第4話 思い出

 はじめて〈本家〉と接触コンタクトしたのはいつだっただろうか。海来とはじめて顔を合わせた時だったか、それより前の英国イギリス留学時代たったか、それとも〈機関〉に所属していた時だったか、もしかして僕が生まれて間もない時だったのか。記憶を遡りながらあれこれと思い巡らす。

 どうやら思い出せないらしい。

 どうせそれは思い出す必要のないほどの取るに足りない出来事だ。


 〈本家〉との関わりで覚えていることがある。恐らく一生忘れることのないことだろう。なにせそれは、僕が海来と出会うきっかけとなった出来事だからだ。

 しかし、この出来事は「ボーイ・ミーツ・ガール」小説のように、ある日ボーイ(僕)が慌てて学校まで自転車を漕いでいたら、歩道を歩いていたガール(海来)に衝突してしまったという、劇的でロマンチックな出来事ではない。むしろ、事務的で色も香りもない、語るほどのない出来事である。

 とはいえ、僕と海来が出会うきっかけとなったのは事実である。事実は現実の事柄として真摯に受け止めなければならない。


 〈機関〉の指示により、英国へ留学していた頃の話である。地元の大学に籍を置き、授業を履修しながら、〈機関〉の業務を行っていた。

 その日はちょうど英国王室バッキンガムからの帰りであった。ロンドンにしては珍しく雲一つ無い青い空が広がっていたものの、最高気温は低かった。コートの襟をぐっと引き上げてドボドボと自分のフラットアパートへ向かった。


 宮殿を後にして五分くらい経った時だった。

――尾行されているな。

 その尾行は一人によるものではなく、効率よく入れ替わりながら複数人によって行われていた。

――手慣れている。

 〈機関〉の仕事をする関係上、他の組織に目をつけられることが多々ある。今回もその内の一つによるものだろうか。

――自分の拠点をあからさまに教えるのは少し納得がいかない。それにの状況も知りたいから少し仕掛けてみるか。

 大英博物館の方へ足を向ける。

 

 バッキンガムから離れるにつれて尾行者が増えていく。そしてはまるで僕をに配置されている。もし彼らの背後に英国政府がいるとするならば、宮殿から出るとき、もしくは宮殿から出た直後に、に仕掛ければいい。こうして人通りの少ない路地裏で包囲網を一気に狭めようとする所をみると、彼らは英国政府と異なる組織である可能性が高い。

――思い切って接触してみるか

 ベルトに取り付けた戦闘用ナイフをこっそりと確認する。太陽が高いうちから戦闘騒ぎになることはないと思うが、用心するに越したことはない。

 立ち止まる。

 前方のからスーツとコートをきっちりと着た二人の男が歩いてくる。

「地下鉄の駅まで行きたいんだけど、道を教えてくれますか?」と二人組に向かってで問いかける。

「トウドウを知っているか?」と片方がで答えた。

 彼らは僕が日本人だとわかって日本語で問いかけたのか。それとも、ただの偶然か。一体、彼らは僕についでどれだけのことを知っているのか。

 口をまだ開いていない男は、自分のコートの中に手を入れようとする。僕はその動きに釣られること、じっと見つめている。その男は上着の中に一度手を入れ、胸ポケットのあたりから何かを取り出し、そして周囲を気にしながら、取り出した小さな金属片をちらっと見せつける。

