神奈川家の彩華さんは尽くしたい
本田セカイ
それでも彼女は寝ていない
「
「遊佐さんお夕食の準備が出来ました、どうぞこちらへ」
「遊佐さんお風呂が沸きましたのでお先にお入り下さい」
「遊佐さんお布団を敷きましたのでいつでもお休み下さい」
「ゆ、遊佐さん……まだ起きて……おられますか……?」
神奈川家は所謂資産家という奴で、代々非常に裕福な家柄なのであるが、自分に厳しく他人に優しくという家訓があり、とかく女性は『男を引き立てる美しい女であれ』という古い風習が未だに蔓延している家柄なのである。
僕の親父は、そんな風習を受けて育った母の虜となった結果、見事跡取りとして婿養子となり、神奈川家へと足を踏み入れたのであるが――そこで産まれた僕はこの家が心の底から嫌で仕方がなかった。
だから、東京住まいに関わらず、彼らに反抗をするつもりで関西の大学を選び、高校を卒業すると僕は即座に神奈川家を飛び出した。
これで仮面を被った彼らと毎日顔を合わせずに済む――そう思っていたのに。
「……彩華、眠いなら先に寝てもいいぞ、僕に気を使わなくていいから」
「そ……そういう訳には……い、いきません……遊佐さんがお眠りになられていないのに……わ、私が寝るなど……」
ここは俺に任せて先に行け! とでも言っていそうな感じで瞼と闘いながら、彩華は必死に首を横に振ってそう答える。
順風満帆――とはいっていないがあの家にいるぐらいならと、六畳一間のワンルームで圧迫感なく過ごしていた一年後に、彼女は突如姿を現した。
玄関の前で黒のミディアムヘアを垂らし、床に顔が付きそうなぐらい深々と座礼をした彼女を見た瞬間、怖気が走ったのを今でも覚えている。
そこから始まった理不尽な共同生活、正直今でも納得はしてない。
「……頼むからせめてソファに座ってくれ、床で正座しながらウトウトなんてされたら僕がお前に悪いことをしているみたいだろ」
「な……! そ、そんなことは絶対にあり得ません……! だ、だって遊佐さんは――うう……ね、寝ていません……私は寝ていませんよ……ぐぐ……」
「目を瞑りながら首を振るの止めてくれる?」
しかも今度は縦て。
堪らず溜息をついてしまい、壁に掛けている時計を見る。
時刻は夜中十二時になるまで残り六分といった所。普通の大学生ならこの時間帯で眠いという人は殆どいないだろう、だが彩華はそうはいかない。
何故なら彼女は朝四時には目を覚まし、洗濯を済ませると僕のお弁当をわざわざ作ってくれ、そして同じ大学へと向かうのだから。
そして家に戻れば僕が帰ってくるまでの間に全ての家事を終わらせ、その後もずっと僕の傍に鎮座し、僕が何かしようとすれば先回りする、こんな状態を毎日続けて疲れない奴が果たして何処にいるというのか。
「彩華……お願いだからソファに座ってくれ、座らないならその時点で僕は彩華を寝たとみなすぞ」
「へえっ!? わ、私はまだ……だ、駄目です! ほら見て下さい遊佐さん! 目、開いているでしょう! 起きています! 私は起きているんです遊佐さん!」
「両手で無理矢理瞼をこじ開けてでも駄目だ、それはただ寝相が悪い上に寝言が多いだけの品のない女の子としか認識しない、そして叔母さんにチクる」
「そんな……! うう……わ、分かりました……そ、それでは……」
観念した彩華はしょんぼりとした顔で立ち上がると、ようやくソファへと座ってくれる、最後の抵抗だと言わんばかりに正座の態勢だけは崩さなかったが。
そういえば……不本意ながらここで一緒に暮らすようになってから早一ヶ月経つが、こうして横に並んでくれたのは初めてのような気がする。
昔は――それこそ小学生の頃はよく一緒に遊んだものだった、神奈川家の風習なんて意に介さない、純粋な子供同士の日々。
他人より少し目尻が上がっているだけなのに、同級生にからかわれて引っ込み思案になってしまった彼女を、よく外に連れ出していたっけか。
それがいつの間にかこんなに大きくなって、そしてこう……発育も大分よろしくて……つうかこいつ、こんなに可愛かったっけ――
