少年と未来
木漏れ日が気持ちの良い春のある一日、僕は桜並木を歩いて学校へ向かっていた。桜は咲き始めというところだろうか。それでもとても綺麗だと感じる。
「天気は良好。気持ちのいい日だね」
隣を歩く
「この道を歩いて学校へ行くのも最後になるんだね」
今日は僕たちの卒業式である。卒業式がこんな天気のいい日になってよかったと僕も背伸びをしてみた。
「挨拶と答辞はちゃんと考えてきたの?」
柚葉ちゃんは理事長兼元生徒会長なので、卒業式で理事長挨拶と答辞の二つの役割を任されていた。
「ああ、やだなあ。
僕は慌てて手を振った。
「む、無理だよ。僕なんて小心者には絶対無理」
全校生徒の前に立つ想像をしただけで、鳥肌がたつ。もしかしたら、ミス・ミスターコンテストのことがトラウマになっているのかもしれない。
「そうかなあ。下級生の女の子たちが喜ぶと思うんだけどなあ」
柚葉ちゃんは以前より少し僕をからかうようになった。その感じが懐かしくて僕は嫌いじゃなかった。
「柚葉ちゃんが読めば、みんなが喜ぶよ。なんてったって、ミス・コンテストの優勝者なんだから」
柚葉ちゃんは今年度の文化祭のミス・コンテストで涼宮先生と争って一位となった。理事長権限をもって、昨年度のようなイケメンコンテストの優勝者とのキスはなかったけれど、十分盛り上がった。
「ミズキ先生がいたら、絶対勝てなかったよ。あの人容赦ないんだから」
そう言って、柚葉ちゃんは笑ったけれど、柚葉ちゃんはこの一年でまた一つ魅力的になっていた。
あの凄惨な事件から一年とちょっと経つ。あの後、警察が到着し、僕たちを保護した。
事件の後、僕たちはしばらく落ち込んで、立ち直ることができなかった。でも、柚葉ちゃんだけは違った。柚葉ちゃんは僕たちを励まし続けた。きっと一番辛いに違いないのに表情や態度に出すことは一度もなかった。そのおかげで、今では先生たちのことも少しは笑って話せるようになった。ただ、桜さんだけは何も言わずに村へ帰っていったのでどうしているかわからない。
学校につくと、たくさんの人が柚葉ちゃんに挨拶をする。柚葉ちゃんが有名人というのもあるけれど、みんなが柚葉ちゃんのことを友達だと言う。柚葉ちゃんはみんなに挨拶を返しながら、ポケットの中に手を入れていた。きっといつもの挨拶をしているのだろう。僕は遠い空を眺めた。
卒業式は卒業生の入場から始まる。講堂前に並んだ卒業生の中にはすでに泣いている人もいた。
しばらくすると、どこかで聞いたことのあるクラシックの音楽が流れて、卒業生の入場が始まった。僕は精一杯背筋を伸ばして行進した。背伸びをしていると親友に笑われるかもしれない。それでも、格好悪いところは見せられない。
在校生の横を通り抜けるときに歓声があがったけれど――きっと柚葉ちゃんのファンクラブから――特に問題なく所定の席についた。少し横の席を見る。そこは空席となっていて、代わりに花が置かれていた。周りのみんなもその席を見つめている。
「神島学院卒業式を始めます。理事長挨拶」
柚葉ちゃんが壇上に登る。その表情は今日の天気と同じ晴れ晴れとしたものだった。
マイクの前に立つと、柚葉ちゃんは深呼吸をしたように見えた。
「卒業生のみんな! 三年間楽しんだかい?」
柚葉ちゃんの第一声に講堂は静まった。だがそれも一瞬だった。
「うおおおおおおおおおおお!」
卒業生は雄叫びのような声を上げた。僕も精一杯声を出した。
「それは良かった。若者はやっぱり学校生活を楽しまないとね、以上終わり」
柚葉ちゃんはそう言って親指をビシッと立てると、さっさと舞台を降りた。その適当さはまるで前の理事長のようだった。そのことを同じように感じているのだろう、みんな笑っている。僕も笑顔で柚葉ちゃんを迎えた。
「在校生送辞」
今度は二年生の生徒会長が壇上に登った。少し緊張しているようだが、柚葉ちゃんの言葉を聞いたからか、その顔には笑顔が浮かんでいた。
「卒業生のみなさん。卒業おめでとうございます。私たち在校生から送らせていただく言葉はたった一つです。今までありがとうございました……みなさんは最高の先輩でした。みなさんのおかげで楽しくて楽しくて……」
そう言って、生徒会長は涙を流した。在校生の中から「ありがとうございました」という声が次々と聞こえる。鼻をすする音もする。
――僕らは本当に卒業するんだな。
そう実感できる瞬間だった。生徒会長も舞台を降りた。このままでは卒業式はあっという間に終わってしまいそうだ。それでも、とても良い卒業式だ。
「卒業生答辞」
再び柚葉ちゃんが壇上に登る。マイクの前に立つとまた、軽く深呼吸をしている。
「在校生のみなさん、そして先生方、このような式典を開いていただいたことに卒業生を代表して感謝いたします。私たちはこの学院でたくさんのことを恩師から学び、たくさんの友人と出会いました」
