KAC4: ほしのうた

鍋島小骨

ほしのうた

「結局ぅ、意志か余裕がないとダメなんだわ」


 ゆるめの北海道弁を声全体にまとわせながら星崎まやはモヒートのジョッキをごんとテーブルに置いた。モヒートってこんなでかいジョッキに入れるものだったろうか、と私は思い、そんなのジョッキが来た時に考えるべきなのにもうほとんど飲み切る寸前だなあ、とも思った。思考は順調にぶよぶよになり、私は私の知覚をうまく運用できていない。


「昼休み。通勤電車。五分十分の隙間があってもだ、やんない奴はやんない。優先順位をさ、意志の力か好きの力で上位にできないとさ、やっぱ負けるしょ? ソシャゲとかツイッターとかにぃ」


「まあ負けるね」


 私が同意を返すと星崎は、ぶうとふくれた顔をしてから、負けてんじゃねえよォ、とえた。「ま」と「ね」にものすごい強拍があった。ヤバいのかもしれない。こんなに酔っ払った星崎まやは初めて見る。


「しょうがないわ、ソシャゲも色々イベントとかあるし周回しないとさ」


「するならするで、その反復作業中考えてんのかってことなんだよお! お前の魂の置き所をさあ!」


 ダメっぽいなこれ早いとこタクシーに突っ込もう、と判断して会計票を取ろうとした瞬間、星崎はバネのようにびょんと上肢を天に伸ばし、おねえさん追加おねがいしまあす! と叫んだ。店員のお姉さんはすぐに来てしまい、星崎はモヒート大ジョッキのミント抜きを声高らかに追加注文してしまう。厳しい。私は小声でスプリッツァと烏龍茶ください、と言った。


短歌うたはなあ、柴田ぁ」


 目の前で星崎のつむじがゆらゆらと左右に揺れている。もう氷しか入っていないジョッキを握りしめたまま、うつむいた星崎はうなるようにして言う。


「聞いてんのか柴田。歌のもとはどこにでもあんだよ。このおしぼりからでも! にしんの骨からでも歌は出てくる! そーだろぉ?」


「いや、鰊の骨で詠んだことはないわ……」 


「マジかお前。お魚さんを舐めるなッ」


 この人、今夜は絶対にもうダメだと思う。何でこんなに飲むかなあ。


 事の発端は工藤の短歌サークル脱退である。

 脱退というか、短詩型創作文芸のアマチュアとしてWebや紙媒体に投稿したり合同で同人誌を出したりすること自体をもうやめる、と工藤は言った。

 私には、それでどうして星崎がこんなに苛立つのか分からない。

 私は工藤の作風も性格も何もかも嫌いだった。正直、辞めてくれて有難い。工藤は短歌がやりたいのではなく、現代短歌なんか趣味にしちゃってるアカデミックポップな面もあるおれ、のアピールそのもので快感を得ていたタイプだ。いつも話題の歌を真似、それでいてプロの歌人を「オレに言わせりゃあいつはさあ」と右から左まで見下す態度が染み付いた、本当に面倒くさい奴だった。

 こうして考えると私は結構強めに工藤を嫌いだと思う。


「星崎、そんなヘコむことないって。あの人、捨て台詞最低だったっしょ。辞めてくれてよかったんだって」


 空っぽのジョッキを前にした星崎に私は、半ばやけくそでそう言った。


「……あの人はさ、これまでろくろく評価されてないから『短歌はくだらないからもういいわ』ってかっこつけたていでないと自分がみじめになるからそう振る舞って、仲間もこれまでの自分の活動も、なんもかんもバカにして平気なメンタリティってことじゃん。あんなだからいつもいつも人気作の劣化コピーみたいなのしか詠めねえで終わるんだよ!」


「それがむかつく」


「は」


「そ・れ・が・むかつくってんだよ! ファッション短歌かよ、あんのクソ工藤!」


 そんなこと最初から分かってたじゃねえかよ。

 モヒート大ジョッキ、スプリッツァに烏龍茶お待たせいたしましたあ、と店員のお姉さんが明るい声でやって来た。工藤の承認欲求まみれのファッション三十みそひと文字もじに比べたらこのお姉さんのマニュアル接客台詞の方がなんぼか中身があるわ、と私は思う。

 結局その日は更に二杯付き合わされた。

 身近なものから歌は詠めるが、常に意識して探さないと題材は見つからない。世界を新鮮に受け取るには努力か衝撃が必要。ちやほやされるために恥も外聞もなく流行りものをパクって安直に詠む態度はクソ。星崎まやと私のその夜の結論は、まとめるとそうなる。まあ最初からそうだった。創作文芸は、そもそもがそういうものなのだと思う。





  * * *





 翌日の早朝、私たちは最大震度七の地震に見舞われた。

 幸い震源地から離れた我が家は誰も怪我をせずに済んだが、私の住んでいた地区では地震そのものより停電が問題だった。前例のない長時間の広域ブラックアウト。テレビはつかず信号は消え地下鉄は止まり、発災直後は自家発電で商品を吐き出してくれたコンビニも限界が来て臨時閉店が相次いだ。

 手回しラジオで聴取したニュースでは、昼の時点でも電気復旧の見通しが立たないと報じられた。

 こうなると死活問題としてスマホのバッテリを持たせなければならない。折悪しく私はモバイルバッテリの充電を切らしていた。スマホを節電モードにするとライフラインに繋がる幾つかのアプリしか使えなくなる。やがて携帯の電波も落ちた。

