第12話

 体育館裏で青山あおやまと別れ、小太郎こたろうは一人学校を抜け出した。そもそも、昇降口で青山に連れていかれたのだから、教科書やノートが入ったリュックは背負ったままだった。

 そのまま家に帰るのも癪だったのか、あの日と同じように日陰のベンチに腰かけた。大して雨が降らなかったこともあって、梅雨明けがいつされたのかはわからない。今日もまた、雲ひとつない晴天で、高い空に浮かぶ太陽は今日もギラギラと地面を照りつけていた。


「……暑い」


 小太郎は背負っていたリュックを横に置くと、下を向いて目を瞑った。何となく、ここにいればあの少年に会える気がしたのだ。しかし一向に現れる気配はなく、小太郎は半分諦めてどこか遠くから聞こえるセミの声に耳を傾けていた。


「――――見つけた!」

「つうおお!?」


 すると突然、頬に冷たいものを当てられると、小太郎は驚いてベンチから崩れ落ちた。ひんやりとした頬を擦りながら後ろを向くと、なぜかそこにはコンビニの袋を持った凛花りんかが背もたれに寄りかかるようにして楽しそうに笑っていた。


「おまっ……え? 何してんの? 授業は?」

「サボってきた! はい、どーぞ!」

「どうぞって……」


 凛花がコンビニの袋から取り出したのは、いつも食べているあのバニラアイスだった。呆気に取られながらもアイスを受け取ると、凛花は隣に座って同じアイスを食べ始めた。彼女の額にうっすらと汗が見えた。どうやら学校からコンビニ経由でここまで来たらしい。


「……なんで」

「なんでって、教室に戻って来なかったから。心配になっちゃって」

「青山は戻ってきたでしょ。なんで俺まで――」

「だって小太郎君、どこか行っちゃいそうなんだもん。実際学校を抜けてここに来ちゃったし」


 いつの間にか「溝口君」から「小太郎君」に呼び方が変わっている。小さな変化だが、今はそれよりもあの事故の日のことを考えていた。あの日も、こうやってベンチで休んでいるところに凛花が唐突に現れた。


 ――あの日と同じ、か。


 アイスが入った袋をビリビリと開けて、口に放り込む。ひんやりと甘いアイスが口の中で溶けて行くのを感じると、少しだけ気が紛れるような気がした。


「おめでとう」

「は……?」


 凛花がアイスを食べながら笑って言う。


「さっちゃん可愛いし優しいから、大事にしてあげてね」

「……お前、どこから聞いてた?」

「聞いてたというか聞こえてしまったというか……さっちゃんが告白しているところは聞いちゃった」

「随分正直に話したな」

「うーん……きっと、隠しても無駄だと思って」


 小太郎君、先読みしていそうだし。とそっぽを向いて言う。ちょっと拗ねたような言い方なのは、青山に嫉妬でも抱いているのだろうか。小太郎は小さく笑うと凛花の頭を軽く叩く。


「バカか」

「ちょっ……人の頭叩かないでよ!」

「勝手な思い込みで物事を進めるな。告白アレは断った」

「……え? ええ!? あんな可愛い子振るとか、小太郎君バカなの!?」

「バカで結構。自覚済みだ。……だからそんな作り笑いやめろ」


 向き合う姿勢になった凛花の目は大きく揺れていた。彼女はそっと目元を触れて涙が流れると、不思議そうに首を傾げる。


「あれ……なんで? なんで私、泣いて……」

「なんでって、こっちが聞きたいよ」

「う……でも、わからなくて」


 前の私の記憶なのかな――と、悪ふざけをしたように笑いながら、目を擦る。それでも涙は止まらなかった。


「……泣きたい時に泣け、そんで思いきり笑えって、お前が俺に教えてくれたことなんだけどさ。お前は、忘れているだろうけど」

「え……」

「俺はどこにも行かないし、ちゃんとここにいるから」

「……でも大学は県外に行くんでしょ?」

「行くけど、別に一生帰って来ないって言うわけじゃないし」

「でもそこで就職したら? 結婚したら?」

「さっきからお前はなんの心配をして……」

「私、きっと後悔する」

「は?」


 凛花は赤くなった目でまっすぐ小太郎を見据えた。短い沈黙の後、先に口を開いたのは凛花だった。


「私……多分私は――」


 彼女が何かを言いかけた途端――ぼとり、といった音が聞こえた。

 互いに真剣な表情で見つめあっていた二人が、恐る恐る音が聞こえた方向へ目を向けると、丁度ベンチの下あたりに凛花が持っていたバニラアイスが全部地面に落ちてしまっていた。


「…………あ、いす……」

「……あーあ」

「わ……私のアイスがあああ!」

「ってコラ! 地面に落ちたもの舐めようとしてんじゃねぇ! 勿体ない気持ちはわかるけど!」


 先程の空気から一転、地面に落ちたバニラアイスを見て、凛花は顔を真っ青にした。彼女いわく、まだ一口しか食べてなかったという。別の意味で泣きそうな彼女に、小太郎は溜め息をついて、食べかけのバニラアイスを差し出す。


「それはもう蟻にくれてやれよ。ほら。これやるから」

「でもそれは小太郎君ので……」

「……『半分こしたアイスも美味いから、溶ける前に食べて』くれ」


 幼い頃に同じことをした凛花を思い出しながら、小太郎はあえてそう言った。それに気付いたのか、次第に凛花の頬が赤く染まっていく。


「えっと……もしかして?」

「…………」

「今の、私を励ましてくれたの?」

「……そうかもねー。お前のすきな人? 小学生の時とはいえキザな台詞吐くよな」

「どうしてその人が小学生の時に言った台詞だって知ってるの?」


 最近の自分は口が軽い、と痛感していると、持っていたバニラアイスを取られ、なぜか凛花が彼の手を軽く握った。


「え、何してんの?」

「小太郎君が逃げないように」

「だから逃げるってどういう――」


 問いかけた途端、急に世界が暗転した。

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