真夏のパンケーキ 「KAC3」

薮坂

常夏の日常


 神様が気温調整をミスったとしか思えない熱帯夜。8月に入ってからというものギアチェンジをしたかのようにクソ暑い夜が続いている。

 だから僕は自室の扇風機の前で「ワレワレハ トオイホシカラ ヤッテキタ」などと宇宙人のマネをしていたのだが、気が付けば傍に置いていたスマホがデフォルトの着信音を鳴らしていた。

 ディスプレイには「ユリ」との表示。とても珍しい。それは電話をかけることはあっても、なかなかかかってこない相手だったからだ。

 僕は早撃ちガンマンよろしく電話に出る。スマホのファストドロウ選手権があったらぶっちぎりで優勝しそうな早技で。


「ワレワレハ トオイホシカラ ヤッテキタ、」


 ツーツーツー。聞こえてきたのは冷たいビジートーン。いや切るなよ。自分からかけてきておいて、そりゃないだろ。僕はすぐさま折り返すことにする。ユリはすぐに電話に出た。


「あんたさ、普通に電話に出れないの?」


「さっきまでヒマ過ぎてな。扇風機を使って、宇宙人と交信しようとしてたんだ」


「普通の人が聞いたらだいぶヤバイからね、それ」


 呆れた声で言うユリ。もう諦めている、と声色に出ている。まぁ、別に僕はどう思われようと気にしないのだが。


「で、何だよ。ユリからの電話なんて珍しいじゃないか。まさか、僕の声が聞きたくなったのか?」


「いやそれはない」


 ぴしゃりである。ユリとの付き合いも、高校1年の4月から数えて5ヶ月目に突入している。つまりこうして、ちょっとキツめのジョークも言い合える仲にまで発展している訳だ。だからちっとも傷付いてなんかない。本当だ。


「ねぇワタル。明日なにしてるの」


「明日? いや特に用事はないが」


「そう。ならよかった。明日あたしに付き合ってよ。手伝ってほしいことがあるの」


「ほう、珍しいこともあるもんだ。ユリが僕にお願いとはな」


「あんたにお願いするなんて屈辱の極みではあるんだけどね」


 そう語るユリの声は切実である。しかし屈辱の極みとは、もう少し言い方があるのではなかろうか。

 まぁいい。ユリに世話になっているのは事実。だからユリのお願いなら何だって叶えてあげたい。

 ユリのおかげで夏休みが確保されたし、何よりもユリは文字通り僕の命の恩人である。僕はこう見えて義理堅い男なのだ。


「ユリには世話になってるからな。ユリのために動くのは吝かじゃない」


「本当? 何でもしてくれる?」


「僕にできることならな」


「それじゃ、明日そっちに行くから、いつもの船着場で待っていて。朝8時ね」


 ユリは小さな島に住んでおり、高校に渡船で通っているレア中のレアな存在だ。ソシャゲのガチャで言うと確定・ウルトラレア。

 電話が切られると、僕はまた扇風機で宇宙との交信を再開した。これは恥ずかしいとか照れ隠しとか、そんなんじゃあ断じてない。断じてないぞ。



 ────────



「おはよ、ワタル」


 翌朝の8時。僕はいつもの船着場にいた。僕の手にはコンビニで買った無糖のライムソーダ。ユリの好きな飲み物だ。それを渡しながら僕は言う。


「おはようユリ。いい朝だな。クソ暑いけど」


「まぁ夏だし仕方ないよ。ライムソーダ、ありがとね」


 受け取ったユリはそれを煽る。ペットボトルの中身が太陽に煌めく。夏だ。それはもう真っ盛りの。


「で、ユリ。今日僕は何をすればいいんだ」


「それだけどね。とりあえず、今は何も訊かないで」


「ほう、内容もシークレットか。これはいよいよ胸が熱くなるな」


「いやいや、特に熱くなんないから。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ」


「やけに勿体ぶるな。そんなに言いにくいことなのか?」


「べ、別にそうじゃないんだけど」


 もじもじ。いやいや、その仕草はユリに似合ってない。

 そういうのはもっと甘めな女の子のすることだろう。

 無糖のライムソーダみたいに切れ味鋭いユリがすることじゃない。

 と、いうことは。本当に言いにくいことなのかも知れない。僕は途端にピンと来た。


「なるほどアレか。最近話題になっている胸を大きくする方法。男に揉まれると、」


 ──ぐぼぁ! 鳩尾にショートアッパー。衝撃が背中に抜ける。


「……何か言うことは?」


「すみません」


「誰が悪いの?」


「おおむね僕です。こむねのユリさんは悪くありません」


「なるほど。ワタルは自殺志願者ってことでいいのかな?」


「すみません調子に乗りすぎました」


「よろしい。あのね、言いにくいのは恥ずかしいからなんだよ」


「それは大丈夫だ。恥ずかしがることなんてない。僕はどちらかというとユリみたいに貧乳の方が、」


 ──へぶぁ! 脇腹にショートフック。胃液が逆流する。

 本当のことなのに、クソッ。もう黙っておこう。


「そろそろ胸から離れろ。あと貧乳言うな。切断されたいのか」


 切られても良いところなんて爪か鼻毛か髪の毛くらいしかない。僕は再び謝ることにした。


「約束してよ。聞いても笑わないし、バカにもしないって」


「わかったよ。約束する。聞いても笑わないしバカにもしない」


 すう、とユリはひとつ深呼吸。

 息をゆっくりと吐きながら言った。

 

