第13話

「――それ以上はルール違反だ。急に別の次元に飛ばして悪いね」


 先程まで座っていた日陰のベンチから一転、いつの間にか事故のあった交差点の横断歩道の前に立っていた。目の前にいた凛花りんかはいなくなり、先程渡したはずの食べかけのバニラアイスが自分の手に戻っていた。丁度横断歩道の真ん中に、あの謎の少年が立っていることに気付いて、小太郎こたろうから声をかける。


「……お前、誰なんだよ」

「ボクはボクであって何者でもない。――って前にも言ったね。そうだな、とある郵便局の配達員とでも思っておくれ。間違っていないしね」

「郵便局?」

「そう、ここは最後の願いを取引して送り届ける場所」


 少年は嗤いながらゆっくりと小太郎の前に歩み寄ってくる。見えない恐怖で足元がくすむが、体が動かない。一歩一歩距離を縮めてくる少年は話を続けた。


「君の思っている通り、あの日交差点で事故に遭うのは君だった。一緒に帰路につく途中で、彼女を庇って車に跳ねられる。――ボクは最初、これが未来であり確定していたことも知っていた。ただ彼女は夢でそれを三日前に知ってしまった。生まれもっての予知夢と、君に好意を抱いている友人の恋愛相談で板挟みになった彼女は、自ら道路に出て車に跳ねられることでそれを回避した。――結果、君は無傷で助かり、友人は君に告白をしてきた。めでたしめでたし。――に君はさせなかった、しなかった」


 小太郎の目の前に立つと、少年は先程まで浮かべていた笑みから今度は目を細めて睨み付けた。


「せっかく彼女が記憶を売ってまで救った未来を、君は無駄にした。告白を受ければ友人も君も幸せになれたはずだ。どうして?」

「なんで……未来を知っているお前が、どうしてそれを俺に聞くんだよ?」

「生憎ボクには人間ではないのでね。理解しがたいんだよ。それ故興味がある。だって人間って、神様によって生死という人生を決められてしまう駒みたいなものじゃないか。――ねえ、教えてよ。君はどうして彼女の気持ちを無視してまで足掻くの? 自分の道は自分で決めるとか、そんな綺麗事が通じるなんて馬鹿げたことを口にするのかい?」


 少年は嘲笑いながら嬉しそうに、楽しそうに問い詰める。その瞳の奥が泣きそうになっているのは、この場に恐怖を感じている小太郎でもわかった。小太郎はアイスを持っていない手をぎゅっと握りしめると、少年に言う。


「逃げるなって、言われたから」

「は?」

「……高校に入って、話す回数は極端に減った。アイツは明るくて、友達が多くて。俺なんかと一緒にいることが不思議なくらいだった。きっとそのうち俺から離れて、彼氏とかできるんじゃねぇかなって思ってた。実際に告白されている場面に出くわしたこともあった。アイツは知らなかったと思うけど、ちゃんと聞こえてたよ」


 ――思えばその日も暑かった。

 高校に入学して数ヵ月経った夏の日。誰もいなくなった教室に忘れ物を取りに来た小太郎は、凛花が同じクラスの男子生徒に告白されているところを見てしまったのだ。その時の凛花の言葉は、今でも覚えている。


『――ごめんなさい。私、小太郎がずっと好きだから、せめて高校卒業するまで頑張りたいの』


 それを聞いて以来、小太郎は凛花と関わることがどこか恐ろしく感じてしまっていた。今までの幼馴染という関係が崩れたときの周りの目が怖かった。

 大切にしたいものを、自分の手で終わらせてしまうのではないか、と。


「何に悩んでいるのかわからなかったこともあるけど、俺がもっと早く気付いていればもしかしたら事故に遭うことも記憶が無くなることも無かったかもしれない。……いや、それでももっと早く伝えればよかったんだ。俺も好きだって、言えたらよかった」


 無くした記憶の人物のその後のことなど、他人はおろか、本人でさえもわからない。

 「あの時の君」と「忘れてしまった後の君」は、恐ろしい程似ていて、似ていなかった。小太郎は最初、「忘れてしまった後の凛花」が生きていればそれでいいと思っていた。人格が違えどそれは正真正銘の古賀凛花であることは誰もが認める事実だからだ。それでもどこかでふと、「あの時の凛花」が顔を覗かせる時がある度に、後悔してきた。

 そうして自分が無力だと気付くのだ。

 記憶の中だけで留めて置けないほど、たまらなく好きだった。


「……それは懺悔?」


 少年がつまらなそうに彼に問う。


「悪いけど、ボクは神様じゃない。それは君が――」

「わかってる。それでも俺はもう、お前の涙を拭ってあげられない」


 小太郎はそれを少年ではなく、彼の後ろで見ていた少女――凛花に言う。ベンチでアイスを落とした彼女ではなく、自分から道路に飛び出した凛花だった。所々透けて見えるのは、記憶だけの存在だからだろうか。これでは震える肩を支えてあげることもできない。


「……怖かったよな。ごめんな」


 小太郎がそう言うと、凛花は見たことないくらい涙と鼻水でグシャグシャの顔でにっこり笑った。


 ――ああ、それでも最後にお前の泣き顔を見れたのはよかったのかもしれない。


 疲れたら、辛かったら、嫌な気持ちになったら、いつだって泣いていい。

 笑いたい時に笑えばいい。無理に笑顔を作る必要なんてどこにもない。笑っているだけのピエロの仮面なんて捨ててしまえ。

 全部捨ててスッキリしたら、今度こそ思いのままに笑ってほしい。

 ――そう教えてくれたのは凛花だ。


「凛花がずっと好きだった。伝えられなくて、ごめん」

「――私も、大好きだよ」


 グシャグシャの顔でも笑った凛花が、とても綺麗で儚く思えた。

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