第5話 海来と紫雨

「ねぇ、なーちゃん。起きて、なーちゃん」

 体を力強く揺すられていた。

 瞼を開けると車の中だった。運転席に葉山さんが座っていて、まっすぐ道路を見つめていた。

 右隣に視線を向けると海来がいた。萌葱色のイブニングドレスの上にベージュ色のコートを羽織っている。どうやらさっきから僕の体を揺すっていたようだ。

「なーちゃんぐっすり寝ていたね。ミイ様の夢でも見ていた?」

「そんなわけあるか」

 窓の外に目を向ける。

「もうすぐ高速道路を降ります」と葉山さんは教えてくれた。

 ちらっと時計を見ると夜にさしかかる時間帯だった。

「海来お嬢様、お迎えはどういたしましょう?」

「うーん、こういうパーティって終わるのが遅いからねー。タクシーを呼ぼうかなー」

「海来お嬢様、遠慮なさる必要はありません。葉山は夜中でも起きております。それに、安全上の問題もございますので」

「なーちゃんがいるから大丈夫だよ。ちゃんとしているみたいだしね」

 拳銃とナイフを装備したことを海来には黙っていたけど、バレたかな。

「あれ、ハズレだった? 触ればわかるけどね」と海来は僕の胸を触るように腕を伸ばしてきた。

「どこ触ろうとしているんだよ」

 彼女の手を掴み、やんわりとその方向を変える。

「やった、なーちゃんが自らミイの手を掴んできた。うれしい」

 海来は指を絡ませるようにして、握り返してくる。

 その様子を見た葉山さんは「はぁ」とため息をつく。

「・・・頼みましたよ」

「りょ、了解しました」

 

