと待ってが長いんだよなー。話が盛り上がってるっぽい」
「ああ」
「友達多いのはいいことだけどな、俺ほっとくってひどくねえ?」
文句を言いつつも、その顔は緩んでいて。
靴箱を開けた瞬間動きが止まった。
何度か瞬きをして、ちらとこちらを見る。
「なに?」
「……いや」
不自然に口を噤んで、靴を出す。突っ込まれた紙と一緒に。開かなくても中が見えたのか、言いにくそうに。
「……これ……お前が、入れた?」
「まさか」
「だ、よな?」
肩を竦める。何かを言おうと相手が口を開けて、どん、という衝撃にそっと後ろを振り向いた。
「……愛美」
「ごめんごめん、待った? ていうか、何、どうかした?」
「いや……」
「あ、優花じゃん!」
ぱっと笑う愛美に笑い返して、素早く靴を履いた。
そうだ、早く帰ろう。
「悠くん、それ、何持ってるの? 見せて」
尖った愛美の声に、びくりと肩を揺らす。
「なあに、これ」
「……靴箱に入ってた。名前も書いてないから、誰のかわかんないけど」
「悠くん」
「間違えて入れたのかもしれないし。……んな顔すんなよ。お前が悲しむようなことはしねえから」
ちら、とこちらを見る。私は首を傾げてみせた。
「どうしたの、佐々木」
「いや……」
本当に違うんだよな。
そう問いかけるような目を、私は無視した。
数秒の後、佐々木はその紙を──ぐしゃっと両手で潰した。
ごみ箱に放り捨てて、愛美を見る。
「な?」
「うん、うたがっちゃってごめん。ちょっとだけ……妬いちゃった」
あからさまにほっとした顔をして、照れたように笑う愛美。彼氏じゃなくても可愛いと思った。正直にそう言うことができる彼女が、心底羨ましい。
「ごめんね優花、こんなとこ見せちゃって。行こっ、悠くん」
「……じゃあな」
「うん……ばいばい」
去っていく2人に手を振って、見えなくなるまで待ってから、ごみ箱に手を突っ込んだ。
掃除道具の横にあるそれには、埃が入っていて汚い。ぐしゃぐしゃになった紙は、もうただのごみでしかなかった。
馬鹿なことをした。頭に浮かんだのは、それだけ。
親友の彼氏をとることなんてできるはずない。
──違う。
それはただの建前。自分なんかが愛美に勝てるわけがなかった。そうわかっていたから。言い訳にしていただけ。
可愛くて、性格が良くて、人気者で。
反吐が出るほど、いい子だった。
私の方が先に好きだったのにとか、同じ中学の私の方が長い付き合いなのにとか、そんなことは関係無くて。
私がただぼうっと見つめている間に、あの子は自分で距離を詰めた。
SNSを使わなかったのは、愛美の知らない所でするのは流石に狡いと思ったから。──違う。残るのが嫌だったからだ。愛美に見られたらどうしよう、そう思ったからだ。
嫌だ。気持ち悪い。自分が卑怯過ぎて気分が悪い。
面と向かって言う勇気もなくて、自分にできたのは、ただこれっぽっちのこと。紙とペンで想いを伝える、これだけのこと。
でも、しなきゃよかった。
これはきっと、卑怯な私には当然の罰なんだ。
私はそっと埃まみれの紙を広げた。
折り目がついて捻れた文字。
ずっと、好きです。
握りしめて、踏み躙って、ごみ箱に捨てた。
ただ、わたしはきみを。 花咲夕慕 @yupho
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