第4話 「あなたが島沢佳苗さん?」

「あなたが島沢しまざわ佳苗かなえさん?」


 スッ。


 綺麗な脚が、あたしの前に立ちはだかった。

 台本を読んでた顔を上げると、そこには美しい女の人。


「…はい、そうですけど…」


「ふうん…」


 女の人は、ジロジロとあたしを見て。


「あなた、しょうの許嫁なんですってね?」


 って…


 …ショウ?

 それはあたしも言い慣れてる名前だけど、こんな綺麗な女の人から言われると。

 まるで…知ってる名前とは違うように思えてしまった。


浅香あさか しょうの、許嫁なのよね?」


「あ…あああ、は…はあ…」


 つい、赤くなってしまった。

 たった一度のキスぐらいで、威張れるほどのものじゃないけど…

 あれって、あたしを許婚として認めてくれてる…って、思っていいんじゃないかな…

 なんて、あたしの都合のいい解釈なんだけど。


 あれ以降…

 父さんが希世きよちゃんに『佳苗が帰って来ない』って連絡した事で、あたしとしょうちゃんが一夜を共にした事はバレてて。

 みんなからは…何だかニヤニヤして見られるんだけど。

 お弁当を渡しに行くと、以前と同じしょうちゃんに会う。

 …まるで、何事もなかったかのようなしょうに。



「……かわいそうにね。」


 小さく、つぶやかれた。


「…え?」


 思わず、顔をあげると。


「あなた、悪いこと言わないから、しょうのこと、嫌いになった方がいいわ。」


 哀れむような…目。


「…あの…」


 女の人は、あたしの隣に座ると。


「あたし、最近までしょうと付き合ってたの。」


 真剣な顔で言った。


「…付き合ってた…?」


「そうよ。しょうはあたしの恋人だったの。」


「……」


 瞬きが…出来ない。


「でも、突然別れようって言われたわ。何の前触れもなくね。」


「え…」


「納得いかないから、問い詰めたら…原因はあなた。」


「ど…どうしてですか…?」


「あなたが許嫁だからよ。」


「……?」


 あたしは眉間にしわを寄せる。


「彼、言ってたわ。ずっと親不孝してきたから、一つぐらい親の言いなりになるって。つまり、あなたとの結婚は、親孝行なの。」


「……」


 声が出なくなった。

 しょうちゃん…そんなことを?


