俺を困らす主演女優(おてんばヒロイン)

くら智一

おてんばヒロイン

「あれ、台本が変わってる……」

 俺、小谷篤志こたにあつしは20歳以下の若手役者が集まって結成された劇団「射手座」に所属している。役者と言っても半人前の集団で、どいつも役者志望といった連中だ。そういう自分はようやく今日初演を迎える演目で、ヒロインをさらう悪党という端役にありつくことができた。


「……本当だ。まあ、僕には関係ないから良いけど」

 涼しげに主役の五十嵐いがらしが目の前を通っていった。演目の内容はベタなヒロイックストーリー。五十嵐扮する主人公が、美人のヒロイン(複数)と大冒険を繰り広げるという物語だ。


「あ、変わってるね……。イメトレし直さなといけないかも」

 ヒロイン役の香坂鈴音こうさかすずねも変化に気づいたようだ。容姿端麗、演技力は抜群。劇団の公演に人が集まるのも彼女の人気あってのことだろう。天真爛漫なタイプで少し変わり者のようだ。時折話す程度ではわからないが……。


 もともと台本自体は稽古の早い段階から配布される。熱心な者はメモ書きで一杯になる愛読書――なのだが、さもあざ笑うかのように、変更があるたび新規に配られる。ただ、今日は初演当日だ。脚本・演出担当者だけは年長のプロで、多忙な毎日を送り、今日は関係者への挨拶にかかりきりのようだが、せめて直接出向いて最低限の指示はくれても良いだろうに。


「ん?」

 どうやら変更は俺と五十嵐、鈴音の3名だけのようだ。数名の台本だけ変更があるのは初めてだ。まあ、それだけ緊急だということか。


 どれどれ……変更してあるのは……なんだ、ボールペンで修正してあるじゃないか。えーと、間違いなく俺のシーンのところだ。鈴音扮する令嬢をさらった山賊――俺のことだな――が、令嬢をアジトに連れ戻って乱暴しようとする。今までは、手を出そうとする寸前で、五十嵐扮する主人公が現れ、ナイフを投じるという内容だった。


 変わっているのは、乱暴しようとして……胸をもみしだく? そして「ぐへへ、良い子にしてりゃ、気持ちよく終わるってもんだ」と下品に笑い声をあげたところで、主人公が登場する。なんだ、この変更点は。


 実際に演技に関わるのは俺と鈴音だ。五十嵐は出番を少し遅らせるだけだ。それにしても――こんな変更、許されるのだろうか。思わず鈴音の方へ顔を向けた。


 すでに準備を終えて稽古場の中央にいた鈴音は、俺の視線に気づいたらしく、じっと睨むように見つめてきた。いや、俺が変えたんじゃないんだ。何だか、無性に罪悪感にさいなまれてきた。彼女は綺麗な顔だけに眼力がある。俺は、逃げるように稽古場の隅へ逃げることにした。



――開演――

【演題】最強勇者が令嬢ハーレムで本命イケイケ


 台本の変更シーンは、リハーサルで試すことなく本番へ持ち越しとなった。胸をもみしだかれる鈴音から直接意図を伝えられては、首を縦に振るほかない。変更点があることについては、初日ということもあって皆、緊張感に包まれて関わっていられない様子だ。


 俺は2重の意味で心臓が高鳴り、周囲に音が漏れるではないかと心配になった。出番は中盤手前、令嬢の鈴音が主人公の五十嵐に惚れるシーンのひとつ前だ。あ……いや、鈴音本人が惚れるわけではないんだよな、何言ってんだろう俺は……。


 ――出番だ。汚い山賊の衣装に身を包んだ俺は、ライトに照らされたステージへ躍り出た。


 セリフは少ない。間違えることもなく、鈴音を屋敷のセットからさらっていった。舞台がいったん暗転する。セットを動かす音が聞こえる中、俺は鈴音と暗闇の中にいた。小さな声が聞こえる……。


「篤志君、期待してるから」


 心臓が飛び出しそうになった。「期待」ってなんだ? 演技力か? 混乱から冷めぬまま、再び頭上に光輝く照明が灯った。


 俺は台本通り、鈴音の手を引っ張ってセットの山賊アジトへ連れ込もうとした。


「いやっ、助けてっ!」

 鈴音が叫ぶ。近くで見ると本当に鈴音の演技は心に迫るものがある。


 俺は鈴音を無造作に床へ放り出して、山賊のセリフを語った。

「ぐへへ、いい女じゃねぇか。売っちまうってのも、何だかもったいねぇぜ」

 びっくりしたような目で、倒れた鈴音が顔を上げた。

 下品な笑い声をあげながら仰向けの彼女に馬乗りになる。


 ――変更箇所だ。


 観客席に背中を向けている俺の手元は離れていると、よくわからないのではないかと思う。もみしだく、などムチャクチャだ。台本を読んでいる鈴音だって、死ぬほど嫌に違いない。だったら、合図するぐらいで済めば万事解決するのではないか。


