紙とペンと兄弟と

肥前ロンズ

食卓の伝言

 メモ帳ぐらいの大きさの付箋に、水性インクの名前ペン。書いた付箋は、テーブルか冷蔵庫に貼る。それが幼かったころ、仕事で忙しい父親とのコミュニケーションだった。

 七歳になった頃、父は再婚。新しく母親になったその人は、俺より二歳年上の信也を連れてきて。

 一人で留守番していた俺は、今度は信也と二人で晩飯をとって、両親宛ての伝言を書いてから寝るようになった。


 それから十年。信也は大学一年生、俺は高校二年生。

 実家を離れ、一人暮らしする信也の家に転がり込んだ俺は、メモ帳とボールペンで信也と会話をしている。

『今日は早いのでもう出ます』はいはい、早朝バイトね。『ごはん作ったから、あきらはちゃんと食べること』はいはい、食べますよ。わざわざダイニングテーブルと冷蔵庫に分けて貼ってくれてありがとう。

 冷蔵庫を開けると、ラップがかかった小鉢が置いてある。中はトマトと鶏肉のサラダだった。

 ――まったく、大学生だって忙しいだろうに。


                  ◆


 俺と信也は、性格はあまり似ていない(元々赤の他人なわけだから当然だけど)。けれど誰よりもウマが合い、兄弟と言うより親友という感じで育った。

 実家はここから電車で三十分もかからない場所。高校の距離はあまり変わらない。なのに信也の家に世話になっているのは、恥ずかしい話、寂しくなったというのが一つあったりする。


「あ、あのさあきら……今日、時間空いてる? 話が、あるんだけど」


 帰ろうとした時、藤崎に呼び止められた。何時もはハキハキ喋る彼女が、どことなく硬い。何か相談事があるのかと思った俺は、いいよ、と答え、今日はもう家にいるであろう信也にメールを送った。


『ちょっと寄り道する。帰りに卵と牛乳買うけど、他になんか必要ある?』


 ……暫く待ったが、返信が来ない。何時もならすぐ来るのに。

 まあそういう日もある、相談が終わった頃には返信が来るだろう、と諦め、俺たちは有名な某コーヒー店に向かった。学校から近いこの場所は、よく体育祭や文化祭の打ち合わせに使われる。俺と藤崎は、委員会関係でよくここを利用していた。

 今日は人も少なく、同じ制服の奴は見当たらない。


「……あのさ、進路の話だけど」

「うん?」

「あ、晶はその、地元に残る派? それとも、別のところに行く?」


 ……進路の相談か? いやまあ、高校二年なんだから考え始める奴もいるだろうけど。


「……まあ、受かればだけど。地元の国立に」

「そうなんだ!!」


 よかったあ、と藤崎が呟いた。「晶頭いいもんね。晶なら国立受かるよ」

 それから藤崎は暫く黙っていた。言い出しにくいことなのか、と思って、俺は先回りしてみた。


「勉強の相談か?」

「あ、いや! そうじゃなくて……」


 やっぱ違うか。藤崎真面目だしな。

 じゃあ後何だ? と思った時、バイブ音が鳴った。信也からメールのようだ。

 藤崎が喋るまで時間がかかりそうだと判断した俺はメールを開いた。同時に、藤崎が意を決してこう言った。




「好きな人が、どんな大学に行くか、知りたかったから……」

『晶発見~。俺も今、店にいるんだ』



 ガバ、と顔を上げる。

 そこには、顔を真っ赤にした藤崎と、その向こうにものすごく気まずそうに立っていた信也の姿があった。












「ごめん……。ま、まさか、告白現場だとは思わなくて」

「…………いや、いいんだけどさ」


 ホントはあんまりよくないんだが、あれは運が悪いだけで、誰のせいでもない。

 藤崎は俺の視線を追って信也に気づいてしまい(藤崎は友人の中でも信也を知っている数少ない奴だ)、慌てて店を出てしまった。後に届いたメールは『こんな風に告白してごめん! 返事はしなくていいから! 明日普通にしてくれると嬉しいです!!』。……こっちこそ本当ごめん。


「……いいから飯食おうぜ、飯」とりあえずこのまま話を続行するとゴリゴリ精神が削られそうだ。「焼きそばで良い?」

「え、うん。……晶、何かと焼きそば作るよね」

「一番簡単にできるからな」


 分量とかあんまり考えなくても作れるし。早いし。もう今日は色々疲れた。玉ねぎの皮剥くよ、と信也が言ったのでお任せする。


「そーいや、信也が家で最初に作ったのも焼きそばだったよな」

「え、そうだっけ? カレーじゃない?」

「うんにゃ、焼きそばだった。母さんが書いたメモ見ながら作ってただろ」

「あ~……そうだった、かも?」


 よし、話が逸れてきた。これでそのまま思い出話の方にシフト――「で、付き合うの?」……しなかった。



「あのなあ、ニイチャン。思春期真っただ中の弟がカノジョの報告兄にするかフツウ?」

「え~、してもいいと思うけど」

「……信也だって、カノジョの報告しなかっただろ」



 あれは三か月ぐらい前のこと。

 家に帰ると、清楚系な女子大生がいた。ダイニングテーブルにはコップが二つあったから、普通にお茶していただけなんだろう。

 だが、突然のことに俺はもう色々混乱して、「ゴユックリ」と部屋を飛び出した。どれくらい外にいればいいのかわからなくて、とりあえず近くの喫茶店で暇をつぶしていたんだが、「帰りが遅い!」と迎えに来た信也に怒られた。いや俺気遣ってたんだけど。っていうか高校生が七時までいたって別によくね?



