第2話 『兄貴、今日オフで部屋でごろごろしてるわよ。』

『兄貴、今日オフで部屋でごろごろしてるわよ。行ってみなよ。』


 突然、おーちゃんがそんなことを言って、あたしは固まった。

 ポケベルを鳴らされて事務所から電話をかけると、この言葉。



「な…なななんで…」


『たぶん夕飯も食べてないと思うなー。あいつ、ルーズな奴だからさ。ほっといたら餓死よ?』


「…でも、こんな時間に一人で?」


『こんな時間って、まだ7時じゃん。』


「……」


『今から帰るんでしょ?』


「う…ん…まあ…」


『じゃ、帰りに買物でもしてさ。なんせ、一人暮しを始めてまともな食料って佳苗かなえの弁当だけだもん。母さんなんてすっかり佳苗かなえをあてにしちゃってるからさー。』


「そ…そんな…」


『ね?じゃ、また明日ー。』


「え?あ、おーちゃん?」


 プツッ。


 …切れた。


 どど……どうしようー!

 そりゃあ、そりゃあ…行きたい。

 しょうちゃんの部屋…見てみたいし…

 でも、突然行ったりして迷惑じゃないかな。


 …でも…


 動かなきゃ、何も変わんないよね…



「……よし。」


 あたしは、カバンを持って立ち上がると。


「お先に失礼しまーす。」


 田村さんに挨拶して、事務所を出た。


 そして…



「……」


 ゴクン。


 ついに…ついに。

 しょうちゃんのマンションにたどりついてしまった。

 右手には、夕飯の材料。

 ついでに、彰ちゃんの好きなポッキー。


 どんな顔するかな…

 ドキドキしながらマンションの中に入る。


 エレベーターで五階に。

 ゆっくりした足取りで、おーちゃんに聞いた部屋番号の前まで歩く。



「…ふ…う。」


 小さく深呼吸して…


 ピンポーン。


 お…

 押しちゃったー!

 あー!どうしようっ!



「……」


 だけど、盛り上がってるあたしの気持ちとは裏腹に、中から人の出て来る気配なし。


「…いないのかな…」


 ちょっぴり残念。

 だけど、少し安心。

 溜息を吐こうとすると。


 ガチャ。


「あ。」


 突然ドアが開いて、しょうちゃんが顔を覗かせた。


「……」


「あ、あああああの…」


「…何。」


「晩ご飯…食べた?」


「……いや。」


 しょうちゃんは、寝起きなのか…不機嫌そう。

 うわあ…タイミング悪かったな…


 って。

 機嫌のいいしょうちゃんを見る事の方が少ないんだから、いつも通りだと思えば大丈夫…だよね。

 うん。

 よし。


 あたしは勇気を出して、しょうちゃんを見上げて言う。


「あの、あの…材料買ってきたから…作ろうかな、なんて…」


「……」


 撮影より緊張して言った言葉に、しょうちゃんは不機嫌そうなまま、あたしに背中を向けて部屋に入った。


 …入って、いいのかな…


 玄関に入って靴を脱ごうと…


「きゃ!」


 ばか。

 あたしって、ばか。

 玄関の段差に躓いて、振り返ったしょうちゃんの胸の中に…


 どうどうしよう…

 ドキドキしてるのが、ばれちゃう。

 でも…動けない!


