シチュエーションラブコメ

PeaXe

Acer and Helianthus annuus

 ソファの上で、猫のように蹲る。

 平日の昼に家でダラダラゴロゴロしながら好きなジュースを飲みつつ好きな番組を眺めながらお菓子を食べる。

 中2の冬、痩せ型少年の楓は、冬休み前の数日を家でダラダラ過ごしていた。


 不登校でもサボりでもない。

 インフルエンザにかかってしまったのだ。それも、予防接種は既に受けていたにもかかわらず、である。


 今も微熱があるが、治りかけのため比較的調子がいい。

 マトモな思考も出来なかった数日を恨みながら、学級閉鎖も相まってまだ5日ほど休日が続くという状況を楽しむべく、とりあえず休日にするような事をしている最中だ。


 ただ、休日は案外、外に出ている事が多い楓は、これといってする事が無い。

 見た目はヒョロイが、幼馴染が連れ出しては振り回すからである。

 ……思えば、その幼馴染のせいで、余計にインフルエンザになりやすい環境に置かれていたのだ。

 楓はジロリ、視線を横にずらす。


「で、何でいるわけ」

「え、お見舞いに来ただけだよ?」

「お見舞いならお見舞おうよ。何で来て早々に他人の家のプリンを食べるのさ」

「冷蔵庫にあったから」

「まずさ、鍵を開けさせておいて挨拶をすっ飛ばして冷蔵庫に行く図太い神経を引き抜きたいんだけど」

「照れるなー」

「褒めてない!」


 セミロングの艶やかな黒髪をかき上げながら、日向は顔を赤らめる。

 万年病気知らずのこの少女は、楓のお隣さんだ。生まれた病院や、通っていた保育園も小学校も同じで、クラスは実に14年続けて同じである。

 もう幼馴染を通り越した腐れ縁だ。


 お隣さんなので、ここ数日休んだ楓にプリントなどを届けに来ていた。

 その関係で、合鍵は既に渡してある。

 楓のお母さんが。


「あ、プリン買ってきたけど食べる? 私はかぼちゃの食べるから、それ以外ね」

「まだプリン食うのか?! というか、買って来たならわざわざうちのプリンを食うなよな……」

「食べないならもらうよ~」

「……食う」

「うんうん、素直が1番!」


 けらけらと明るく笑って、日向は苺味のプリンとスプーンを差し出した。

 日向の好きな苺味を独り占めしない辺り、少しは気を遣っているらしい。


「それ食ったら早く帰れ。移るぞ」

「移らないよー。私、風邪すら引いた事無いしね」

「風邪とインフルエンザは別物だって知っているか、赤点常習犯」

「大丈夫だって。というか、出張で両親ともいない楓のために、ご飯を作りに来てあげたんだぞ? 感謝しろー!」


 両手を挙げてにっと笑う日向に、んぐ、と言葉に詰まらせる。

 楓は料理が下手なのだ。レンチンや湯煎ならどうにかなるのだが、それ以上はどうにもならない。

 対して、常におちゃらけた風の日向は料理が上手かった。


 天は二物を与えず。

 悲しいかな。日向は、家庭科と体育以外の教科で、平均点以上を取った事が無い。


 ちなみに楓はその反対である。

 体育は平均点を取れるものの、家庭科は誰もが哀れむほど悲惨なのだ。


「今日何が食べたい? 一応生ものは避けた方が良いよね~。カレー?」

「喉に負担がかかるだろ」

「それもそっか。とはいえお粥も雑炊も飽きた頃だろうし、うん、うどんだね! 材料が偶然揃っているし、そうしよう」


 と言いつつ、うどんの材料は、日向が今日買ってきたばかり。

 最初から作るつもりだったな! と、楓は静かに、そこまでの無駄な会話をさせた日向を睨んだ。

 眉間に寄ったシワが、何よりも雄弁に語っていた……。


 そして、出来上がった熱々うどんを2人で食べる。

 ここ数日はずっと、こんな光景が続いていた。何せ毎日日向がやってくるのだから。

 バカは風邪を引かない。

 だが、妙に鋭い所もある彼女なら、いつ引いてもおかしくない。

 だから毎日、早く帰らせようとする。

 しかし結果は惨敗。

 今に至る。


「はぁ。っ、けほ、こほ」

「大丈夫?!」

「驚き方が大げさ。けほ、1度咳が出ると、少しの間止まらなくな……こほっ。大丈夫だから」

「それなら、良いけど」


 これまで風邪はおろか、ケガにすら見舞われた事のない幸運体質の日向は、調子の悪い楓の一挙手一投足に大げさに反応する。

 熱ではなくとも、ちょっとしたすり傷や、いつの間にか出来ていた青あざなんかでも、死にそうな顔をするのだ。

 ケガをしたのは、楓なのに。


「そういえば、斜向かいの遠藤さんも、インフルエンザ、かかったって?」

「あー、そういえば」

「そういえば、って。あっちは同じ女子だしあっちも気にしてやれよ」

「え、やだ」


 日向は元々、きっぱり言う子だ。