しょうちゃんは…そんなこと…」


「あら、あたしが嘘ついてるとでも思ってるの?」


「……」


「証拠なら、うちにあるわよ。」


「…え?」


「あなたがしょうに編んだセーター。彼、いらないって置いて帰ったの。」


「…え……っ…」


 頭の中で、何かが壊れた。

 最近、少しずつだけど育ち始めたなって感じてた何かが…



「最初は、あなたが憎らしかった。でも、彼の言葉聞いてると、今度はあなたがかわいそうになって。」


「……」


「彼に愛はないわ。」


「……でも、あなたは恋人だったんでしょう…?」


「あたしも最初は愛されてるって思ってたわよ。でも結局は性欲のはけ口だわ。しょうはギターにしか興味がないから。」


「……」


 性欲のはけ口ってことは…


「同じ女として同情するわ。」


 女の人は、立ち上がると少しだけ冷めた声で。


「あのセーター、明日持ってくるから。」


 って言った。

 あたしは返事をすることもできずに、ただ座ったまま…呆然としていた…。



 * * *



「もー、何なのよ、この演技。」


「目が死んでるわね。」


「も…二人とも、お姉ちゃんだって一生懸命なのに…」


 亜希あき紗希さきがあたしのドラマのビデオを見てけなし、唯一あたしを「お姉ちゃん」と呼んでくれる真希まきが二人をなだめた。


「だって、どんな大女優になってるか、楽しみにして帰って来たのにさ。」


 たしはというと、二人の酷評も頭に入らないほど、しょう彰ちゃんのことを考えていた。



 …あの女の人…


 きっと…しょうちゃんの事、本気だったんだ。

 だから…あんな風に…

 あたしの事、かわいそうだって言ったけど、きっと…やりきれない想いをぶつけたかったんじゃないかな…


 …だけど…

 しょうちゃんがあたしの事、親孝行の対象としてしか見てない…って…

 …キツかったな…

 思い当たるだけに…考えるたびに、胸がズキズキする…



「あ~あ…」


 クッションに頭を埋めると、隣にいたいさむが。


亜希あきたち言いすぎだよ。佳苗かなえ泣いちゃったじゃないか。」


 って、亜希あきたちにクッションを投げつけた。


「あっ!もうっ!何よっ!」


 それに対抗して紗希さきが雑誌を投げ返す。


「やっ…やめてよ~…」


 真希まきが泣きそうな顔してると。


「もー、何やってんの。こら、いさむちから。早くお風呂入んなさい。亜希あきたちは制服にアイロンかけて…佳苗かなえ?」


 騒ぎを聞きつけてリビングに来た母さんは、あたしの様子に近寄って来た。


「具合いでも悪いの?」


亜希あきたちが悪いんだよ。」


いさむ。」


「だって本当じゃん。」


「…あたし、もう寝る。」


 みんなの会話をかいくぐって、あたしは立ち上がる。


「…佳苗かなえ?」


「おやすみー…」


 一瞬、みんなが顔を見合わせたけど、いつもみたいに笑えない。

 あたしは、うつむいたまま、自分の部屋に向かった…。




 * * *



「……」


「じゃ、頑張ってね。」


 嫌みとしか思えない…けど、この人だって辛かったはず。

 それを思えば、この仕打ちも仕方ないんだよね。


 あたしの手には、去年彰しょうちゃんのために編んだセーター。

 忙しくなり始めた仕事の合間に、一生懸命編んだ…

 結局、着てるとこ一度も見なかったけど…見ないはずだ。

 彼女の部屋に…放置されてたなんて…ね。



「……」


 泣きたくなった。

 プライベートルームに駆け込むと、ハサミを手にして…


「…バカ…」


 ズタズタにしてしまいたい。

 今のあたしの気持ちのように。

 でも、切ることができない…

 涙がポロポロこぼれて、セーターを握りしめてる手に落ちる。


「…っ…」


 毛糸をするするっとほどき始める。

 たくさん想いをこめた、セーター。

 あたし気持ちは…やっぱり全然届いてないのね…。




 * * *



「!」


「あ、佳苗。久しぶり。」


 事務所の廊下。

 歩いてると、DEEBEEのメンバー勢揃いの状態に出くわしてしまった。

 しょうちゃんの元彼女さん出現から、あたしのお弁当は止まった。



「最近来ないじゃん。ケンカでもしてんのか~?」


 希世きよちゃんが茶化すような声で言った。

 どうも、あの打ち上げから…

 あたしたちはいい雰囲気だと思われているらしい。



しょう、おまえも久しぶりなんだろ?ちょっと話してから来れば?」


 詩生しおちゃんがしょうちゃんの肩を叩いてそう言った。

 そんなことしないで~!!

 でも、あたしの想いとはうらはらに。


「じゃあなー。」


 みんなはしょうちゃんとあたしを残して、どこかに行ってしまった。



「……」


 あたしがみんなの後ろ姿に目をやったまましょうちゃんに背中を向けてると。


「…忙しいのかよ。」


 ふいに、低い声。


「え…あ……」


 振り向けないまま、なんて答えようか悩んでるとこに…


「あっ、いたいた。佳苗かなえちゃん。」


 開いたエレベーターから、あたしのフロアの掃除を担当されてる橋本さん。


「これ、佳苗かなえちゃんが編んでるんじゃないの?」


 おもむろに、紙袋の中からセーターを…


「あっ…」


 結局全部ほどくことも、切り刻むこともできなくて。

 紙袋に入れて焼却炉行きの箱に入れたのに。

 しょうちゃんの様子を上目使いに見ると、セーターをじっと見てる。


「誰があんなとこに置いたのかしら。焼却炉にあったのよ。どこかで見たことあるな~って思って。確か、去年編んでたよね?忙しいから、一年じゃできなかったのかな?」


「あー…はあ…」


 もう、苦笑いしか出来ない。


「じゃ、頑張ってね。」


「……」


 橋本さんは、あたしにセーターを渡して歩いて行ってしまった。

 …この状況から、あたしはどうやって逃げ出せばいいの?



