紙とペンと私

井澤文明

紙とペンと私

 さあ、目の前に、一枚の紙を取り出そう。

 紙は白紙でも、広告の裏紙でも、あるいは失敗したラブレターでも構わない。ああ、最近の子はラブレターを書かないかな? まあ、どうでもいいか。


 話を続けよう。


 そして一本のペンを持とう。

 油性でも水性でも構わない。何色で書いてもいい。赤でも、青でも、黒でも、緑でも、菌でも銀でも。何色でも構わない。どうでもいいことなのだから。


 さあ、手に持ったかい? うん、よろしい。

 では、話を続けよう。


 あなたの目の前に用意された、その紙には、一体何が書かれている?

 白紙であれば、それは空白であり、もし広告の裏紙ならば、鏡文字で宣伝がなされている。

 さあ、覗いてごらん。君の目には、何が見える?


 なるほど、よろしい。


 ではその手に――右手でも、左手でも構わない――ペンを持ちなさい。足や口で持っても構わない。

 そして、目の前に用意されたその紙に、君はを書き込まなければならない。絵でも詩でも、サインの練習でも、数学の公式の証明でも構わない。


 さあ、書きなさい。

 十文字与えよう。それまでに終えなさい。


 どうでも良いのだけど。


 さあ、書けたかな? 描けたかな?

 なるほど、よろしい。

 では、話を続けよう。


 今、君が書いたそのをよく見つめなさい。

 今君が書いた、は、果たして実在するのだろうか?


 もし君が、実際に存在する言葉や物を書いたのだとしたら、それは実在すると言えるのだろう。

 例えば、君が猫の絵を描いたとして、猫という生き物は実際に存在するのだから、実在するのだ。確かに、『猫』という存在は実在する。

 だが、君が紙の上に描いた『猫』は、今現在呼吸をし、心臓を動かす『猫』とは違うものなのである。紙の上にある『猫』でしかないのだ。平面的な猫。君はそれを、実在すると言うのだろうか?

「猫を描いた」

 と言うよりも、

「この紙の上にしか存在しない猫を描いた」

 と言うべきではないだろうか? その猫は、突然紙から飛び出して、「にゃー」と鳴き出す訳ではないのだから。


 まあ、君の自由にしなさい。どうでも良いことなのだから。


 では、話を続けよう。

 君はきちんと、じっくりと、その紙に書いたを見つめただろうか。観察しただろうか。

 なるほど、よろしい。


 では、君はそのを見て、何を思う?


 無感情か、満足感か、あるいは絶望か哀愁か。正の感情か、負の感情か。

 紙に描かれた、記された、君の作品を見つめなさい。そして考えなさい。君は一体、何を思う?

 きちんと、じっくりと、ゆっくりと、時間をかけて考えたかね? 考えたのであれば、よろしい。次のステップへと進めば良い。


 さあ、いよいよ、終わりへと近づいた。

 この物語も、そろそろ終わりを迎える。


 では、目の前に広がる、君の作品を、君は捨てるか残すか、選択しなければならない。目の前に置かれた、君だけの作品を。じっくりと考察をし、鑑賞した、その作品を。捨てるのか、隣に残しておくのか。

 何故かって? 考えてごらん、この文字の羅列の真意を。


「君は何故、その作品を捨て去らねければいけないのか?」


 答えは実に、簡単だ。だが、やはりどうでも良いことなのだ。この世界は、どうでも良いことで溢れている。

 君は、どう思う? 君は、どう考える?


 君は、この作品があると、思うかね?


 さあ、考えてごらん。考察してごらん。鑑賞してごらん。


 この、電子上の白紙に書かれた、この作品を。

 実在すると思う? 君は、これを見て、何を思った?


 さあ、考えてごらん。そして決めなさい。


 君は、この作品を捨てる? それとも大切に残しておく?

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紙とペンと私 井澤文明 @neko_ramen

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