 だがしかし、楓ほどではなくとも、遠藤さんは日向と仲のいい同性トップである。

 彼女はインフルエンザにかかったばかりなので、まだ熱も高いだろう。しかし日向は、そちらの看病はしたくないらしい。


 は、と。楓は思わず驚いた。


 楓にとって、日向のイメージは子供っぽいお人好し、である。

 料理上手も相まって、体調の悪い日はいつも頼りになるのだ。

 その前に青い顔をして「死なないで!」と叫ばれた上で、だが。


 そんな彼女が、親友とも言えポジションの女の子の看病はしないのだろうか。


「あのねー。私だって、看病したい相手とか料理を作ってあげる相手は選ぶよ?」


 ぷんぷん、という音が聞こえてくるかのように、日向は顔を真っ赤にする。

 頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。


 おや、と楓は思う。

 かなり長い事、それこそ現在の人生のほとんどを一緒に過ごしているが、そんな表情は見た事が無かった。


 不機嫌というか、照れているというか。

 実に日向っぽくなかった。


 いつも子供っぽく、行動基準が一般男子に近い彼女が。

 何故だか今日は、女の子っぽい。


「……俺って、日向の中で結構、大切な方なのか?」

「え、今更?!」


 あからさまにショックを受けたような様子で、日向は目を見開く。


「え、じゃあ、今までどのくらいだと思われていたのさ!」

「んー……気安く話しかけられる男友達辺りかな?」

「自己評価低いよ! せめて親友以上とか、考えていなかったわけ?!」

「え、だって日向って、別に他の男子も女子も同じように話すし」

「話す回数とか内容とかさ!」

「そりゃ、幼馴染で腐れ縁だからだろ。そこまで評価が高かったとは……」


 楓は記憶の引き出しを全開にする。

 確かに、日向が最も多く話すのは楓。少々他には聞かせられないような際どい話も、楓くらいにしか話していない。

 だがやはり、それは自分達が『幼馴染』で『腐れ縁』だからだろう、と結論付ける。


 昔からそうなのだ。

 たとえ成長しても、日向の事だから。


 そう、考えていた所に。


「いや、というか! 幾ら幼馴染で腐れ縁でも『好きな人』じゃないと異性の家まで来ないでしょ!」


「……うん?」


 爆弾が、投下される。


「……はぇ?」


 自分が何を言ったのかを、日向はしばらく理解できなかった。

 シン、と部屋が静まる。


 1秒。10秒。1分。

 カチ、コチ、カチ、時計の秒針だけが忙しなく動き、そして。

 リン、と。

 セットしてあったタイマーが、短く鳴り響いた。


「えっと、その……何の、時間?」

「見たかった番組。……けど、もういいや。何か、それ所じゃなくなったというか」

「うぅ」


 タイマーのおかげで、沈黙は切れた。

 しかし、気まずく重い空気はまだ残っている……。

 お互い、ギクシャクしながら、食器を片付け始めた。


 そして終わったら、お互いカーペットの上で、正座で向かい合う。

 昔から、喧嘩をしたり相談事をしたりする時は、こうするのだ。


「……普通さ」

「……うん」


 ただ、今日はこれまで以上に空気が重い。

 楓が切り出すのに、5分ほどは要してしまったくらいには。


「……風邪を引いた方が、素直になるべきだと思うんだよ」

「……何の話?」

「まぁ、えっと。つまり」


 楓が、すっと立ち上がる。

 何を言われるのか。何を言うのか。日向の頭の中で、グルグルと嫌な言葉ばかりが渦まいた。

 思わず、目をギュッと閉じる。


 カーペットだから、足音はしない。

 だが、風の動きで、楓が日向の後ろに回った事はわかった。


 そしてやってきた衝撃――


 ぎゅう、と。

 楓は、日向を抱きしめていた。


「インフルエンザ。移ったらやだから。今日はこれで勘弁な」

「……っ!」


 耳元で、囁かれる。


 それって。それって……!


「か、かか、楓……っ」

「今日はもう帰れ。調子悪くなったら、俺、外行けないからな」

「……!」


 お互い顔を真っ赤にしながら、先程と同じくギクシャクと動く。

 けれど、そこにはもう、気まずい空気など流れていない。


 あるのは……とりあえず、苺プリンよりもずっと甘酸っぱい空気だ。


「また、明日ね」

「ああ。また、明日」





 *◆*





 翌日。


「えっ、熱上がった?」

「……」

「し、死んじゃヤダー!!!」

「……死な、ない、から、落ち着い……あぁもう! 首を絞めるな、日向ぁー!」


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