柚葉ちゃんは目を閉じた。
「私には尊敬する恩師がいました。その人はときに厳しく、ときに優しく、そしていつも美しい姿を私に見せてくれました。たまに見せてくれたかわいいところは私の一生の宝物です。私はいつか先生のような素敵な女性になれるよう努力することをここに誓います」
先生たちや卒業生たちが涙する声が聞こえてきた。――僕は泣かない。
「私には理事長である姉がいました。この学院をめちゃくちゃにした姉に困りましたが、三年間私たちが楽しく学院で学べたのは姉のおかげだと思っています。姉のようにはなりたくないと思っていましたが、私が理事長としてやってこられたのは姉の姿を追いかけてきたからです。そんな私をきっと姉はつまらないと一笑するでしょう。でも、卒業生はその一笑にどれほど助けられたでしょう。在校生のみなさん。姉のように自分に正直になってください。きっと未来は開けます」
――僕は泣かない。
「私には……私には好きな人がいました。いえ、います。もう姿は見えません。その人がこの学院に在籍した時間は半年もありません。ですが、今でもみんなに愛されています。私はそんな彼が大好きなのです」
僕は……僕は……もう無理だよ、丞。――僕は泣いた。
あの日、柚葉ちゃんを助けようとした丞は光につつまれた後、弾けてきらきらと舞い散った。僕は呆然とそれを見ていたけれど、柚葉ちゃんが目を開けたとき、丞が助けてくれたのだと確信した。
それ以来、柚葉ちゃんの中には丞が見えるようになった。
丞が消えた後に残ったのは、ガラスのような角だけだった。柚葉ちゃんはそれを肌身離さず持っている。
「私の心の中に彼はいます。それは比喩ではなく、本当のことです。私は彼の夢を知っています。彼が愛したものを知っています。だから今日この日まで寂しいと思ったことはありません。彼のおかげで私は強く頑張ってこられました。だからこれからもずっと一緒にいます。みなさんの心の中にも誰かがいると思います。それを大事にしてください。きっと私と同じように頑張ることができます。本日は本当にありがとうございました。以上をもって答辞とさせていただきます」
柚葉ちゃんがお辞儀をすると、大きな拍手が起こった。
柚葉ちゃんの答辞はほぼ個人的なものだった。だけど、みんなにそれぞれの大事な人を思い出させる言葉だった。僕は柚葉ちゃんと丞を誇りに思う。
卒業式が終わると、あちこちで泣きながら抱き合う光景が見られた。素晴らしい卒業式だったとみんな思っているだろう。僕はファンクラブに捕まっていたが、何とか抜け出して柚葉ちゃんを探した。あちこち探して、保健室の前を通ったとき、中から声が聞こえた。悪いと思いながらも、扉を少し開けて中を覗いた。
「柚ちゃん、お疲れ様。それから、卒業おめでとう」
「すみれちゃん、ありがとう。すみれちゃんが一緒にいてくれて本当に良かった。答辞ではああは言ったけれど、ミズキ先生もお姉ちゃんもいなくなっちゃったもの。二人だけじゃ頑張れなかったかもしれない。すみれちゃんのおかげで家でも学校でも寂しくなかったよ」
「そう、やっぱり柚ちゃんの中にはジョー君がいるのね。あのとき見た光景は夢じゃなかった」
涼宮先生は窓の外を見た。
「すみれちゃん、知ってる? ジョー君はすみれちゃんに恋してたみたいだよ。たぶん間違いない。すみれちゃんもジョー君のことが好きだったでしょ? もうちょっとで取られちゃうところだったね」
柚葉ちゃんの言葉に涼宮先生は振り向いて顔を赤くした。それから、にっこりと笑うと、首を横に振った。
「ジョー君が最後に、いえ、今でも愛しているのは間違いなく柚ちゃんよ。ジョー君は恥ずかしがり屋さんだから、心に聞いても素直に答えてくれないだけ」
柚葉ちゃんは「そうかな」と言って苦笑した。涼宮先生もその様子を見て笑っていた。しばらく無言の時間が過ぎたとき、柚葉ちゃんが姿勢を正した。
「ねえ、すみれちゃん、ううん、涼宮先生」
それを見て、涼宮先生も表情を引き締めたように見えた。
「私たち、いい生徒だったかな」
涼宮先生は少しの間、目を閉じて、笑顔で答えた。
「ええ、とても教えがいのあるいい生徒だった」
その返事を聞いた柚葉ちゃんは涼宮先生に抱きついた。柚葉ちゃんの頭を撫でていた先生だったが、ふいにこちらを向いた。
「ただ、そこで覗いている悪い子もいるけれど」
僕は驚いて、尻もちをついた。そんな僕を見て、二人は笑った。
丞、大丈夫。僕たちはきっと前を向いて歩いていける。だからこれからも一緒に歩いて欲しい。
Soul Color さくらねこ @hitomebore1982
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