紅の恋心

久遠マリ

戦場の中心で愛を叫ぼう

「退却する、守護せよ」

 私が声を響かせれば、近衛たちはちゃんと言うことを聞いた。飛猪の背に乗り、両脇を固め、前後を固め、槍を構え、岩巨人が担ぐ輿の周囲をぐるりと取り囲む。

「我が大地の友よ、力を貸し給え」

 乞えば、私の乗る輿を担いだ人間四人分の巨大な身体を持つ岩巨人たちが、地響きと共に立ち上がった。揺れる輿の中で、簾を上げて、闇夜の中に目を凝らす。辛うじて一本だけ残っている松明が、砂埃が立つ向こうに迫りくる騎馬軍の姿を照らしていた。

 読み通りだ。皇国軍は追い掛けてきている。

「王女様をお守りしろ!」

 うまい具合に誰かが叫んでくれたようだ。アルクナウ=ライデン皇国の者たちは、六度目の戦いに赴いた我がインル・ファ・シリン王国軍五千の総大将が第二王女である、と気付いただろうか。

 わざと森の木を切り倒し、土術師の実力をはかる為に転がしておいたことに気付いているだろうか。敢えて大河の近くに糧食を置き、水路を作って水の流れを変えたのは、私たちの退路を断つ為であると気付いているだろうか。騎馬隊に敢えて立ち向かい、その主たる者をおびき出そうとしていたことに、気付いているだろうか。

 蹄の音は聞こえない。消音の術か何かが施されている皇国軍の騎馬隊は機動力と隠密性に優れており、大陸において最も敵に回したくない部隊とまで言われている。一千人で歩兵二万人に匹敵する、音なき死。

 その男の顔を私が遠目に見たのは、四度目の戦いの時だった。血の滴る兜を邪魔だと言わんばかりに引っぺがして投げ、そうして下から現れたかんばせは、勇猛さと逞しさを煮詰めて滋養強壮薬となるまで濃く煮詰めたような雄の色香に溢れていた。インル・ファ・シリンの人間の中にはおおよそ存在せぬであろう、岩巨人の子に匹敵するかのような巨躯、しかし如何にも人の子らしい理性ある瞳。騎士たちを気遣い、鼓舞する優しい言葉、雄々しい声。筋肉の太さ、馬術の巧みさ、剣の腕までもが全て、鮮烈で。

 目が離せなくなったのだ。

 徹底的に調べさせた。名はレムロク・ハリエンジ。平民上がり。皇国第一騎馬隊を率いる将軍。妻なし、子なし、恋人なし。人当たりよし。責任感強し。タリマータ・アント=ライデンという名の幼馴染あり、黒き嵐との異名持つ副将軍にして第一皇子のいとこという立場の。それもまた、妻なし、子なし、恋人なし。しかし、皇族に話がしやすい環境である。素晴らしい。本人は平民であるから、皇族と距離が近いことで要らぬ苦労をしそうであるが、そこも都合が良いように思えた。

「リーンメイさま」

 簾を捲り上げて後ろを見る。女近衛に咎められたが気にしない。求めてやまない彼は先頭に立っていた、間違いない。矢が飛んできたが、掠ることもなく落ちていった。私の心臓を撃ち抜けるのは、彼だけだ。

 私は輿の中に引っ込んで、思わず漏れる笑みを何とか押し殺そうとした。

「リーンメイさま、いよいよ、です」

「ええ」

「埋められた水路が見えたようです……もう間もなく囲まれます」

「わたくしと彼の距離も埋められるかしら」

「あの素敵な働き者の丸太を橋に致しましょうか」

「……あの山毛欅さんたちには恨まれていそうね、何とか宥めなければ」

「この計画が成功すれば、土術師が助けてくれるかもしれませんよ。リーンメイさま、見えて参りました」

 お覚悟を。彼女は私を勇気づけるように、肩を撫でてくれた。丸太が枝を振り乱している、丸太が足を踏み鳴らしている、丸太が木の洞から不気味な音を出している、丸太が待ち構えている、などという、よくわからない叫び声が聞こえてくる。アルクナウ=ライデンの土術師はどうもお茶目な者ばかりであるらしい。そのような者たちが味方になってくれたら、心強いことこの上ないだろう。

 成功するだろうか、一世一代の戦いは。


 私たちは囲まれていた。

「リーンメイ・ツァリーアガン=ファ・シリンどのとお見受けする」

 低く、臓腑の底にまで響いてくる太い雄の声。是非耳元で囁いて欲しい。私の腹が疼いた。

 髪を振り乱して歩く人間のような動きをする丸太が松明を持ってずらりと並んでいる、その手前だった。岩巨人に乞うていた手助けを、もうよいと断り、輿から降り、武器を投げ捨て、インル・ファ・シリンの作法で恭順の意を示す……地に膝をつき、顔を伏せ、腕を交差させて自分の両肩を抱くように組むのだ。

