紙とペンと十円玉と。

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

紙とペンと十円玉と。

「ごめんて。機嫌直してよぉ、さるルンってばぁ」


 私、猿川さるかわカオルは怒っていた。

 目の前で謝りたおしているショートボブの女子高生に、ではない。


「うぅ、本当にごめんね」


 先ほどから謝っている彼女は犬山いぬやまヒロコ、通称『イヌ子』。で、猿川さるかわカオルの私が『さるルン』。犬猿の仲なんて揶揄されることもあるけど、家がお隣同士の私たちはずっとクラスメイトだった。親友になるのはもはや運命でしかなかったと思う。


 今日も昼休みに「放課後、一緒に楽しもうね」と遊ぶ約束を取りつけていた。

 それなのに。


「お、狐狗狸こっくりさんとかやっべー! 中学来のなつかしさ! これ流行ったよなー!」


 小学生のように騒いでる男子高生がどうしてここにいるのだろう。耳障りだ。


「ごめんね、さるルン。約束してたのに……」


 イヌ子は道端の蟻にすら気に掛けるような心優しい子だ。強く頼まれるとうまく断れない性格なのは既知の事実だ。それを腹立たしく思うのは私の心狭いだけなのかもしれない、けど。

 でも。だって。


「せっかく久しぶりの二人きりだと思ったのに」

「え?」

「……なんでもない。さっさとやっちゃうよ!」


 腹を決めて、紙とペンと十円玉を私の机に用意する。紙にはざっくりと五十音表に数字、「はい」「いいえ」のあいだに鳥居マークを書いておいた。


「準備いいスね! ええっと、さるルン?……さんは……」

「猿川です」

「じゃあ、猿川さんはオカルトとか信じるタイプなんすか? あ、俺、学年一個上の鳩野はとのカメオって言います」

「……信じるというか大切にしたい感じですけど。そういう先輩は興味があるんですか?」

「うわ、超興味アリアリなんですけどー♪」

「…………」


 学ランの第一ボタンを外して、スラックスも腰履き……見るからに軽薄そうな男だ。興味あるのは狐狗狸さんではなくイヌ子だろうが、そんなことにはならないしさせない。なぜなら』。『』だから。ソースは正月の御神籤おみくじ調べである。


 ………私たちの間に入ってこようとするなら、一泡吹かせてあげるわ!


 夕日の匂いがする教室で私はそう決心した。




「じゃあ始めるよ……せーのっ」


 十円玉を通して、指先からイヌ子の体温を感じる。もう一つある熱源には目を瞑りながら息を吸う。


「「「狐狗狸さん、狐狗狸さん。どうかおいでください」」」


 すると、十円玉が独りでに動きはじめ「はい」へと進む。

 私たちは顔を見合わせる。


「お狐様の降霊、成功したみたいね。じゃあ、私、イヌ子、先輩の順番で質問していこうと思うけど……二人はちゃんとルール知ってる?」

「そういや、細かいところまでは覚えてねぇな」


 自信ありげに興味あると宣ったのにその程度かと言いたかったが、ぐっと堪えた。


 軽く説明すると、狐狸狗さんとはこちらの質問に指先にある十円玉が独りでに動いてお狐さまが答えてくれる、一種のターニングテーブルだ。

 そして、これには破ってはいけないルールがいくつかある。とくに――。


「お狐さまが帰ってちゃんと狐狗狸さんが終わるまでは絶対に十円玉から指を離しちゃいけないですからね」


 プレイ中に一番注意しなければならないのはこのルールだ。むしろ主催者がいる場合、初心者の守るべきルールはこれだけと言っていい。


 確認もそこそこに、まず例を見せるように私は質問する。


「えー、じゃあイヌ子に……『犬山ヒロコに悪い虫は付いていますか?』」


 理路整然としたその質問に十円玉は『はい』へともう一度向かった。

 私たちは顔を合わせる。


「え、マジマジ? 悪い虫に心当たりある? 犬川さん」

「えーとぉ、……最近は不審者情報の絶えないご時世ですからね」

「うわぁ、俺が守ってやんないとじゃん」


 いや、それがアンタだから!

 遠回しにアンタが邪魔者だって言ったんだよ! 私があえて質問したんだよ! 気付け!


 喉まで出かかった言葉を必死に呑みこむ。夜道通り魔にあったとか、近所でゴミ漁りが出たとか、ナンパ野郎とか、怪しいやつらの噂はそこら中にある。そいつら全員から私はイヌ子を守らなければならないと再確認する。


「次はイヌ子の質問をお願い」

「あ、うん。じゃあ……『私に好きな人はいますか?』」


 再三、十円玉は『はい』へと向かった。

 私たちは顔を合わせる。

 鶴野先輩が神妙な顔になった。


「え、もしかして…………俺か?」


 なんでそうなった?!

 『私には好きな人いるから』って振る常套句でしょ?! 馬鹿にも限度がない?! あまりに馬鹿が過ぎてイヌ子も困り顔になっちゃってるじゃん!


 だんだん頭を抱えたくなってきた。


「あ、次の質問俺かぁ〜! じゃあ前の質問に便乗して……『犬川さんの好きな人の名前はなんですか?』」


 場の空気が変わったのが分かった。

 一瞬静止していた十円玉が動きだして『か』に止まる。そこで私は指先に精一杯力を込めた。


 私の名前は『猿川オル』だ。けれど先輩の名前は、たしか『鶴野メオ』と名乗っていた。

 私は先輩を一瞥する。


「〜♪」


 余裕を人の顔に表したかのような笑顔だった。


 ………先輩コイツッ!


