紙とペンと信じられない程巨大なカブトムシ

枯れ井戸

信じられない程巨大なカブトムシ

 あれは確か、小学五年生の夏。

 ばあちゃんちの裏庭のクヌギの木。

 僕は信じられない程巨大なカブトムシを見た。

 これはあとからわかったのだけど当時、つまり小学五年生の頃の僕の身長は150センチに少し届かない程度だったらしい。

 記憶の中のカブトムシは間違いなく僕より大きかったはずだ。多分ツノを含めたら2メートルはあったと思う。

 そのカブトムシは木に留まるというよりしがみついていた。ほかの雑魚には目もくれず、その体躯には似合わないくらい少ない樹液を啜っていた。

 僕はすぐ、この圧倒的な存在を他の人に知らせようとした。しかし足が動かない。

 少しでもこの場から離れれば、あの存在から目を離せば、あれはどこかに行ってしまうと思ったのだろう。

 それならせめて、記録しておきたい。あの巨大なカブトムシを僕の記憶だけではなく、なにかに。

 たしか自由研究でばあちゃんちの周りの植物をスケッチしていたんだと思う。僕は偶然にも画用紙と鉛筆を持っていた。

 当時はスマホなんてなかったから、これしかなかった。

 僕は必死に鉛筆を走らせた。

 カブトムシが逃げないように一言もしゃべらずに、鉛筆の粉で手が真っ黒になるくらいに。

 カブトムシの大きさが伝わるように僕の姿も絵の中に入れた。

 麦わら帽子を被った小学五年生の僕を。

 どれくらい夢中で書いていたのだろう、けたたましい羽音を立ててカブトムシがクヌギの木から飛び立った時、僕は不思議と残念には思わなかった。

 違和感の消えたクヌギの木と、手元に残された違和感まみれの絵を交互に眺めてただ、夏の日差しに晒されて汗を流していた。

 そしてしばらくして、今まで黙っていたセミが思い出したようにやかましく鳴きだした頃、僕は人生で最速の駆け足でばあちゃんのいる家に戻った。

 玄関を開けて、台所にいるばあちゃんを見た途端、なんだかさっきまで自分が見てたものが急に信じられなくなって、心臓が高鳴った。

 僕はばあちゃんに絵を見せながら記憶の全てを伝えようとした。

 途切れ途切れにしどろもどろに。

 ばあちゃんはそんな僕でも必死に理解しようとしてくれて、上手に描けてるねとか、カブトムシがいたんだねなんて優しい言葉をかけてくれた。

 だけどそれが信じられない程巨大なカブトムシだったなんて信じてくれなくて、僕は少し泣いてた。

 悔しかったのか、怖かったのかはわからないけど、とにかく涙が出た。


 あれから十数年たって、ばあちゃんが亡くなった。生前住んでた家は売りに出されるらしい。

 僕は真っ先に巨大カブトムシを思い出した。

 正直に言うとその時まで忘れていた。あんなに大きかったのに。

 思い立ったように押し入れを漁ると見つかった。あの時の絵だ。

 麦わら帽子の男の子に、信じられない程巨大なカブトムシ。

 それはまぎれもなく、あの時僕が見たそのままの姿だったから、少し笑ってしまった。

 よく描けてるじゃん、僕。

 僕から送る精一杯の賞賛と、信じられない思い出はもう誰にも聞かれることは無いだろう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紙とペンと信じられない程巨大なカブトムシ 枯れ井戸 @kareido

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