「…誰かに編んでんのか?」


 ピキッ。


 何かが音をたてたような気がした。

 しょうちゃんは、覚えてないんだ。

 あたしが、このセーターをしょうちゃんにプレゼントしたことなんて。



「…ううん…」


「…別に、無理しなくていいんだぜ。親の決めた許嫁なんだから、好きな奴がいるなら、そいつにセーター編もうが何しようが…」


「…てないのね…」


「あ?」


 しょうちゃんに背中向けたまま、あたしはつぶやく。


「覚えてないのね。このセーター。」


「……」


「いらないなら、あの時いらないって言ってくれた方が良かったのに。」


「……あ……」


「そうだね。親の決めた許嫁だもん。無理しなくていいよね。うん……わかった。もう…やめる。」


「……」


しょうちゃんのことなんて、好きじゃなくなる。」


「おい…」


 あたしの肩に触れたしょうちゃんの手。

 少しだけ強引に振りほどく。


しょうちゃんには…親孝行の材料がなくなって悪いけど…いいよね、別に…」


「おまえ…」


 初めて、しょうちゃんの目を見た。

 そして、キッパリ…強い目で言った。


「ずっと…ずっと好きだった。でも、もう嫌い。大っ嫌い。」


 紙袋を抱き締めて駆け出す。



 …嘘付き。

 大嫌いなんて…なれるわけない。

 しょうちゃんが、どんなに酷い人でも…

 あたしにとっては、小さな頃から大好きなしょうちゃんで。

 …あたしの…王子様だ…って。



「…っ…」


 プライベートルームに駆け込んで、しゃがみ込む。

 今まで…しょうちゃんのために…って想いを込めたすべての事が。

 あたしの独りよがりだった…って思い知らされた。

 もう…いい。

 これからあたしは…



 しょうちゃんを忘れる…だけ。



 * * *



「しばらく休憩に入りまーす。」


 スタッフさんの声に、共演者の皆さんが溜息を吐きながらセットを離れる。

 あたしはいたたまれない気持ちでお辞儀をした。


 片桐さんのおかげで、随分と視聴率のいいこのドラマも…今日で撮影終了。

 ドラマの中でのヒロインは、すごく成長して…恋の障害も乗り越えて。

 いよいよ、大好きな幼馴染にぶつかっていく感動の最終話なのに…


 …あたしが、撮影を止まらせている。



「何かあった?」


 振って来た声に顔を上げると、そこには…あたしの片想いの相手役、片桐かたぎりさんが優しい笑顔で立ってた。


「…すみません。ちょっと嫌な事があって…」


 俯き加減に小さく言うと。


「そっか…それじゃ笑えなくても仕方ないよね。」


 片桐かたぎりさんは、あたしの頭をポンポンとした。


「え…そんな、叱って下さっても…」


「え?何で?」


「だって…仕事ですもん…プライベートで何があっても、ちゃんとお仕事はしないと…」


「…ちょっと座ろうか。おいで。」


「……はい。」



 片桐かたぎりさんに促されて、あたしは後をついて行く。

 差し入れにもらったクッキーの缶とコーヒーを手に、片桐かたぎりさんは撮影所の外に出た。



「俺もさー、やってらんねーやって思う日あるよ。」


 座って開口一番、片桐かたぎりさんはそう言って前髪をかきあげた。


「…そう…なんですか?片桐さんはいつも完璧で…」


「いやいや、実は顔にも態度にも出してる時あるよ。ただ、俺はそれを自分としてじゃなく、役柄に乗じて出してるから監督もOK出してくれるんだと思う。」


「…役柄に乗じて…」


「そ。俺が役になり切ると見せかけて、役が俺になるって言うかね。」


「……」


 片桐かたぎりさんって…今すごく人気のある俳優さんで。

 いつも笑顔でファンも多いし、スタッフや共演者、皆さんから愛されてる人。


 負担を掛けたくない。

 その一心で、お芝居を頑張って来た気がする。

 だけど…



佳苗かなえちゃん、今の役柄にリンクする所があるんでしょ。」


「えっ…」


「ははっ。分かりやすいな。」


「す…すみません…」


 片桐かたぎりさんのするどい指摘に、あたしは赤くなったり青くなったり。

 両手で頬を押さえてうつむくと、カップに入れたコーヒーを差し出された。


「…何から何まで、ありがとうございます。」


佳苗かなえちゃんをこんなに悲しくさせてるのは、誰なんだろうな。」


 首を傾げて…って言うか、これは斜に構えて。

 これは本当にまるで…片桐かたぎりさんなのか役柄なのか分からない。

 だから、あたしも…


「…年上の、幼馴染の大学生です。」


 上目遣いで言うと。

 片桐かたぎりさんは一瞬目を丸くした後。


「…ふっ。そっか。じゃあ言っとくけど、これぐらいでへこたれんなよ。俺を本気で好きなら、もっとぶつかって来い。」


 目を細めて、そう言った。

 その姿に、しょうちゃんを重ねる。


 …しょうちゃんはそんな事言わない。

 分かってる。

 だから…余計決心がついた。


 あたしは、このドラマで…年上の幼馴染の大学生に、全力でぶつかろう。

 彰ちゃんにぶつかれなかった分も。

 全て。



「…ありがとうございます。片桐かたぎりさん、あたし…頑張ります。」


 立ち上がってお礼を言うと。


「俺は何も。」


 片桐かたぎりさんも立ち上がって、あたしに手を差し出した。


「最後まで頑張ろう。ずっと愛されるいい作品にしようね。」


「…はい。よろしくお願いします。」


 その手を握り返しながら。

 心から…

 片桐かたぎりさんに感謝した。

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