紙とペンと暴君

lager

紙とペンと暴君

 実験は成功した。


 私は今、噎せ返るような熱気を呼吸している。

 止めどなく汗が流れ出で、一息毎に胸に痛みが走る。

 酸素が濃いのだ。

 見渡す限りの広大な樹林は私たちの常識より遥かに背が高い。

 そこここに花実を咲かせ、その匂いは嗅ぐだけで酔いそうなほどだ。


 地響きが聞こえる。

 聞いたこともない生き物の鳴き声が四方を取り囲んでいる。


 私は今、白亜紀後期の地球にいる。


 実験は成功だった。

 しかし、間違えていた、、、、、、

 私たちを乗せた『方舟』は真中から折れ、どす黒い油を垂れ流しながら煙を上げている。

 この時代に着いた瞬間、謎の電波に襲われた『方舟』は制御を失い、計器を含んだあらゆる電子機器は沈黙した。

 それはまるで、この時代にありうべからざるものの存在を許さない何者かの意思が働いたかのようで、私たちは成す術もなくこの大白亜の時代に着の身着のままで放り出された。


 ああ。

 それでも、私は記録を残さねばならない。


 子供のころからの憧れだったのだ。

 絵本の中で、3DCGの中でしか見たことのなかった存在が、今まさに目の前にいるのだ。

 デバイスはとっくに壊れていた。

 これでは映像を残せない。

 私は今、紙とペンを持ってこの記録を取っている。


 私に絵心がないのが悔やまれる。

 ならば、なるべく事細かに言葉でもって記そう。


 それは、大きい。

 比較できるものがないせいで具体的な長さは分からないが、かつてサウスダコダ州で発見された『Sue』よりも大きいことは間違いない。

 ここまでくるともう全長が見通せない。


 それは、首を傾げた。

 近年の研究で、それは非常に優れた感覚器を備えており、視神経も発達していたと考えられていたが、やはり眼球の回旋には限界があるのだ。

 下方視をしようと思えば、首の向きを変えるしかない。

 鳥と同じだ。


 鳥。そうだ、羽毛がある。

 体の外側を短い羽毛が覆っている。色はオリーブグリーン。

 首周りの毛足が長い。こちらは僅かに色が明るく、艶がある。ターコイズに近い色だ。

 体の内側には殆ど毛がなく、罅割れたアスファルトのような皮膚がむき出しになっている。エレファントスキンだ。


 前肢は、やはり小さい。指は二本。それでも、鋭く尖った爪がひくひくと動いている。

 それに比して、後肢は大きい。踏みしめた地面が深く沈み込んでいるのが分かる。

 しっかりと地を捕らえる爪は、大人一人が跨がれそうなほどだ。


 腥い吐息が私の顔にかかる。

 暖かい。

 やはり体温は相当に高いのだ。彼らの恒温・変温論争に、大きな一石を投じることができる。

 鼻腔が時折開閉している。


 血の匂い。


 牙は、もはや刀剣のようだ。

 否応なく恐怖を喚起させる。

 特徴的なD型の門歯。

 そこに、肉片が挟まっているのが見える。

 オメガの腕時計。

 ジェシーの腕だ。


 かつて流行した恐竜映画に対し、彼ら程のサイズの肉食動物が果たして人間サイズの獲物を捕食しようとするだろうかというイチャモンがつけられたこともあるらしいが、あの映画の内容が、少なくともその一点に関しては正しかったことが証明されたわけだ。


 アンティックゴールドの瞳で私を見下ろしている、彼の名は――


 暴君竜の王。ティラノサウルス・レックス


 私たちは視線を交わした。

 私の足はとうに動かない。

 熱い吐息が顔にかかっている。


 友よ。

 出発前に君が持たせてくれた、このタイムカプセル。

 一万年の経年劣化にも耐えるんだったな。


 なんとかその七千倍ほど、持ってくれはしないだろうか。


 もっと詳しく彼の姿を描きたかったが、どうやら限界のようだ。




 さらば。

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