紙とペンとで世界を救うお話
大臣
全く、こんなところに話を聞きに来るなんて物好きもいるもんだ。マァいいさ。俺に語れることなんざほとんどねぇよ。
あるところに愚かな男がいた。そいつは物書きだった。紙とペンで世界が救えると信じて疑わなかったやつだった。
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ペンを取らなくなって何日が経ったろうか。最近は食べては寝て、食べては寝て、だ。
原稿を見なくなったから、部屋に明かりが入らなくなった。必要がないからだ。そして、生きるために必要なものだけ食べて、最低限のことだけして、寝る。
——起きていたら、またあの声が聞こえそうで。もう。嫌だったのだ。
「あ、飯がない……」
食材切れか。いっそこのまま朽ち果てようか。そんな考えがよぎった。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
誰だ、こんな時に。
ドアを開けてみると、そこには、隣室に住む女性がいた。久方ぶりに向けられる表情を浮かべているのはわかるが、それがなんだったか忘れてしまった。これ……なんだっけ。
「大丈夫ですか?」
「……なんであなたが不安そうになるんですか」
「いえいえいえ!」
女性は両手をぶんぶんと振り、何もないことをアピール続けた。
「ここ最近、お見かけしていなかったので。ご飯、ちゃんと食べれてますか?」
「……なんでそんなこと心配されなきゃいけないんですか」
「え?」
女性は困惑気味の声を出す。全く。その程度で止まるなら関わろうとするな。
「じゃあ、これで」
「待ってください!」
女性はドアに手を挟んできた。
「ご飯、今日食べましたか?」
「……まだですけど」
「じゃあ!」
女性は明るげな声を出して、口元を緩ませた……この表情、なんだっけな。
「一緒に食べましょう!」
「……はい?」
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結局、10分ほどの押し問答の末、押し切られてしまい、僕は隣室のダイニングにいた。
「ねぇ北野さん」
そう。北野だ。僕の名前は北野。決して、南山なんていう名前の作家じゃない。
「世界って、なんだと思いますか?」
目を見開きそうになって、強引に目を閉じた。でも、頭の蓋は、開かれた。
——ああ、これは。
二度と見たくなかった、あの景色か。
僕の友人に、南山太一というやつがいる。僕のペンネームは、彼の名字を拝借した。いつもいつも僕の作品を先んじて読んでくれて、ミスを指摘してくれる。心優しい友人だ。
———これはダメだ。
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「この作品はダメだ」
「えっ?」
南山は初見でそう言った。
「どうしてだよ」
南山は驚いた風な顔を見せる。
「わからないのか。この作品が書けて」
「……わからないよ」
この作品は、確かに今までとは違う。どちらかといえばデビュー前寄りだ。
今書いている作品は、なるたけわかりやすく、エンタメ性に富んだ作品を作っていた。だが、かつてはメッセージ性に富んだ、考えさせるような作品を書いていた。誰かの救いになるように、世界を救えるように。そう願いを込めていた。今回はそのハイブリッドのようなものだ。だから、大丈夫だと思った。
でも、真っ先に否定。
「昔に戻したからか? 今では求められないからかっ!?」
南山は答えなかった。ただ、「これはやめておけ」とだけ言って、僕の前から去った。
「世界なんて、救えないのかよ……」
そんなことはない。
そう考え、僕は公開に踏み切って、大敗した。南山は正しかった。
————————————————————
「北野さん?」
その声で、現実に引き戻された。そう。いまは質問をされていたのだ。
「……どうだっていいです。そんなこと」
「私は世界って、個人の認識だと思うんです」
彼女は、僕の答えなんて気にしないように話した。その表情は見えない。わからないのではなく見えない。彼女は料理をしていて、背中を向けていたのだ。何かが焼かれる音がする。
「例えば、コロンブスがアメリカに着くまで、ヨーロッパの人の世界平和の定義には、アメリカの平和はなかったはずですよね。でも今では、認識が広がって、世界平和は地球の平和になった。宇宙人が見つかればそこまで含まれるんですかね」
「何が言いたいんですか?」
話が見えない。女性は続けた。
「まとめるならば、世界は救えます」
体が震えた。彼女は、何を知っているんだ。
「誰か一人を救うことは、世界を救うことにつながります。私は、貴方を信じています」
誰だ、誰だ、誰だ誰だ誰だ。
世界を救う。その大言壮語は、作家になってからは口にしていない。こいつは、誰なんだ。
「北野利一」
その名前を聞いて、また驚いた。それは本名ではない。下の名前だけ変えた、ペンネームだ。大昔、学生の頃に使っていた。
「私は貴方の作品に救われました。貴方の物語に、深く、深く同調して、これ以上ないほどに深く。そして、私は、立ち直ることに成功しました」
彼女が振り返る。ああ、思い出した。この表情は笑顔というんだ。この人は確か、僕の同級生の妹で、病気がちて、学校にあまり来ていなくて、でもある時不意に学校によく来るようになった。そんな人。
僕の目の前に料理が出された。ベーコン、レタス、目玉焼き、それにご飯。どちらかといえば朝ごはんなそれとともに、僕は答えを得た。
——これじゃダメだ。
ああ、そうだな。
僕はふっ、と笑うと、彼女を見つめた。
「ありがとうございます。では、いただきます」
「はい、召し上がれ」
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結局、あいつはそのあと、俺の言った意味を理解して、再起した。
あいつには狙い通り世界を救う力はない。多くの心に響くメッセージを持つ作品は作れない。だからこそ、単純なエンタメに寄っていた。だが、あいつは願いを思い出した。でもまだ恐れていたんだ。このメッセージが届くかどうかってな。だからエンタメ半分、メッセージ半分みたいな感じになって、中途半端になっちまった。
だから無理だったんだ。
どちらかに固めれば、あいつは最高の作品を作れる。そして、ある狭い範囲に届けた作品は、その鋭利さゆえに、多くの人の心を刺す事がある。あいつはそんな作家だ。
さ。これでいいだろ。ていうか、話を聞くだけならお前の妹に聞けば良かったんだよ。
あ? 結婚式? 知らねえよ。柄じゃねぇし。だいたい俺は忙しいんだ……新郎側のエピソードが少ない? じゃあ今の話を他のやつに……そもそもそんな奴がいないのか。
はあ……わかった。やってやるよ。
全く、なんでそんな驚いてんだ。俺はお前と、お前の
紙とペンとで世界を救うお話 大臣 @Ministar
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