 そうして私は気付く。

 この街中で初めて、静寂の昼を生きている。

 世界は明るく静かだった。

 車があまり走らず、信号がメロディを鳴らさず、人々が出歩かない。物音がない。ない。ない、と思った音はしかし、やがて聞こえるようになってきた。風の音。こずえの葉鳴り。鳥たちの声。遠くの家で窓が閉まる。食器が触れ合う。穏やかな世界の音だ。陽射しまでもがかすかな音を奏でているのではないか、とさえ思う。こんなことは今までなかった。

 眠る白昼。失神した街。静寂の歌。

 脳は言葉を探っている。この世界を見ていない人に、どうすれば伝わるか。

 神様の巨大なほうきが街をぜて。

 違う。違う。言葉が追い付かない。私の感じているこの、生ものの世界に。

 メモだけしようか、そう思ってスマホを取ったが、触った瞬間に手を離した。ダメだ。節電モードでは短歌アプリは起動しない。節電モードを解いたりメールにメモするのもバッテリを食う。

 そして私は、結局あれか、と思った。





  * * *





 日が落ちて夜が来るころ街中の電気が復旧し、やがて携帯電波も復活した。

 そのとたんSNSの仲間うちリストに次々と、溜まっていた安否確認や生存宣言が流れ出す。タイムラインを見ながら私は、ふへへと笑ってしまった。



 おい道民各位生きてんだろうな?

 広域停電ぱねえw 街中まっくら、おほしさまきれい

 火発失神。ここからがガチの闘い

 地下鉄電車バス皆死亡、我通勤不可、猫と戯る

 隣んちの庭でジンパ(道外民向け注:ジンギスカンパーティー)始まっててお呼ばれしたから備蓄のビール抱えていってくる!

 ええ、試される道民いま羊焼いてんの……っょぃ

 ウマイヨー! 停電で冷蔵庫きかないんだから傷む前に焼くべし! 焼くべし! ジンギスカンは冬の季語。

 まじかよ、まだ夏ですけど

 今月みんな歌荒れそうだな(笑)

 街が動いてないから昼間静かすぎて謎の感動にうたれた

 てかスマホのバッテリ死守のため文字通りチラ裏に歌書いた、こんなのはじめて

 わかりみ。おれも紙とペンの昭和生活した。書いとかないと忘れちゃう

 日が暮れたら暗くて字が書けないの笑う 古代か



 サークルメンバーと親しい知り合いはどうやらみんな無事のようだ。そして少なからぬメンバーが私と同じことをしていたらしい。

 手近な紙とペンで、作歌のメモをつけたのだ。

 地震直後に飛び起きた後、停電の街で見上げた夜空を私は思い出していた。しんとした黒い住宅街と山の上には、美しい、それは美しい星空が広がっていて。

 もしも私たちがインターネットをうしなったなら、と思う。

 今までのようにリアルタイムで歌を投稿したり評価したりということが不可能な時代に戻ったら。

 私たちはきっとそれでも歌を詠みたくて、紙に歌を書き付け溜めていくだろう。そして、日数のかかる郵便で投稿したり、私家版で歌集にしたりするのだろう。そうしてそれらの歌のほんの一部が、詠まれてから何週間、何ヵ月、何年も経って他人の目に触れる。遅れて届く星の光のように。

 たった今この時の人間関係の中でアクセサリーにする歌ではなく、この心に映る世界を己れの言葉で詠みたくて、誰かに届いてほしくて詠んだ歌。

 そのようにして恐らく、本邦の歌詠みたちは生きてきた。

 地震なゐの朝まだき、見上げたあの星空こそは歌の世界そのものだったのだ。

 私たちは星の歌をしるし続ける。ただその短いまたたきが、いつか誰かに自分の今を伝えるのではないかと夢みて。





  * * *





 半月後、我々サークルは臨時会合を持った。名目はどうあれ飲み会である。

 地震の日にめいめいがつけた作歌メモの写真を今度の合同誌の表紙にしよう、という話が纏まっていた。

 様々な紙。

 様々な色と太さの、様々な筆跡。

 それら全てが星の瞬きのログだ。


 合同誌のタイトルは、たった今、満場一致で決まったところ。


 ――『紙とペンと星の歌』。


 語呂は悪いがタイポグラフィ次第だな、と思っていると、星崎まやが対面トイメンにドカッとジョッキを置いて座った。今日もモヒート、ミント抜き。


「来たな、柴田。さあさあ、にしんの骨で一首詠め!」


 何それ鰊の骨って、と視線が集まり、バカどもはたちまち即詠み歌会を始める。鰊の骨って猫の髭に似てるべ? いやちょっとそのセンスは分かんねえ。似てたとしても歌になるかい? 適当な会話が飛び交い、結局歌は仕上がらない。

 私はそれで、地震以来初めて腹の底から笑った。

 みんな生きていてよかったなあ、と思う。

 生きていて、紙とペンさえあれば歌を詠んで残せる。

 そうしていつかこの命が終わっても、歌は星の光のように、遥か未来へ旅をするのだ。

 願わくば、「鰊の骨」が何ものかさえ分からなくなるほどの未来まで。






〈了〉

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