 僕たちを乗せた車は高速道路を降り、森を突き抜ける幹線道路を走った。

 都心から一時間も離れていないのに、こうして森と山がある。

「パーティ会場って、こんな山の中にあるのか」

 一応ここは主要道路なので、道は整備されていてトラックの往来もある。ただ、民家が一切見当たらない。

「山を一つも二つも持っている人が主催者だからね。山の中に暮らしているんじゃないかな。ミイはイヤだけど」

 車は脇道に入る。

「このあたりから私有地かな、なーちゃん」

「そうだね」

 脇道へ入る時に『私有地につき無断進入禁止』と書かれた看板を目にした。

「着きました」

 葉山さんの言葉に合わせて視線を正面に向ける。

 僕たちの進む方向には明るく照らされた西洋建築があった。


 車は鋼鉄の門をくぐり抜け、建物の真ん前に停車した。

「降りるから手を離してくれ」

「えー」と海来は渋々手を離してくれた。

 後部座席のドアを小さく開けて、そっと地面に降りる。その時、あたりを見渡すようにして周囲を警戒する。問題ないようだ。

 海来が出られるようにドアを大きく開けて、車内に残っている彼女に手を差し出す。

「ありがとう、なーちゃん」

 差し出した手を海来は掴む。

「それでは、海来お嬢様、くれぐれもお気をつけてくださいませ」

 そして葉山さんは車と共に走り去った。

 五月になったとはいえ、夜は寒い。建物の真正面に降ろしてもらったけれども、実際に建物に入るまでは十段ほどの階段を登らないといけないのだ。

「中に入ろうか」

 うん、という返事の代わりに、海来は左手を差し出した。

「紳士はレディをエスコートするんだよ、なーちゃん」

「僕はボディーガードじゃなかったのか?」

「今日のなーちゃんは、ミイのボディーガード兼紳士なのです」

「そうですか」と言って、差し出された手をそっと握った。すると、海来は僕の腕に巻き付くように腕を絡めてきた。

「ちょっと歩きにくいんだけど」

「今からなーちゃんに新しい役職を与える。なーちゃんはミイの恋人!だからべったりベタベタするの」

「恥ずかしいから人前であまりくっつくなよ」

 海来は珍しくヒールのある靴を履いているので、彼女を支えながらゆっくりと確実に階段を登る。階段の頂上にたどり着いた時、正面玄関が開かれた。


 係の案内によりパーティの開かれている大宴会場に行き着いた。

「わぁー、なーちゃん、人がいっぱい」

 豪華なドレスやスーツで身を着飾った人たちがたくさんいた。その間を縫うようにして、給仕係は飲み物を配っていた。

「立食パーティなんだな」

「あれ、ミイ、言わなかったっけ?」

「聞いていないし、言っていない」

 パーティの招待客としては、会場の中心で談義を繰り広げている他の招待客に注目するのが正解なんだろうけれど、としては、会場内に控えるようにして佇むたちが気になる。

「海来、よく来てくれたわね」

 慣れない会場の空気に押されて、入り口付近で立ちすくんでいたところを呼びかけられた。

「・・・紫雨姉さま」

 海来は呼びかけてきた人――紫雨から隠れるようにして僕の背中の後ろに回る。

「なおくんも、来てくれてありがとう」

「どうも・・・あれ? 紫雨は今日参加しないんじゃ・・・」

 記憶を三日前まで遡る。確か、当初は紫雨がこのパーティに呼ばれたんだけど、事情があって出られなくなったため、海来が参加することにしたのだった。そして、その付添として僕が同行することになった。

「アベックなのに、海来からなんも聞いていないのね。私はちゃんとした正当な招待客よ」

「恋人同士かどうかは別として・・・ということは、海来」

「(・・・なーちゃんをだますつもりはなかった)」

 僕の背中に向かってなにかボソボソとつぶやいたけど、よく聞き取れなかった。

「それより、聞きなさい、海来」

 紫雨は僕の真ん前に踏み込む。彼女のキリッとした大きな瞳に見つめられる。

「ちゃんと、なおくんのしつけをしないと、私が取っちゃうからね」

 紫雨は僕の胸へ手を伸ばそうとする。

「だめ! なーちゃんはミイのものだから、紫雨姉さまには絶対にあげないし触らせないし、飲んでも食べてもいけないから」

 海来は僕を紫雨から引き離すよう腕を引っ張る。飲むとか食べるとかどういうことだ。

「なおくんも、紫雨姉さまは危険だから近づいちゃだめだからね」

「はっ、はー」

 そして、お叱りを受ける。

「『危険』だって、ふふ。言うようになったわね、海来」

 海来はまた隠れるように僕の背中にすがる。

 その様子を見た紫雨は、すたすたと近づき、海来の耳に何かをささやく。すると、僕の背中を握っていた手が徐々に緩み、離れる。

「海来、主催者へ挨拶をしに行きなさい」

「・・・はい」

 海来はゆっくりと談義の輪が開かれている会場の中心へ歩いていった。

「おい、海来」

 追いかけよう踏み出したところで、

「なおくんはこっちよ」と紫雨に腕を掴まれた。

「ちょっとお話しましょう。ちゃんと海来に許可をとったから」

「なんなんだよ、さっきから」

「うん? 女同士にはね秘密の一つや二つあるわよ」

 紫雨はにっこりと笑う。この笑顔にいったい何人の男が騙され、誑かされたのだろうか。そんなことを考える暇もなく、別室へと連れて行かれた。

 海来は大丈夫だろうか。


「海来のことは安心しなさい。〈機関〉の護衛が付いているから」

 会場から文字通り引っ張り出されて、近くの応接室に押し込まれた。

「・・・監視の間違いではなく」

「護衛よ。〈機関〉以外の手によってあの子が傷つけられては、〈機関〉も困っちゃうからね」

 ということは、〈機関〉は海来を傷つけることも殺すこともできるということか。

「なおくんもずいぶん海来に入れ込んでいるのね」

 反論しようと思ったところで、紫雨は部下と思われる給仕係からグラスに入った赤ワインを受け取った。

「なおくんの分もあるけど、飲む?」

「仕事中なのでお断りします」

「そう、ならコーヒーでも飲みなさい」

 ほどなくしてコーヒーが運ばれた。

「なんの話だっけ、そう、なおくんはずいぶん海来に惚れ込んでいるわね」

「『入れ込んでいる』が『惚れ込んでいる』に変化してますよ」

「ねぇ、私の側につかない?」

 紫雨は僕と彼女の間にあったローテーブルに手を付き、ぐっと体と顔を近づけてきた。

「私につくと、きっといいことがあるわよ」

 紫雨のイブニングドレスは背中側だけでなく、前すなわち胸元も大きく開けている。そして、控え目に言ってもだった。彼女は海来と違い、成長した体型をお持ちなので、海来といる以上に目のやり場に困る。