「あの時は晶を紹介したかったんだよ。なのに逃げたから紹介できなかったじゃないか」

「だったら余計に知らせろや! ってか弟紹介するって重たくねえかそれ⁉ フラれるぞ!」

「あはは、あたり。もうフラれちゃった」


 ジュ、と油の跳ねる音が、酷く響いた。

「…………ごめん」


「なんだ突然」

「俺がここに居座ってるからだよな、それ」


 せっかく一人暮らし出来たのに、俺が転がり込んだから彼女を連れて来られないのだ。というか冷静になって考えると、バイトと大学以外はほぼこの部屋で俺と過ごしている。いつフラれたんだかわからないが、少なくとも三か月前だってそうだ。そりゃー、カノジョからしたら不愉快だろ。カノジョより弟優先ってなんじゃそりゃ。俺がカノジョならブラコンすぎて引くわ。

 ……けど俺は、そうやって信也に言うことは出来ない。



「あんた、俺が居場所がないこと知ってたから、ここに置いてくれたんだろ」



 血の繋がりがあるからと言って、相性がいいとは限らない。

 中学に上がった頃から、俺と父親は激しく対立した。喧嘩のタネは礼儀だったり口の利き方だったり些細なことばっかだが、それに続く言葉はいつも同じ「だからお前はダメなんだ」「育て方を間違えた」。父親はかなり意固地で、俺が折れることも考えたが、やめた。

 父親の頭の中は未だに幼い俺なのかもしれない。だがもう、父親の言うことを健気に守って、メモ帳に書く晶はいない。

 父親なんて大嫌いだ。

 けど、世の中的には、悪人ってほどのやつじゃない。キレると厄介だが、それでも殴る蹴るはしたことない。ただ、共感力にものすごく乏しい。それが母親には辛かったのだろう。彼女が偏頭痛に悩まされたのは、俺が中学に上がる頃。

 ネットで探し、彼女は『カッサンドラ症候群』でないかと俺は思った。これは厳密には病気じゃないけど、まあ病気みたいなもんだ。パートナーから共感を得られず、さらに周囲に相談しても深刻さが伝わらず、孤独になって体調を崩していく。俺はいくつかのサイトを彼女に見せた。それを読み上げる度、彼女の表情は、晴れ晴れとしていた。

 ……高校に上がった頃、母親が見知らぬ男性と歩いているのを見つけた。後から聞くと、大学時代の友人らしい。

 彼女はとても、楽しそうだった。


 近々、両親は離婚するだろう。

 その時、俺たちはどうなるんだろうか。養子縁組はしてないから、法律上すら俺たちは兄弟じゃない。離婚すれば他人なら、最初から血の繋がりのない俺たちも他人か。そう考えると、とても怖かった。

 ブラコンなのは俺の方だ。それも、幼い頃の寂しさとか家族に対するコンプレックスとかがぐつぐつに煮えて、ありえないほど信也に依存している。

 藤崎に告白されて、曖昧になった時。本当にほっとした。藤崎のことは好きだ。でもきっと、この執着以上を越えることはないとどこかでわかっている。

 それでも、このままでいいとも思っていない。



「迷惑なら言ってくれ。そうしたら、家に帰「らなくていい!」……遮るなよ」


 信也は良い奴だからそう言うだろうとは思ってたけど。優しいだけじゃダメだろ、自分のことも考えろよ。あんたはすぐ兄貴ぶるけど、元々二歳しか歳の差ないんだぜ。血の繋がりどころか法律上だって怪しい弟の不安とかに付き合わなくたっていい。

 そう言おうと思ったのに、信也の怒りに押されて口をつぐむ。



「あんなあ、俺がこの部屋借りたのだって、晶と住むためだよ!」

「……はあ⁉」

「一人を満喫したかったら、もっと地元離れた大学に通ってる!」


 何のために君の高校の近くに住んでると思ってんだ! と、荒々しく答えた後、それに、と静かに言った。


「……俺は恋人でも、晶を蔑ろにする人とは一緒にいたくない」

「いや、蔑ろにはしねえだろ。ただ、たまには二人きりで部屋にいたい時だってあるだろ? そういう時はいっぺん家に帰るって」

「でも実家は、晶嫌だろ」

「……まあ、嫌だけど」

「なら、ここにいろ」信也ははっきりと答えた。

「そんな人たちと、晶をいさせたくないんだ。一秒たりとも」


 その言葉に、なんと返していいのかわからず。

 いつの間にか、焼きそばは出来上がっていた。







 ……父親宛てに書くのが嫌だった。書くことなんて殆どなかったから。けれど、信也と一緒に書くと、一枚じゃ足りないぐらいになった。

 昔とは違い、信也と過ごす時間は圧倒的に短い。

 けれどもう、昔の様に寂しくはなかった。


  ぼーっとしていたらしい。気づいたら、お茶作るの忘れたと、ガスコンロの前から追い出されていた。

 慌てて俺は濡らした台ふきんを絞る。


「……なあ、もう俺たちでケッコンする?」

「はあ? 何言ってんの」

 良いから机拭いて、と信也が言う。

 はいはいと、俺は机を拭く前に、今朝貼られた食卓の伝言を剥がすのだった。

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紙とペンと兄弟と 肥前ロンズ @misora2222

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