とても一般的なマンション管理組合の大規模修繕委員会でのラブコメで御座います

成井露丸

とても一般的なマンション管理組合の大規模修繕委員会でのラブコメで御座います

「だから星崎工務店だって言ってんでしょ!」


 ふんわり広がったボブの髪を、左右に振り乱して、グレーのタートルニット姿の美女が唇を尖らせる。

 声を荒げているのは、水前寺すいぜんじ京香きょうかさん。僕より年齢は一つだけ上の独身女性。見た目は可愛い。


 ここは都心に立つ分譲マンション『アーバンハイツ日吉ヶ丘』の一階。マンション管理組合の集会所だ。五人分の席が準備されているが、会議机に座っているのは、僕と目の前の女性だけ。

 今日は、一週間ぶりの大規模修繕委員会。延びに延びた業者選定も、これ以上は先延ばしできずに、最終締め切りラストリミット。今日は絶対に業者を決めないといけない。

 そんな大切な、大規模修繕委員会の上半期の山場――請負企業の最終選定会議なのに、僕らは既に委員五名中、三名分の欠席連絡メールを受け取っていた。――ええんか、オイ?

 そして、二人っきりの大規模修繕委員会。

 始まるや否や、京香さんと僕は、真っ向対立モードに突入していた。


「なんで、星崎工務店なんすか? 糸乃建設に決まってるじゃないですか? コンサルタントさんのまとめられた資料見ました?」

「見たわよぉ〜! 見たわよぉ〜!」


 僕が持ち上げるホッチキス留めA3用紙の一覧表に「オラオラオラオラァ〜!」と言わんばかりに身を乗り出して、京香さんは、睨みつけるような視線を突き刺す。すごい眼光。ビームだ。きっとビーム出てる。


「谷原くんが糸乃建設を推す理由って何なの? この表見たって、別に、そんなに大きな差、無いじゃない?」

 僕の右手からぶら下がる重要参考資料に、右人差し指を突き立てるアラサー美女。あ、アラサーは失礼しました。二八歳の美女。京香さん。


 僕と彼女はお隣さん――もとい、お上下さんの関係なのだ。

 僕の部屋、六〇二号室の直上、七〇二号室に住んでいるのが、水前寺京香さん。もしも天井が透明ならば、見上げると彼女のスカートの中のパンツが見える位置関係なのだが、現実世界がそうはなっていないのは残念な限りである。


 まあ、そんなこんなで、平日夜の八時過ぎ、集会所で、絶賛二人っきりのラブラブタイム……じゃ、ねぇよ。


「あるでしょ? 京香さん、ほらここっ! 請負契約の金額が百万円違うでしょ? 星崎工務店は四千万円、糸乃建設は三千九百万円なんですよっ!」

「なによ、百万円なんてっ! 誤差の範囲じゃない。谷原くんは、小さい男ねっ」

 そう言って、京香さん深々とため息をつく。


「そりゃあ、京香さんにとっては、百万円なんて、はした金かもしれないですよ? でも、百万円っていったら、車一台買える値段なんですよ。だからって、そういう雑な考え方は良くないですよ」

 そういう僕に、京香さんは目を丸く開く。


「何を言っているの? 谷原くん。私は一度たりとも、マンション管理組合の修繕積立金がだなんて思ったことは無いわ! 毎月、銀行口座からボディーブローのように削り取られていくマンションの管理費及び修繕積立金。その血税を……この私――水前寺京香がだと思っているですって? それは、この私、アーバンハイツ日吉ヶ丘マンション管理組合理事長――水前寺京香に対する侮辱よっ! 撤回しなさいっ!」


 京香さんはビシィっと僕に人差し指を突き立てる。


 そう、うちのマンション管理組合、今、このお茶目なお姉さんが、理事長なのだ。

 最近、いろんな分譲マンションの話を聞くけど、二十代の理事長は、かなり珍しいと思う。うん。


「え? まぁ、そのくらい撤回しますけど?」

「え? あ、そう?」

 ちょっと、肩透かしな感じで、腕を下ろす京香さん。

 僕も、はぁ〜と一つため息をつく。


「僕も、大規模修繕は、ちょっとでも良い業者に頼んだ方が良いとは思いますよ? でも、内容に差が無いなら、少しでも安い方に決めるのが基本じゃないんですか?」


 分譲マンションでは、十年〜十五年に一度は大規模修繕工事というのをしないといけない、今年、僕らのマンションは築二十五年を迎える。だから、マンションを取り囲むように背の高い足場を組んで、外壁の点検や、他にも防水や塗装の工事をしないといけないのだ。


 そのために、今年に限っては、マンションの理事会とは別に、大規模修繕委員会なるものが組織されて検討を進めていた。現状、修繕工事の仕様を決めて、業者の相見積もりをとって、有望な業者にプレゼンをしてもらって、……さぁ、業者決定! というところまで来ているのだ。


「分かっているわよ。だからこそじゃない! 金額の違いに目を奪われて、工事の質を落とすなんてあってはならないことよ」

 そう言って、京香さんは「どうして分からないの?」とばかりに寂しそうに目を細くした。まるで、その瞳には涙が浮かぶかのように。


 ――ずるいぞ! そんな顔をされたら、心が揺さぶられちゃうじゃないか!