「いかにも、わたくしが、インル・ファ・シリン王国が第二王女、リーンメイ・ツァリーアガン=ファ・シリンでございます」

「面をお上げ下され。決して傷つけるような真似は致しませぬ」

 金属鎧が、身体の動きに合わせて、重々しい音を立てる。鋼が何か柔らかなものと擦れ合うような音がした。将軍、と諫める声も聞こえる。

 そうっと顔を上げれば、兜を脱いだ顔が、此方を見下ろしていた。精悍で逞しい。短く刈り揃えられた髪は硬そうだ。貫禄のある体躯だが、顔に皺は少なく、まだ若いように見えた。年の頃、三十に差し掛かったかどうか、そのあたりであろうか。

「レム、いけません、敵前です」

「大丈夫だ、マータ」

 にやりと笑った顔も素敵である。レムロク・ハリエンジだ。自分もレムさまとお呼びしたい、と思った。それに反して、マータと呼ばれた方の長い黒髪の男は、油断ならぬとでも言いたげな表情だ。恐らく、彼がタリマータ・アント=ライデンであろう。

「この第二王女、とんだ女狐です」

「まだ話してもいないのに、わかるようなものか?」

「腹に三物ぐらいありそうな顔をしています。とんでもないものを吹っかけてきますよ、女は」

「お前だって昔からとんでもないことを言いだすだろうが。一番近くで見てりゃ、お前のことなんざ、よくわかる。男とか女とかいう雑な括りで、お前を見たことなんて、おれはないぞ」

「……ええ、ええ、よく私のことを御覧になっていらっしゃるようで」

 目の前に、まんざらでもなさそうな表情を浮かべるタリマータ。黒き嵐と呼ばれる副将軍を言い負かした。強い。弁も立つ。素晴らしい。

 私も一番近くで見ていたい。見られたい。

「レムロク・ハリエンジ将軍様とお見受けいたします……あなたさまの名声と人望、武勇、雄弁、誠実さ、この目で拝見し、素晴らしき英雄であると感じ入る次第」

 タリマータが意外そうに眉を上げるのが見えた。レムロク様は少し照れたように頬を掻く。このような表情もするのか、と思うと、心が跳ねた。口は勝手に動いた。

「わたくしは、アルクナウ=ライデン皇国に降伏致します。つきましては」

 彼の身体の輪郭を炎が彩っていた。さながら炎の精霊王ヴァグールの如く。

「わたくしの身は戦利品となります」

「……戦利品、そうなるな」

 レムロク様の背後で何やら歓声が上がった。綺麗なお姫様が戦利品。将軍の戦利品。と、険しい表情をしたタリマータが、私の視線からレムロクを護るように、前に立ちはだかる。

「いけませんよ、レム」

「……何故だ」

「あなたを篭絡して情報を吸い出す捨て身の作戦やもしれません。第一王女と不仲である話は聞いておりますが、それは噂にしかすぎぬやも」

 私はかぶりを振った。

「第一王女のラーオメイは自国を強くすることばかり気にかけていて、視野が狭いのですわ。現に、北の港欲しさで何度もあなたがたの国境を侵犯し、攻め入っては失敗し、金を無駄に浪費する。そのおかげで飢饉からも回復できず、我が国から民は流れ出ていく始末。わたくしは思いますの、ここで、外つ国との交易を盛んに行い、自国を発展させているアルクナウ=ライデンの庇護下に入る方が、より多くの民を救えるのではないかと」

 そうして、一計を案じ、こうして六度目の戦場に出てきたのだ。姉には、冬になって餓死者が増える前に早く港が欲しい、ということを話して、五千の兵を借りて。

「その為なら、何でも致しますわ」

 レムロク様は一気に難しい顔になった。

「……マータ、どう思う」

「……私なら、いとこに相談です」

「だよな。おれは思うのだ、何も、第二王女様が戦利品にならずとも、書簡ひとつ寄越してくれれば良いのでは、と。おれは平民だ。幾ら将軍であろうと、おれのような者が王女様を戦利品として扱うなど、畏れ多い。タリマータに譲ることにする」

 紳士である。素晴らしいが、待って欲しい。これでは私の本当の望み通りにはいかない。

「違うのです、ハリエンジ将軍様」

「何が違う?」

「この騎馬隊で一番お偉いのは将軍様でございますが、わたくしをそこの副将軍様に下げ渡すのは、不敬とみなされるのではないでしょうか……タリマータ・アント=ライデン様、皇族の御方でございましょう」

「……ううむ、成程」

 威圧感を与えぬよう、精一杯穏やかな声色を出そうとしているのだろう。その気遣いが嬉しかった。声をかけて頂いた事実だけで、勇気が無尽蔵に湧いてくる。だから、口はやっぱり勝手に動いた。

「それに、わたくしは、四度目の戦いであなたさまを拝見し、その時からずっと、あなたさまのことが忘れられぬのです」

「……何だって?」

 戦場の中心で愛を叫ぼう。一世一代の大勝負、女の戦いを。

「お慕いしております」

 将軍の後ろで、騎士たちが、歓声を上げた。

「国とわたくしの為に、わたくしの身体を、あなたさまに捧げますわ」



お題「シチュエーションラブコメ」

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