決断
明弓ヒロ(AKARI hiro)
第1話 紙と、ペンと、……
「長い間、お世話になりました」
と部下の沢田が、頭を下げた。
沢田は、今月末付で退職となる。最終出社日の今日、俺は、職場から少し離れた、こぢんまりした馴染みのコーヒーショップに、沢田を誘った。
「すまなかった。俺の力不足だ」
「斎藤さんのせいじゃないですよ」
頭を下げる俺を、年下の部下が逆になぐさめる。しかし、それも今日限りだ。
「斎藤さんも来月までですよね」
「ああ、そうだな」
俺は、企業向けのクラウド型業務支援ツールを開発するベンチャー企業で開発リーダーを努め、沢田は俺の右腕として俺を支えてくれた。
俺たちの開発したサービスは、ファーストバージョンをリリースした時には、片手で数えるほどのユーザー数だったが、今では、1000社を超える企業に導入されている。会社もIPO(株式の新規上場)を果たし、創業メンバーは一攫千金を得た。
俺は、創業メンバーではなかったが、創業直後に入社したため、多少のおこぼれにあずかっている。
ファーストバージョンの開発に関わったメンバーは、果実を得る前に、ほとんどが退職した。会社が小さかった頃は、今でいうブラック企業で、徹夜の業務にも残業代が出ないなど酷いもので、一からものをつくる仕事の面白さだけが、会社から得られる僅かな果実だった。
だんだんと、会社が成長するにつれ、社内ルールが整備され、福利厚生も充実し、今では大手の企業と遜色ない待遇と労働条件になっている。
沢田は、唯一、残ったメンバーだった。初期の低品質時代に起きたトラブル対応から、オフライン型のサービスからクラウド型サービスへ移行するための大規模バージョンアップなど、ほとんど全ての重要案件に関わってきた。
しかし、ここ数年、会社の業績アップとはうらはらに、退職者が続出していた。それは、2年前に創業者が引退し、新しい社長を迎えたことが、きっかけだった。
創業者は、勘と人柄が売りのいわゆる古いタイプの経営者だった。経営手法もいい加減で、論理が通じない。取材で経営数字を聞かれてもまともに答えられないことから、IPOを機会に後進に道を譲ることになった。
二代目社長となった太刀川は、創業者の知人の紹介だった。外資系のコンサルタント企業出身でMBA持ちと、今どきの経営者に求められる資質があり、IPOを通過点として、会社はより飛躍すると思われた。しかし、その期待は裏切られた。
もともと、この業界に詳しくなかった太刀川は、各部署から上がってくる提案の是非を判断する能力に欠けていた。そのため、判断基準は他社の動向頼りとなり、他社がやらないことはやらない、他社がやっていることはやるという、新進のベンチャーとは相いれない戦略をとった。
しかし、仕事の結果は、良かれ悪しかれ、すぐには業績に反映されない。
最悪なことに、太刀川が就任する直前に蒔いた種が、太刀川が就任後に花開いた。そして、実った果実は太刀川のものになった。
業績としての数字は、太刀川就任後、ぐんぐんと伸びていった。
調子に乗った太刀川は、今までの業績不振は無能な社員に原因があり、これからは直接自分が指導すると息巻いて、過剰な現場介入をするようになった。
混乱する現場と、相反する業績。
悪化するサービスレベルと、相反する称賛。
しかし、おかしな状況は長続きしない。
太刀川の蒔いた負の種子が、だんだんと育ち、花開き、実を結んだ。
俺が心血を注いで開発したサービスが、俺の手から奪い取られ、少しずつ死んでいく。
会社は、今までの貯金をどんどん切り崩し、後から参入した大手企業に追いつかれ、追い越されていった。そして、業績が数値として見えるまで悪化すると、太刀川の現場への介入は、さらに度を越して行われるようになった。
傾いた会社からは優秀な社員から辞めていくと言うが、それは正確ではない。優秀な社員には2種類いる。最初に辞めるのは、どんな会社でも通用する専門分野をもっていて、きっちりと自分の仕事に線を引くタイプだ。自分に与えられた仕事は完ぺきにこなす。しかし、他人の仕事には関わらない。もちろん、優秀なのは間違いないが、それだけでは会社は成り立たない。
なぜか? 会社にはオリジナリティが必要だ。どの会社でも通用する汎用的なスキルと、その会社ならではのオリジナリティ。両方が組み合わさって、初めて競争力が生まれる。前者だけでは付加価値は生まれない。そして、後者を生み出すのは、会社全体を見渡せる広い視野を持ち、自分の専門分野にとどまらず、会社を横断して仕事ができる人材だ。
前者の人材は、自分が辞めても、すぐに代わりを手配することができることを知っている。だから、辞めたいと思ったら、安心してすぐに辞めることができる。しかし、後者の人材は、自分の代わりがすぐには手配できないことを知っている。だから、責任感のある人間ほど、周りのことを考えて辞められなくなる。
優秀な人材ほど、自責の念で辞められない。そして残れば、さらに重い責任がかぶさり、なお辞めにくくなる。そして、最後、限界が来る。