 床に、材料が散らばってしまった。

 早く、それを拾わなきゃ。

 なんて思いながら。

 あたしは、しょうちゃんの胸を堪能していた。


 初めて…こんなに近付けた…

 片桐さんの胸とは全然違う。って思うのは、それはやっぱり…想い人の胸だから…って事で…

 …夢みたい…


 あたしが少しウットリしてしまってると。

 ふいに、しょうちゃんの手があたしの前髪を…


「!」


 突然、前髪を鷲掴みにされて目を見開くと、しょうちゃんはそのまま体を引き離して。


「…おまえは、こんな時間に一人暮しの男の部屋に平気で入んのか?」


 低い声で、そう言った。


「……」


 何も言えなくて黙ってると。


「帰れ。」


 しょうちゃんは冷たくそう言って…ソファーに座った。


 …決定的…って感じ。

 あたしは、想われてない。

 もしかしたら、しょうちゃんは迷惑だったのかも。

 お弁当も、プレゼントも。

 あたしが許嫁であること自体が…迷惑なのかも。


「…ごめん…」


 小さく謝ると、涙が出てきた。

 あたしは、床に散らばった材料を拾うこともできずに、自分のカバンだけを持つと外に走りでた。


 こんなに…こんなに嫌われてたなんて…



「何、彼女泣いてんのー?」


 ふいに、腕をつかまれる。


「いやっ!」


 その手を思い切り振りほどいて。

 あたしは、タクシーに乗り込んだ…。




 * * *



「何だよ、佳苗。すっげー、ブス。」


 朝。

 弟のちからがあたしの顔をのぞきこみながら言った。


「ブスとは何だよ。仮にも佳苗かなえは女優だぜ?」


 ちからと双子のいさむがあたしの後ろでそう言ったけど。


「ひっ…」


 振り向いたあたしを見て、ちからと顔を見合わせた。


 桜花の中等部一年の弟たちは、成長期に身を任せて、ずいぶん大きくなってしまった。

 この間まで、ちっちゃかったのにな…



「あ、あさって亜希あきたちが帰ってくんだぜ。佳苗かなえ、休みとれたのかよ。」


 ちからが、あたしの髪の毛を三つ編みする。


「うん…一応。」


「三年ぶりかー。また騒がしくなるよな、うちも。」


 いさむが、腕組をしてうなずいた。



 うちは…なんと、六人兄弟。

 長女のあたしを筆頭に、次女亜希あき、三女紗希さき、四女真希まき、長男 ちから、次男 いさむというそ、うそうたるメンバーだ。


 しかも、亜希あき紗希さき真希まきは、三つ子。

 双子と三つ子のいる家族として、何回か雑誌の取材も受けた。

 三つ子たちは、三年前からウィーンに音楽留学していて、この度帰国する。


 ちからいさむは小学生の時からリトルリーグでバッテリーを組んで活躍。

 中等部でも、野球部に入るのかと思いきや…


「練習がきついのが嫌だ。」


 って、二人とも英語クラブに入って、野球部の顧問や部員をガッカリさせた…らしい。



「あ、あんたたち、まだいたの?学校遅れるわよ?」


 ふいに、母さんが二階から下りてきて言った。


「だって、佳苗かなえがブスなんだ。」


「こら、ちから。」


「本当だって。」


 ちからいさむの言葉に、母さんがあたしの顔をのぞきこむ。


「…どうしたの。その顔。」


 あたしの顔は、よっぽどらしい…。




 * * *




「どー……」


 おーちゃんが、絶句してる。

 無理もない。

 今日のあたしは、最悪に醜い。

 家族中からのお墨付きだ。

 本当は、おーちゃんに気を使わせるから休もうかな、なんて思ったんだけど…

 出席日数危ないし。



「どうしたのよ、その顔。」


「うん…うつぶせに寝たら、こうなっちゃった。」


 あたしは、笑顔。


「うつぶせって…ねえ、兄貴と何かあったの?」


「…何も、ないよ。」


「泣いたんじゃない?」


「……」


「あたしが兄貴に…」


「あ、いいよ…おーちゃん。」


 立ち上がりかけたおーちゃんを引き留める。


「いいよ…あたし、もうしょうちゃんのこと諦めることにしたから…」


「どうしてよー。」


「とにかく、いいの。ね?」


「…納得いかないなあ…」


 おーちゃんは相変わらずブツブツ言ってたけど。

 あたしが何も言わなくなったから、黙ってしまった。



「ところで、コノちゃんは?」


 おーちゃんの顔を見ずに問いかけると。


「風邪だって。たぶん仮病だと思うけど。」


「仮病?」