 その金属片――バッジには桐と藤の紋章が彫られていた。

「トウドウがあなたを呼んでおります」と最初に話しかけてきた男がまた口を開いた。

 統率のとれた高度な尾行技術、バッジの紋章、そして「トウドウ」の名前、彼らは〈機関〉の一員だ。

「行き方を知りたいんだけど?」英語で話し続ける。

 最初の男はポケットからボールペンとメモ用紙を取り出し、何かを書き込む。それを二つ折りにし、僕に手渡す。

 さっと受け取り、軽く会釈をしながら地下鉄の駅へと足早に向かう。

 尾行はされなかった。


 貰った紙にはロンドン市内の高級ホテルの名前が記されていた。地下鉄を乗り継ぎ、その場所へと向かう。

――ホテルに行けば待ち合わせ場所を教えてくれるのかな。

 トウドウ――桐藤とうどう紫雨は、〈機関〉を統べる〈統合委員会〉の一人である。そして、僕を英国へ行くように命じた張本人である。

 指定されたホテルに着き、入口でドアマンに恭しくお辞儀をされながら、ロビーに踏み込む。

――さて、どうしようかな。

 ロビー全体を見渡しながら、出入口の真ん前で立ち止まった。

 ベージュ色のコートを着た人が大柄の男が外へ出ようとする。

「おっと、すみません」

 うっかりその通行人に肩をぶつけてしまった。

「失礼いたしました。」

 通行人は軽く会釈をして、ホテルから出て行ってしまった。

 握られた右手を開く。

 中には小さな紙切れが入っていた。先ほど、通行人とぶつかった時に、この紙切れを手の中に押し込まれた。どうやらも〈機関〉の一員のようだ。


 紙切れには部屋の番号とクジラのイラストが書かれていた。エレベーターに乗り込み、部屋のあるフロアへと昇る。

 ここはという言葉が付くホテルなので、最低ランクの部屋に泊まっても中堅ホテル以上のサービスが受けられる。言うまでも無く、室内の調度品は他と一線を画している。

 鉄の扉が開き、エレベーターから降りる。ホコリ一つ無い絨毯敷きの廊下を歩きながら、指定された部屋を探す。

 コンコン

 扉を軽くノックをする。すぐさま扉が小さく開いた。

 エレベーターに乗っている間に、貰った紙切れの裏に三つの数字を書き込んだ。その紙切れを小さく開いた隙間を通じて相手に手渡す。

 扉の向こう側で微かに人が動いた。

 扉が大きく開く。どうやら入室の許可が降りたようだ。


 扉を開けてくれた人とその隣に控えていたのは、いずれもスーツをきっちりと着た強靱な男たちだった。

 彼らに会釈をして、部屋の奥へと進む。肘掛け椅子にゆったりと、それも上品に座っている令嬢がいた。

「ちゃんと来たわね、なおくん」

「エグゼクティブ・ルームかと思っていましたよ」

「私が泊まる部屋としてちゃんと抑えてあるわよ」

 指定された一室は中間層向けの部屋であり、〈機関〉の上層部に所属する人が宿泊するような部屋ではない。

「人を使ってまでして、何の用ですか?」

「今日からクビよ」

「・・・はぁー、そうですか」

「あまり驚かないのね」

「驚いていますよ。

 今ちょうど『再就職先を探さないといけないなー、雇ってくれる所があるかなー、お世話になって人たちに挨拶もしないといけないなー、とりあえず忙しくなるなー』と思っていたところです」

「安心しなさい。再就職先も雇ってくれる所も挨拶回りもとりあえずの忙しさも、全て引き受けるわ」

「ほー、それはうれしいね」

「だいたい、なおくんのような人が再就職できるわけがないじゃん。そもそも再就職するためのが無いのだから」

 紫雨は最後の一文を皮肉っぽく言う。

 つまりは、クビを切りたい時はにクビを切りますよ、という意味らしい。〈機関〉にふさわしい対応というか、そういうやり口だってわかっていたよ。

「引き受けてくれるということは、もう行き先が決まったってことですか?」

「鋭いわね――ってだれでもわかるか。そうよ、なおくん、あなたはね今日から〈本家〉勤めになるからよろしくね」

 〈本家〉とは〈機関〉に加盟する一組織で、紫雨の所属するところである。

「確か、なおくん今も仕事を抱えているよね。それが終わったら直ちに日本に帰国しなさい」

「・・・帰国、ですか」

「そう、日本に戻るの。

 私の都合でロンドンへ行かせておいて悪いんだけど、今度は日本よ」

「日本、か」

「日本は嫌い?」

「いや、なんと言うか、逃げるようにして日本を飛び立ったから、あまりいい思い出が無い」

 というか、思い出そのものが無い。

「そう、じゃあこれからたくさん思い出をつくるといいわね」

 御世辞で言っているのだろうか。

「折角なので、帰国してからのことを話すわ。ここからは主に私個人というより〈本家〉からの指示なんだけど、に会ってもらうわ。そして、そのの警護というか、〈本家〉の言い方ではになってもらうわ。よろしく」

「よろしく・・・って、漠然としていますね」

「今までと毛色の違った任務ではあるね。むしろ今までがだったとも言えるけれど、一応これが本家からのだわ」

「・・・わかりました」

「まぁ、まず私からの命令に従ってもらうわ。

 早急に今の任務を終わらせて、日本に帰国すること。ただし、今日から六ヶ月経った時点で、任務の遂行状況に関係なく、直ちに帰国すること。いいわね」

「了解です」

 紫雨の下を後にした。


 紫雨と接触した時から三ヶ月が過ぎた頃に抱えていた全ての任務を終えることができた。帰国する前に、一度、紫雨に連絡をとった。彼女と相談の末、日本での新生活のことも考えて、帰国をそれから一ヶ月遅らすことにした。


 日本の大地を踏んだのは十一月になってからだった。


 そして、その一ヶ月後、十二月二十五日クリスマス――海来と出会った。


 海来との面会は〈本家〉の屋敷の一室で行われた。

 屋敷に着いた時、紫雨の執事を務めていた葉山さんの案内で応接室に通された。そこで、紫雨から海来の事を聞かされた。そして、葉山さんを含めた三人で屋敷の玄関口へと向かった。

 この屋敷は上階へと繋がる階段を玄関のあるホールにも設けていて、その階段をゆっくりとだぼだぼなTシャツとズボンを着た人が降りてきた。

 女の子だった。

 豪華絢爛とした屋敷に不釣合な格好をした女の子が危なげなく階段を降りてきた。

 それが海来だった。

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