理想と現実 理想だけで世の中は変えられない

あさひな やすとも

第1話 

国会議事堂の車寄せに、黒光りした一台のセンチュリーが滑り込む

 建物の中から、黒い背広を着て白い手袋をした男が駆けだしてきた。

 センチュリーが車寄せにピタリと停車すると、男が後部座席のドアを恭しく開いた。

 中から出てきたのは、首から緋色のタオルを掛け、赤いパンツに白色のリングシューズを履いた男だ。

 髪は整えられた角刈り、眉毛は太く自信に漲った目をしている。

 鍛えられた肢体に思わず目が行く。

「高田首相! 今後の政権運営はどうなるのでしょうか!?」

 記者の質問が浴びせられるのと同時に、眩いばかりのフラッシュが絶えず光る。

 高田は車を降りると、右手を上げ、

「闘魂政治の貫徹! 元気があれば何でもできる!」

 気合に満ちた大音声を上げる。

 記者たちは驚き、フラッシュが止み静寂が広がった。

 高田光弘率いる闘魂真剣勝負党が先の総選挙で350議席を獲得し政権を奪取したのだ。

 既存の政治に飽きていた国民の支持を受け日本全国で怒涛の勢いで議席を積み増した。

 候補者全員がパンツ一丁にリングシューズという出で立ちで、テレビに映し出されたとき、国民の多くはその姿を嘲笑った。

 だが、八百長ではない真剣な訴えに次第に耳を傾け、急速に支持を拡大、選挙の大勝利へと繋がった。

 決定的であったのは、プロレスの聖地東京ドームのある水道橋駅前の演説の事件だった。

 選挙カーで使っていた三十年以上前のボロボロのハイエースの前で演説していたとき、高田は数人の暴漢に襲われたのだ。

 一斉に襲い掛かられ、地面に倒され、殴られ、ストンピングを受けた。

 しかし、高田は渾身の力を振り絞り立ち上がった。

 ウエスタンラリアートを一人一人に浴びせ、三人を見事に倒した。

 その鮮やかな戦い振りに、聴衆は惜しみない拍手を送った。

 高田の額からは血が大量に流れている。

 しかし、気にする素振りも見せず大音声で演説した。

 その凛々しい姿に涙する聴衆の姿もあった。

 だが、それは高田が仕組んだ謀略。

 暴漢三人も某プロレス団体の練習生。

 額の傷も真っ赤な嘘で昔ながらの血袋を使ったトリックである。

 高田はゆっくりとした足取りで国会内のホールを歩く。

 記者たちが高田の後を我先にと追ってくる。

「首相! 中国が再び尖閣諸島に大船団を向かわせていますが、政府の対応はどうなるのでしょうか?」

 女性記者が高田にマイクを向けた。

「そんなもの、漁船に長州を向かわせてエルボーの一発でも喰らわせれば撃退できる!」

 毅然と答えた。

 高田は伊達や酔狂で言っているのではない、本気なのだ。

 力道山を崇拝しプロレスの霊薬、呪符を飲めば忽ち、強くなり鉄砲の弾をも跳ね除けると信じて疑わないのだ。

 そこに猪木がやってきた。

 二メートル近い長身に花王石鹸のマークの様な突き出した顎が特徴的だ。

 プロレス界の神様と崇められていて、高田たちにとっては絶対的な存在であった。

「これは猪木様! こんな所でお会いできるとは!」

 そう言うと地に伏した。

「よし! 高田立て! 闘魂を注入してやる!」

「有難き幸せに存じます!」

 高田は立ち上がり、喜色に満ちた表情を浮かべた。

「いくぞ!」

 猪木が叫ぶ。

 バチンッ!

 凄まじい音が鳴り響いた。

 高田は思わず目を閉じた。

 次の瞬間、景色は一変する。

 カラフルな遊具が建ち並び、子供たちが大声を上げて遊んでいる。

 そこには首から年季の入った色褪せた緋色のタオルを首に掛け、所々擦れて地肌が見える赤いパンツ、

 薄汚れたリングシューズを履いた男が立っていた。

 白髪交じりの角刈り、腹は弛み、体中垢に塗れ、酸っぱい臭いを発していた。

 だが、目は何故か自信に漲っていた。

「ヤオチョウマンだ! またひとりごとを言ってるよ!」

 小学生くらいの男の子が自分の友達に聞こえるように叫んだ。

 すると十人ほどの男の子、女の子が集まってきた。

 なかにはスマホで高田の姿を写真に撮ったりしている子もいる。

 高田はいつもここの公園に来ては、妄想に耽り、大声で叫んだりしていて、それを子供たちに揶揄われていたのだった。

  子供たちのリーダー格の男の子が誇らしげに、

「今日はオレがビンタを喰らわせたんだぜ!」

「すごいよ! ひろくん ナナはこわくて、できない」

 尊敬の眼差しでナナはひろくんを見つめた。

「プロレスやおちょう! カウント2.99!」

 ナナが褒めてくれたのが嬉しかったのか、ひろくんは調子に乗って叫んだ。

「プロレスは最強だ! 八百長じゃない!」

 怒髪天を衝く表情を見せ、高田はそう叫んだ。

 それを聞いた子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。

 興奮がおさまらない高田は子供を追い回すが、リングシューズの右足の靴底が抜けて転倒した。

 それを子供たちが見て笑った。

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