「だって、今日の体育マラソンじゃない。」


「…あ。」


 しまった…

 あたしも休めばよかった…


「あんた大丈夫なの?青い顔してるけどさ。」


「うん…大丈夫。出席日数危ないし、頑張んなきゃね。」


 自分に言い聞かせるように言うと。


「もしかしてさ…」


 おーちゃんが、申し訳なさそうな声で言った。


「ん?」


「あたし、余計なこと言ったかな。兄貴のとこへ行けなんて。」


「そ…そんなことないよ。いつかは、ハッキリさせなきゃいけないことだったんだし…」


「ってことは、やっぱ兄貴と何かあったんだね?」


「あ…」


 おーちゃんはあたしの額をペシペシ叩いて。


「あたしに気ぃ使わなくていいからさ、何でも言ってよ。」


 って、少しだけ切ない目で言ったのよ…。





 * * *



佳苗かなえ。」


 事務所の廊下、歩いてると後ろからえいちゃんと希世きよちゃん。


「あ…久しぶり。」


 しょうちゃんと、あんなことがあってから。

 あたしは、お弁当を辞めた。

 あれから十日。

 しょうちゃんを見かけることは、ない。


 これで、改めて感じたのは…

 あたしが頑張らないと、会うこともできないほどの仲だったんだなって。



「おまえ、最近弁当どうしたんだよ。」


「え…」


「おまえが弁当持って来ないと、しょうの奴、栄養失調で死ぬぜ?」


「…別にあたしが持って行かなくても…」


「甘い。甘いよ、おまえは。」


「……」


 えいちゃんは腕組をして。


しょうはな、ギター弾く以外のことには興味ない奴なんだよ。」


「そう。ギターキチガイ。」


 希世きよちゃんが、隣で納得してる。


「ギター弾いてると、食べることも忘れちゃうんだぜ。」


「…そう…なの?」


「そう。だけど、おまえの弁当だけは忘れずに食ってたんだ。」


「……」


 あたしの…お弁当…だけ…


「な?今のままじゃ、あいつ倒れるからさ。弁当、作ってやってくれよ。おまえも忙しいとは思うけど。」


「でも…」


「何。」


「…あたしが一方的にしょうちゃんのことが好きでやってることだから…押し付けがましいかなって…しょうちゃん、迷惑じゃないのかなって…」


 あたしの言葉に、二人はキョトンとして。


「なんで迷惑なんだよ。迷惑なら、食わないよな。」


 顔を見合わせて、そう言った。


「じゃ、そういうわけで明日から頼むぜ。」


「え?あ、ちょっと…」


 ……


 そんな、そんなこと言われても…もう、あたしは…


 …でも…

 もう一度だけ、作ってみようかな…

 それで、食べてくれなかったら…諦めよう。

 あたしも、しつこいな。

 なんて考えながら。

 あたしの足取りは、少しだけ軽くなっていたのよ…。




 * * *




「早く帰ってきなさいよ。」


 田村さんに言われて、あたしは小走りでDEEBEEのプライベートルームに向かう。

 いるかどうか、わかんないけど…

 とりあえず、しょうちゃんにお弁当を。



「は…はあ…」


 息を整えて。

 ドキドキしながら、ノックする。


「……」


 シーン。

 誰も、出てくる気配なし。

 ああ…スケジュール確認して来れば良かった。

 もしかして、スタジオかな。



 …別に、いっか。

 あたしのお弁当じゃなくても…

 えいちゃんたちは、ああ言ってくれたけど…

 やっぱり…潮時だったのかも。


「……」


 溜息と共に、あたしが向きを変えようとすると。


 ガチャ。


 …ガチャ?


 ドアが開いて、中から…中から…

 しょうちゃん!



「あ…あの…」


「……」


 しょうちゃんは、あたしが手に持ってるお弁当を見て。


「……」


 無言で、それを手にした。


「…しょうちゃん…」


 あたしが途方に暮れてると。


「…サンキュ。」


 小さく、そう言ってドアを閉めた。

 あたしは、立ち尽くしたまま、しょうちゃんの声を思い出す。


 今…サンキュって、言った?

 しょうちゃんが…サンキュって…



 涙がポロポロ出てしまって。

 通り過ぎる人が、不審な顔で見てる。

 あたしは、小さく笑って涙をぬぐうと。


「よし、頑張るぞっ。」


 小声でそう言って、撮影に向かったのよ…。





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