「なーに、まさか他の女に迫られたことないの? 海来と毎日イチャイチャしているのに」

 どうやら目をそらしていたことがバレたようだ。後、別に海来と毎日イチャイチャしているわけではない。というか、イチャイチャをしていない。

「・・・今の雇い主は〈本家〉なので、その命令があればやりますよ」

「つまんない男だわ」

 紫雨は引き下がり、一人用ソファにゆったりと座り込む。

「ねぇ、なおくん」

「何でしょうか?」

「〈本家〉が海来を殺せと命じたら、どうする?」

 どうする? どういうこと?

「・・・詮無きことを聞いたわね。答えなくていいわ」

 紫雨はぐぃっとワイングラスを傾ける。すかさず、給仕が新しいグラスを運んできた。

「ねぇ、海来のことが好きなの?」

「質問の意図がわからないんですが」

「私の興味関心。素直に答えて」

「イヤだと答えたら」

「命令するわ。海来のことが好きなの?」

「好き・・・だと答えたらどうします?」

「・・・質問を質問で返すのは卑怯よ」

「僕にも質問をする機会があってもいいと思います」

「本当に海来あの子のことが好きなのね」

「はい」

「なおくんは恥も一切ないのね。それだけ本物ってことか。

 まあ、聞くほどのことでもなかったからね。

 それで、何回やったの?」

「やった? 何を?」

「ちょっと、言わせないでよ。毎晩仲良くんでしょ」

 紫雨のこの発言で、今ものすごく強烈なデジャヴを感じた。

「葉山さんによく相談するといいわ。あの人いろんなテクニックを教えてくれるから」

 なんのテクニックだよ!? って、わかった、葉山さんの変態っぷりの元凶は紫雨、お前か!!

「さて、本題へ入ろうか」

「〈機関〉は今どうなってる?」

「なに? 機関について――なおくんがいた時からはあまり変わっていないわ。強いて言えば、規模がちょっと小さくなったかな。効率化したから人員を減らした、ともいえる。まぁ、ようするにいつも通りだよ」

「そうですか」

「さて、本題だけど――海来のどういうところが好きなの?」

「・・・早く本題に入ってください」

「えー、これだって十分本題だよ」

「海来が待っているんですよ」

「まったく、嫌な男ね。こんな美人が目の前にいて他の子のことを考えているんだから」

「・・・紫雨は海来のことをどう思っているんですか?」

「うん、なに? 本題に入りたかったんじゃないの?」

「いや、なんでもないです。気にしないでください」

「一人の人間としては、かわいい妹よ。〈本家〉の一員としては、敵」

「・・・敵、ですか」

「そう、敵。同じ〈本家〉を背負うものとして、敵と見ているわ」

「味方ではなく?」

「いや、敵。これはね〈本家〉の一員じゃないとどうしても理解できないことだから、なおくんはあまり気にしなくていいよ」

「いや」

「・・・いや?」

「海来自身は〈本家〉とか〈機関〉とか敵とか味方とかを気にしていないと思う。ただ、海来の周囲には常にがいることは認めざるをえない。そういう人たちの策に巻き込まれた時、彼女の側にいるからには気にしない訳にはいかないんだ」

「いやーん、かっこいい。惚れちゃうわ、海来の姉として羨ましい」

「はぁー」

「なら本気で話さないとね」

「いつも本気で話してくださいよ」

「だって、面倒くさいんだもん。分かるでしょ」

 分かる。本気になるのは面倒くさい。

 そして、ここからの話は面倒くさいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラウンド・サークル 青木ヤギ @yagiyagirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る