中でも、沢田はとびきり優秀だ。ポテンシャルとしては俺よりも上だろう。俺が上にいるのは単なる経験の差にすぎない。もし、この会社が、この先、何十年も続くとしたら、沢田がこの会社のトップに立つとしても、何ら不思議ではない。
沢田は周りの人間が辞めていっても辞めなかった。そして、沢田の責任は、日々、重くなっていった。
俺は、沢田が潰れる前に、逃げ道を用意してやりたかった。だから、さりげなく、俺は会社に見切りをつけて辞めようと思っている、と沢田に言った。結果、沢田もこの会社を去ることを決心した。
これで、もう、俺に思い残すことはない。
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会社に戻ると、
「斎藤さん、すみません」
と営業部の新人が、困り顔で話しかけてきた。
「どうしました?」
と俺が聞く。
「すみません、前社長の知り合いだというお客さんが、アポ無しで、弊社のサービスについて聞きたいと訪ねて来られたんですが、ちょっと私の手には負えなくて。上の人も出払ってて、どうしたものかと」
「わかった。対応します」
会議室に行くと、気難しそうな老人が、不機嫌そうな顔で待っていた。
「お待たせしました。技術の斉藤です」
俺は名刺を差し出す。
「なんだ、お前は。営業じゃないのか。営業呼んでこい」
「弊社は、開発も営業もありませんので、私が話を聞かせてもらいます」
そう俺は言って、老人の対応をした。
老人は、小さな会社を経営しているが、インターネットも使ったことがないという状態で、俺はインターネットの使い方から説明した。老人は、自社の経営状況から、世界経済に対するグチまで、支離滅裂にしゃべりまくり、俺は半日がかりで、なんとか状況を理解し、老人の会社が弊社の製品を導入することで、業務効率が飛躍的に改善することを納得してもらった。
そして老人は、
「あんた、なかなか親切だな。検討させてもらうよ」
と最初に見せた仏頂面が嘘のように、笑顔になって帰っていった。
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翌月、沢田の退職を見届けた後、俺は、総務部の小峰を訪ねた。小峰は、俺と同じく、僅かに残った、この会社の古参メンバーだ。
「決心はついたか?」
と小峰が聞く。
「ああ。思い残すことは何もない。沢田も辞めたし、失敗したら、俺も辞めるだけだ」
と俺が答える。
「わかった。俺もこのままこの会社にいても先がないからな。お前と運命をともにしてやるよ」
と小峰が言った。
「すまないな。それで、例のものは用意してあるか?」
俺が尋ねると、小峰が答えた。
「ああ、すでに用意してある。紙とペンと、」
そして、小峰がニヤリと笑って言った。
「株主名簿だろ」
俺は、株主に手紙を書いた。
今の経営状況の嘘偽りのない実体について。俺の今までの仕事について。そして、俺が経営者になったら、どうやってこの会社を立て直すか。
全て、一枚一枚、手書きで書いた。ちょっと、古風な感じもするが、こういうことは形も大事だ。
そして、全ての株主に送付した。
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「これは、いったい、どういうことだ!」
俺は怒り狂った太刀川に呼び出された。
「全て私の本心です」
俺は太刀川の目を見て答える。
「俺にまで送ってくるとは、どういうつもりだ」
太刀川が怒鳴り散らす。
「あなたも株主の一人です。株主から委託されて会社を経営する以上、あなたにも送るのは当然のことです」
俺は粛々と答える。
「こんなことしてただで済むとは思ってないだろうな」
太刀川の眼がすわっている。
「もちろん、覚悟はできています」
俺はどうどうと答えた。
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そして、株主総会当日。
普通、株主総会にかけられる事案の評決は事前に決まっている。あらかじめ、安定株主が過半の票を持っており、総会当日の議決など、ただの儀式だ。提案された議決が覆ることなど、ない。
しかし、今回、事前に集計された株主数では、太刀川が社長に就任するための過半の票を得ることができなかった。
俺が勝つか、太刀川が勝つか。最後に決めるのは、当日に参加する株主次第。
運命の株主総会が始まった。
この中の誰が、俺を選んでくれるか。
俺は、出席した株主の顔を一人一人じっと見る。そして一人の老人と目が合った。
老人は、俺に向かってニヤリと笑った。
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一年後、俺は、総務部の小峰を訪ねた。
「ちょっと、用意して欲しいものがあるんだが」
「なんだ?」
と小峰が聞く。
「紙とペンと、」
俺は一拍おいて続ける。
「沢田の連絡先を教えてくれ」
「了解、社長!」
小峰が笑って答えた。
決断 明弓ヒロ(AKARI hiro) @hiro1969
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