 先輩は力ずくで『め』へと持っていくつもりだ。絶対にさせない。

 が、男女の体格差というものがある。力では先輩に勝てない。今も力の均衡が崩れて十円玉が動きそう。いや、動く、動いてしまう――その時だった。


 ガコッ!


「のわぁ?!」


 先輩が大きく体勢を崩した。そのまま勢いがあまって床に転がる。


「大丈夫ですか、先輩!」


 なにが起こったのか、イヌ子も私も不思議がる。しかし、それは先輩も同じだった。


「な、なんだよ、今の。俺の体がこう……勝手に! まるで……」

「……引っ張られたみたいな?」

「そ、そう!」

「わ、私も引っ張られたように見えましたぁ……」


 三人の意見が一致する。

 二人はそのまま黙った。

 なぜ黙ったのか分かったので、私はあえて口にする。きっと二人の頭のなかで思っていることを。


「もしかして……狐狗狸さんの祟り、とか?」


 その言葉に先輩はあからさまに狼狽える。


「そ、そんな馬鹿なこと!?」

「いえ、分かりませんよ。もしかしたらなにか不正わるいことしようとしていた不届き者にバチを落としたのかも」

「いやいやいやいや! そんなことあるわけが……!」

「まぁ、お狐さまにとってどんな悪いことがあったかは私も預かり知りませんけど、たしかなことが一つだけあります」

「な、なんだよ」


 おそるおそる先輩は訊いてきた。


ということです」


 鶴野先輩の顔は見る見るうちに蒼白になった。


「え、こわいこわいこわいこわい。こわぁーああー!」


 叫ぶその勢いのまま、教室から出ていってしまった。

 教室に残された私たちは顔を見合わせる。続行できる空気ではなかった。私から狐狗狸さんを終わらせることを提案すると、イヌ子も頷いた。


「でも……」

「ん?」


 イヌ子はなにか言いたげな顔をしていた。


「あの、あのね。狐狗狸さんは失敗したけど、呪われちゃったかもしれないけど……でも、だからこそせめて供養だけはルール通りちゃんとしたいな……って」


 イヌ子が言うように、狐狗狸さんにはプレイ後のルールが存在する。狐狗狸さんで使ったものは処分しなくてはならないのだ。紙はその日のうちに細かく破り捨てる、十円玉は三日以内に使わなければならない……など、それぞれに処分する決まりがある。


「これらは私がちゃんと処理しておくから安心して。イヌ子」

「うん……お願いね、さるルン」

「じゃあ、終わらせるね」


「「狐狗狸さん、狐狗狸さん。どうかお帰りください」」


 この日の帰り道は、手を繋ぎながら歩いた。まるで中学生のころに戻ったようになつかしくてセピア色で、そして温かかった。






 家に帰ると辺りはすっかり暗くなっていた。

 自室のベッドに倒れこんで目を閉じる。そして、先輩の逃げだすときの顔を思い出して――苦笑する。


「ルールを破ってないのに狐狗狸さんの祟りなわけないでしょ……ふふっ」


 私にはその確信があった。

 だってアレは事前に机の金具に細工しておいただけの、私が仕組んだことなのだから。始める前から天板が傾くことは分かっていた。まぁ、体勢を崩すのは元々イヌ子の予定だったが。


「“使ったものは処分しなきゃいけない”……か」


 紙とペンと十円玉をカバンから取りだす。用意しておいた真空パックの中へ移しかえて、そして画鋲で壁に貼りつけた。


「ルールを破るとペナルティがある。だから、そう。だよね……?」


 捨てるなんてもったいない。これは。大切に保存しなくちゃ。


 藁人形、二人分の正月の御神籤、お守り……私の部屋の壁にはイヌ子との今までの思い出キズナがびっしりと並んでいる。苦も楽も一緒に分け合ってきた証拠が、そこにあるのだ。


「一緒に呪われようね、イヌ子」


 それで私は満足なのだ。


 でも、これだけじゃまだ不完全だ。二人の呪いを完全なものにするにはもう少し頑張らなければ。


 イヌ子と私の髪が編みこまれた藁人形ぬいぐるみを抱き寄せる。


使ったものセンパイは処分しなきゃ。ね、イヌ子っ♪」









 ガサリッ、ゴソリッと。

 フードを深く被りながらゴミ捨て場を漁る。


「あったぁ♪」


 お目当てのものを見つける。コレクションがまた増えた瞬間だった。


「でも、使った紙とペンがないや……ということは、やっぱり。二人が使用したモノを集めてるんだね、ふふっ♪」


 ゴミを漁りながら観察する。彼女にも収集癖があるなんてこれはきっと運命だ。


「運勢がどんなに『ふこう』でも、二人なら幸せに変えられるってことだよね」


 その証明であるこのゴミ袋に私は頬擦りをしたかった。私にとってはそれだけ、これは愛情が詰まったものなのだ。


「だから……処分したものセンパイたちは私が大事に拾ってあげる。ね、さるルンっ♪」

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紙とペンと十円玉と。 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi

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