第14話
――月日は流れ、九月。
受験勉強に没頭しすぎてパンクしそうな頭をどうにかしようと、気分転換も含めて受験する大学の文化祭に行くことにした。土日の休日で多くの人で賑わっている中、小太郎は彼女に手を引かれて人混みを掻き分けながら進む。
「ちょっと待って……待てって! お前みたいに小柄じゃないからそんなに進めないから!」
「ええ……でも早くしないと全部まわれないよ? 新幹線の時間だってあるんだから!」
「文化祭以外の話だろそれ! お前来る時からずっと近くのカフェ巡り雑誌読んでたもんな!」
少し開けた場所まで来て言うと、手を引く彼女――
事故から四ヶ月近く経った今、彼女は以前の記憶をある程度取り戻していた。そもそも忘れていた記憶のほとんどが小太郎のことだけだったこともあり、保育園からの付き合いであったことや彼の存在自体を思い出すのには案外簡単だった。
それには三ヶ月前の――あの謎の少年との取引がきっかけになった。
*****
「――君たちさ、ボクがいる前でよくそんな恥ずかしい告白できるよね」
互いに泣きっ面で想いを告げた小太郎と凛花――正確には事故に遭う前の彼女の人格――の後ろで、少年が呆れた顔で言った。そして大きなため息を吐くと、少年は小太郎に問う。
「ここで想いを告げたところで、現実であの子と付き合えないよ? 無駄じゃない?」
「無駄じゃないって思ったから言ったんだ。後悔はしてない」
「開き直っちゃったよ……ったく、君たちは似た者同士だねぇ。呆れちゃうよ。――呆れちゃうくらい、人間らしい」
小さく微笑んだ少年は二人の間に入ると、小太郎をまっすぐ見据えた。初めて見る黄色の瞳は、まるでビー玉のように綺麗だった。
「ボクに面白いものを見せてくれた君にごほうびをあげよう。ここにいる彼女は返してあげられないけど、記憶だけは返してあげる」
「え……?」
「だから、君のいる世界の記憶を無くした彼女に、君の存在の記憶を戻してあげるって言ってんの。ただ、彼女が君の命と引き換えに差し出した人生の代償をすべて返してあげられないし、君が好きだと言った古賀凛花は返してあげられない。……どうする?」
「……それでもいい。生きてる凛花が幸せなら、いつかアイツを幸せにしてくれる奴がいるならそれでいい」
そっと少年の後ろにいる凛花を見ると、満足そうに笑ってスッと消えてしまった。
「キザな台詞だねぇ。それに惚れちゃう彼女も彼女だけど。……あーあ。君の答えが早かったからもう行っちゃった。せっかちだね」
「……なあ、凛花の予知夢はどうにかならないか?」
凛花に記憶が戻ったとして、小太郎が懸念していたのは彼女が秘密にしていた悩み事――予知夢のことだった。また誰かが命の危機に面したのを予知して、凛花が命を投げ出すことを防ぎたかった。同じ過ちをしないように、同じ想いをしないように。
少年は考え込むようにしかめっ面をしばらくすると、何か閃いたように表情を明るくさせた。
「なんとかしてあげられなくはないよ。いや、特別になんとかしてあげる。その代わりに――」
少年は目線を下に落とす。その先にはずっと握っていた、食べかけのバニラアイスがあった。
「それ、頂戴」
「……これ? 食べかけだぞ」
「でもそれは元々、君が彼女にあげようとしてたものだろう? 価値はある。……いいや、ボクが欲しいのかもしれない」
ってことで頂戴。にっこり笑う少年に、食べかけのバニラアイスを渡す。アイスを受け取ると、少年は満足そうに笑った。
「人生がちゃんと終わるまでもう二度と会わない事を願うよ。――君にも、彼女にもね」
*****
その後、小太郎が気がついた時には辺りが夕暮れの空が広がっていた。目の前の光景は暗転する前と同じで、隣にはなぜか凛花が小太郎の肩に凭れて眠っていた。下を見ると、地面には凛花が落としたバニラアイスが完全に溶けていた。
暫くして彼女は目が覚めると開口一番に少年のことを口にした。どうやら謎の空間にいたときのことまで記憶として追加されていたようだった。小太郎が順を追って説明をすると、どこか安堵したように笑っていた。
――そして、現在に至る。
記憶が戻って以降、凛花は予知夢を見なくなったという。彼らの間にあった距離は以前より近付いたものの、相変わらず幼馴染のままだった。
「……記憶を無くす前の私は、ちゃんと想いを伝えられたんだね」
文化祭の展示を見てまわりながら、凛花はふと口にした。
「小太郎君もちゃんと言えてよかったね」
「……もう言うなよ」
ニコニコとした笑みを浮かべる凛花の隣で、耳を真っ赤にしてそっぽを向く小太郎。
今にして思えば、隣にいる彼女は小太郎が好きだと言った凛花ではない。あの告白は第三者の少年と共に見られていた公開告白だったのだと、後で気づいたのだ。
「そんなに赤くなられても……っていうか、私も恥ずかしいんだけど……」
「なんでだよ……あんなのノーカンだよ、ノーカン。いつか言うからちょっと待ってろ」
「そっか……え? ええ!?」
「ああ、口が滑った。なんでもないから忘れて今すぐ忘れろ」
「ちょ、っちょっと待って! 今のもう一回!」
数ヵ月後、彼らはこの大学に進学して上京してくることになる。そんな未来が待っていることなど、彼らはまだ知らない。知らなくていい。
――今はまだお馴染みのバニラアイスでも食べながら、今までの距離を少しずつ詰めていこう。
――二度と後悔しないように。
彩られた大学の校舎を巡りながら、小太郎は彼女の手を取って歩き出した。
[零れたバニラアイス] 完
零れたバニラアイス 橘 七都 @flare08
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