 先週の修繕委員会の議論では、いろいろと揉めたものの、最終的に候補は二社にまで絞られた。そして今日、五人の大規模修繕委員で集まって、最終決定する予定だったのだ。――それなのに、何故か、あと三人から欠席連絡が続々と届いた結果として、二十代の美しいお姉さま理事長と、パッとしない独身男性の僕による、終わりなき討論エンドレス・ディベート1on1ワンオンワンが幕を開けていた。


「どうして、京香さん……いえ、水前寺理事長は、星崎工務店にこだわるんですか?」


 彼女とて、非合理な発想をする女性ではない。いつも良く分からないテンションで、感情の起伏はそれなりに豊かな……まぁ、遊園地のジェットコースター程度には豊かな女性だとは思うが、非合理な発想をごり押しするような人物ではないのだ。多分。そのはず。


「だって……、プレゼンに来られた、現場監督予定の男性の方……とても良さそうな方だったじゃない? ああいう方が、現場監督に来て頂けるのは非常にポイントが高いわ」

 そう言って京香さんは視線を上げて、思い出すように遠くを見つめた。


 僕は、プレゼンの時にやってきた、星崎工務店のイケメン男性のことを思い出していた。多分、三十代半ばだろう。顔は美形と言って差し障りない感じである上に、いかにも人が良さそうな雰囲気のある男性だった。仕事も出来そうだった。

 なんだか、その男性を思い出して、ウットリしている京香さんを見てると、無性に腹がたってきた。


「え? あのイケメンっすか? それ、京香さんが、イケメンと仕事したいだけじゃないですか!」

 僕はここぞとばかりに、理事長の潜在的な公私混同を糾弾する。


「ちっ……ちがうもん! 人柄の良さそうな人だから、マンションの住人との不要なトラブルが生じにくいって思ったんだもん!」


 両手を握ってブンブンと振る、京香さん。マジ可愛い。

 可愛いけど……譲れない戦いが、ここにはあるッ!


「じゃあ、なんで、谷原くんは、糸乃建設なの? 大方、説明にやってきた、あの女性社員が綺麗だったからでしょ? そうなんでしょ? 谷原くん、プレゼンの間、ずっと鼻の下、伸ばしてたもんね!」

「そ……そんなこと無いですよっ! ぼ、僕は、そんなフシダラな男じゃあ、ありませんっ!」


 そう全力で否定しながら、僕は、前回プレゼンにやってきた、糸乃建設の女性社員の姿を思い出していた。タイトスカートにスーツをびしっと決めた、スタイルの良い女性。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいた。いわゆるひとつの「ボンキュッボン!」だ。


「あ〜っ! 谷原くん、鼻の下伸ばしてるぅ〜!」

「ええええ! 伸ばしてません、伸ばしてませんよぉ!」


 ――いかん。完全に妄想モードに入っていた。


 そんな僕を、じっと見て、京香さんは唇を尖らせる。


「谷原くん、ああいう女性がタイプなんだ? ……巨乳好き?」

 僕をじっと見る京香さんと視線がぶつかった。


 見つめ合うわけにもいかずに、視線を落とす。

 僕の視線の先にはタートルニットに包まれた胸の膨らみがあった。

 それはささやかな胸の膨らみで――少なくとも巨乳ではない。


 しかし、それは問題では無いのだ。

 何故なら、僕は巨乳好きではない。

 だから僕は、意を決して、俯けていた顔を上げた。

 若い理事長と見つめ合うこと数秒。そして、僕は口を開く。


「確かに、あの女性の胸は大きかった……。でも、僕は、巨乳だけで、人を好きになったりはしません! ましてや担当の女性の容姿で、本マンションの大規模修繕工事の委託先を決めたりはしません!」

 くわっ、と目を開く。

「ご……ごめんなさい」

 僕の真剣な表情に気圧されてか、京香さんは視線を逸らした。

 自らの言動に関して、静かに恥じ入るように、頬を赤らめて。

 そんな彼女に、僕はゆっくりと首を左右に振って続ける。


「――それに、僕にとっては、正直、糸乃建設のあの女性より、京香さんの方が、ずっと好みのタイプですよ」

 そう。僕は、巨乳よりも、ささやかな胸の方がタイプなのだ。


 その僕の言葉に、京香さんはハッとしたように目を開き、僕らは少しの時間、二人で見つめ合っていた。

 そして、京香さんが観念したように「はぁ〜」と息を吐く。


「分かったわ。そういうことなら、谷原くんの意見を採用して、今回は糸乃建設にお願いすることにしましょう」

 そう言って、京香さんは、ニッコリと少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「あ……ありがとうございます!」

 僕が相好を崩すと、それを一旦ストップさせるように、京香さんが「その代わり」と、人差し指を立てた。


「一つだけお願い事をしてイイかな?」

 そう首を傾げる京香さん。


「……な、何でしょう?」

 僕は、ゴクリと生唾を飲み込む。


「代わりに今度、谷原くんの奢りで、一緒にパフェ、食べに行きましょう?」

 京香さんは、片目を閉じて、悪戯っぽく微笑んで見せた。


「よっ……喜んでっ!」


 こうして、僕は、マンション管理組合の修繕積立金百万円分の節約と、年上美女――水前寺京香さんとのパフェデートの約束締結を、一夜にして成し遂げたのだった。


 めっちゃ楽しみ、パフェデート!


 嗚呼あゝ、マンション管理組合の大規模修繕委員会ってサイコーだぜッ!!

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