自分で横に座らせておきながら今更の事実に急に恥ずかしくなってくる。
「ゆ、遊佐さん……こ、これで寝てないということでいいんですよね……」
「首が零れ落ちそうになってるけどな」
「わ、私は首が取れても眠りません……」
「死んでるんですけど」
「あと少し……あと少しですから……」
ううむ……流石にここまで必死だと可哀想になってくる、別にもう神奈川家の目がある訳じゃないのに、どうしてそこまで……。
終いには口から涎も垂れ始めあまりにも見ていられない有様となっていたので仕方なく先に寝ると彩華に告げようとすると――彼女を呟き始めた。
「私は……遊佐さんに尽くすって決めたんです……」
「……え?」
「一人ぼっちで怖かった私に……毎日優しくして下さった遊佐さんに……恩を……全然返せていないから……」
「……そんなの、恩に感じるようなことじゃ――」
「本当はもっと早く遊佐さんに――でも私を避けているみたいだったので……」
「それは……」
実際、事実ではあった。
それは僕が中学生になって口下手な引っ込み思案になったのも理由ではある。
だが、どちらかといえば彼女が神奈川家の教えを忠実に守るようにして、僕が嫌いな彼らへと変わっていく姿を、見ていられなかったのだ。
だから避けてしまった、彼女も中学生になって学校に馴染んでいたし、こうやって疎遠になるものだと思っていたのだが――まさかそんな風に思ってたなんて。
「関西の大学に行かれるというお話を聞いた時は……非常に寂しかったです……ですが、だからこそ、私は遊佐さんのお傍にいられるようにと……」
「彩華……」
「神奈川家の人間だからではないです……私は……ただ遊佐さんを――」
「……うおっ!?」
「……きゃっ!」
全く予期していなかったせいもあるが、突如スマホが大きな音を立てて鳴り響いたので僕と彩華は驚いて思わず声を上げてしまう。
……どうやらアラーム設定をしていたらしく、飛び上がった彼女は慌ててアラーム音を切ると、少し顔を赤くした表情で僕の顔を見た。
「ゆ、遊佐さん! い、今、わ、私寝てなかったですよね!?」
「へっ? い、いや今彩華と話をして……」
「ごめんなさい! あ、あの、それで――て、テレビを付けてもいいですか!?」
「はい? ……べ、別にいいけど……」
すると彩華は僕に何度も頭を下げてからリモコンを手に取り、テレビを付けチャンネルを切り替える。
何だ何だ……? と思いながら画面を見ていると、そこに映し出されたのは今話題になっている深夜アニメだった。
「そ、その……お友達から勧められまして、それで見たらとても面白くて……じ、実家ですとこういうのを見るのは禁じられていたので……」
「ああ――だからこんな時間まで……」
「……ゆ、遊佐さんと一緒に見てお話がしたくてどうしても……あ――わ、我儘……ですよね……ご、ごめんなさい、やっぱり消しま――」
「彩華ありがとう、僕も丁度見ようと思ってたんだよ、面白いよなこれ」
「え――ゆ、遊佐さん……?」
「面白いとは思ってたんだけど話をする相手がいなくてさ、まさか彩華が見てくれていたなんて嬉しいな」
「は、はい……! そ、そうなんです! 私もこの作品が――」
そう言って笑顔で話し始めた彼女は、神奈川家の、あの繕った仮面の笑顔とは違って、本当に笑っているように見えた気がした。
――いつしか親父がこんなこと言っていたことがあった。
『母さんは完璧過ぎて人に見えないかもしれない、でも俺とお前に見せる感情に嘘は一つもない』と。
当時の俺は母親ですら神奈川家という概念の一つだと思っていて、親父もそれに取り込まれたからそう言っているだけなのだと、思っていたのだが。
もしかしたら、本当に彩華は――――
「彩華――来てくれてありがとな」
「ぐー…………」
「寝てるんかい」
神奈川家の彩華さんは尽くしたい 本田セカイ @nebusox
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