「駅前に、ロダンってカフェがあるじゃんか。そこのパンケーキが食べたいの」


「パンケーキぃ? おいユリ、それマジで言ってんのか? あんなのただの、」


 鋭い視線を隣から感じた。そしてギリリと固められるユリの右拳。それは良くない。ダメなヤツ。

 

「……小麦粉とバターと卵をナイスな配分でミックスさせて焼き上げ、ふんわりホイップをこれでもかと乗せた夢のような素晴らしい食べ物じゃないか。よし食べに行こうそうしよう」


 かくして、僕たちは件のロダンに行くこととなったのだ。拒否権? そんなものはない。僕には人権が存在しないのだから。



 ──────



「いらっしゃいませー、カップルさんですかー?」


「はい、そうです」


 いきなりの先制パンチである。完全に出鼻を挫かれた。ちなみに今のは僕のセリフじゃない。というよりも僕が言うべきセリフをユリに取られたと言った方がいいだろう。どうしたユリ。熱でもあるのか。僕は心配だぞ。

 

「それじゃあ、こちらのカップルシートへどうぞー」


 甘ったるい店員の女の子の声がフロアに響く。ユリは僕の手を引いて席へと向かった。繰り返すが、僕の手を引いて。これはマズい、完全にイニシアチブを取られている。僕としたことが何たる失態。


「ワタル、ここで質問するのは許さないから」


「いや待て、さすがに質問したいぞ」


 キッとした視線でそれを制される。カップルシートは2人掛けのソファ。つまり、完全にユリの拳の射程距離内ということになる。迂闊はできない距離感だ。


「あたしがいいって言うまで、誰に何を訊かれても『はい』とだけ答えていればいい。わかった?」


「はい」


 有無を言わさない視線。まるで刺すようである。ていうか、刺さってる。ユリは席に置かれていたナイフで僕の脇腹をつついていた。近づいてきた店員さんから見えない角度で。


「いらっしゃいませー、ロダンへようこそー。本日のご注文はなんでしょう?」


「スペシャルパンケーキをひとつ、お願いします」


「かしこまりましたー、こちら、カップル限定の商品となりますがー?」


 「はい」と即答するユリ。そしてズブリとナイフが進んできた。思わず僕も「はい」と言う。


「カップルである証拠、見せて頂けますー?」


 ユリは無言で、自身の左手で僕の右手を取ると、店員さんに掲げるように見せた。

 噂に聞くまさかのカッポー繋ぎである。そしてユリは僕に問うた。


「あたしたち、愛し合ってるよね?」


「は、はい」


「あたしのこと、死ぬまで好きだよね?」


「は、はい」


「おアツいですねー、まるで常夏ー?」


「甘夏!」


「ココナッツー! はい、了解でーす、常夏☆甘夏☆ココナッツ☆スペシャルパンケーキ1点、いただきましたー」


 ……いやなんだよこれ。まさかこの僕が、置いてけぼりにされるだと?

 ちらりとユリの方を見ると、耳まで真っ赤になっていた。

 もちろん、ユリの右手に持つナイフがあと2センチ、僕の方に進んできたのは言うまでもない。



 ──────



 ロダンを出たあと。ユリは嬉しそうにウサギのぬいぐるみを触っていた。手のひらサイズの、ロダンのマスコットキャラクタ『ろったん』の形をしたウサギのぬいぐるみ。どうやらユリのお目当てはコレだったらしい。


「この前さ。ユカコに聞いたんだよ。ロダンでウサギのぬいぐるみが貰えるって話をね。でも条件がかなり厳しくて。モーニングの時間帯にだけ、カップル限定で提供されるメニューには載ってないスペシャルメニューを注文して、さらには合言葉に答えないと貰えないって話でね。それで、ワタルに頼んだ訳なんだ」


 なるほどな。やっと謎が解けた。どうりでおかしいと思ったぜ。

 いつものユリじゃないから、本気でナニカに取り憑かれたんじゃないかと心配したら、こんなオチかよ。


「でも、ありがとう。ワタルのおかげだよ。どうしても欲しかったんだ、これ」


「そいつは良かったな」


「うん、とても。ありがとね」


 にしし。いつもの照れ隠しの笑い方をするユリ。その笑顔のままで、続けた。


「ワタルの気持ちがちょっとだけわかったよ」


「僕の気持ち?」


「うん。ワタルは冒険好きなんでしょ? 今回の注文の仕方はさ、あたしにとって冒険そのものだったよ。こういうのもたまには良いかも、って少しだけ思えたな」


「なら今度、本気の冒険ってヤツを教えてやる。実はとある筋から、宝の地図を手に入れたんだ。今度、一緒に宝探しをしようぜ」


「それはパス。あたしはもう手に入れたからね!」


 ユリはウサギのぬいぐるみを抱きしめて言った。もう手に入れた、か。それには僕も概ね賛成である。僕の場合、まだ手に入れたとは言い難いのだが。

 本当に価値のある宝とは意外と、すぐ近くにある。普段はそれに気が付きにくいだけで。


 夏のような笑顔を見せるユリを見て、僕はそう思う。


 見上げれば、青く透きとおる空。

 ──夏だった。それはもう、夏だった。


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真夏のパンケーキ 「KAC3」 薮坂 @yabusaka

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