 仰向けの鈴音に馬乗りになっていた俺は、彼女の姿を改めて凝視した。目を瞑っている。令嬢役の彼女は白いドレスに身を包み、細く引き締まった身体は絵画の世界から飛び出してきたように美しかった。俺は彼女の胸のあたりを指でつんつんっ、と2回突っついてやった。合図だと通じるはずだ。


 ……彼女は微動だにしなかった。もう1度つんつんっと突っついてやった。目を閉じている彼女の口元がほころんだように見えた。だが、次の演技をする素振りはまるでない。


 俺は頭をフル回転させたが、もう台本通りやるしかない、と決心するまでは至らない。そんな折、鈴音のロウ細工のように綺麗なひとさし指が客席には見えないように静かに動いた。俺は助けを求めるように指先を見つめる。彼女の指は胸のあたりに触れ、ちょんちょんと自分で軽く叩いた。


 他ならない、彼女からの合図だった。再びひとさし指と手を元の位置へ戻すと動かなくなる鈴音。からかわれているのか……と思ったが、今は舞台の本番だ。彼女がやれ、と言うのならやるしかない・・・・・・


 でも、もみしだくってどうやるんだ? 同年齢の女性の身体などまともに触ったことは無い。とりあえず両手を持ち上げて鈴音の胸元まで伸ばした。意を決して、手のひらで包み込むように左右の胸に触れる。暖かい……。山賊の仕草には見えないかもしれないが、ドレスの上からゆっくり彼女の乳房をさすった。


「ん……」

 鈴音の口から色っぽい声が聞こえた。ドキっとしたが、観客席どころか舞台にいる他の人間にも聞こえないような小さな声だった。俺の耳だけには届いた。


 ぱちりっ。

 眠れる姫が目覚めるように鈴音のまぶたが開いた。


「いやーーっ! 助けてーーーーっ!」

 台本に書かれたセリフが飛び出した。俺は顔を紅潮させながら、次のセリフへ繋ぐ。

「ぐへへ、良い子にしてりゃ、気持ちよく終わるってもんだ!」

 そして、舞台の端から作り物のナイフが飛んできた――。


 俺の役割はナイフに刺されて倒れて終わる……。鈴音は助けに来た五十嵐に抱き起こされ、彼を讃えるセリフを訴え続けた。


 そして照明が再び落ちる。次のシーンへ移行する準備時間だ。用済みとなった俺は舞台袖へ急いで移動した。俺と鈴音の硬直時間があったから、何か言われるのではないかと思ったが、実際に馬乗りになっていた時間は短かったようだ。

「悪役らしかったよ」とねぎらいの声だけが掛けられた。


 自分の出番が終わると演劇はあっと言う間に過ぎていく――。気づけばカーテンコールが始まろうとしていた。俺も端役のひとりとして、もう一度舞台へ出て行く。両手にはいつまでも鈴音の暖かい肌の感触が残っていた。



――終演――

「ははは、みんな良い演技だったねぇ。初日から盛況だったよ」

 脚本兼演出家が満面の笑みで称賛した。

「特にアドリブが良かったな……。ほら、山賊が令嬢を襲おうとするシーン。実際に胸まで触るとか……本人たちの打ち合わせでもあったのかな? 迫真の演技だったな!」


 え……?

 何言ってんだ、この人は。自分がボールペンで書き換えたんじゃないか。アドリブでやったとか聞いたら、鈴音は怒り出すんじゃないか?


 俺は彼女の姿を探した。ステージの上に全員集まっている中、鈴音は暗くなった観客席の方を向いていた。イメージトレーニングを重んじる彼女は舞台終了後、必ず人のいない方角を向いて目を閉じ、精神集中するのが習慣だった。


 鈴音の後姿が動いた。半身に身体をずらし、俺の視線に気づいたように横顔でこちらを見つめた。どんな顔をするのか心配になったが、端正な彼女の顔が無邪気な笑みを浮かべた。まるで小学生がいたずらに成功したときのような表情だ。


「な……」

 言葉が出なかった。鈴音が何を考えているのかわからなかった。

 気づけば間近に彼女の顔が近づいていた。

「篤志君、舞台は大盛況だったって……。本当に良かった。……じゃあ、好評だった部分は明日からも続けないといけないでしょ? カッコイイ山賊役、お願いね」


 俺はどうしたものかといった表情で首を縦に振った。


 ――こうして、翌日も翌々日も、公演が終了するまで計30回。俺は鈴音の胸をもみしだくことになった。ちょっと触っただけでは彼女が演技の続きを始めず、間違って力を入れすぎると後から痛いと怒られた。わけのわからぬまま、舞台は無事、千秋楽を迎えた。


 まったく、主演女優というものは困った生き物だ。今となっては懐かしい思い出になったが……、当時は随分と振り回された。それから数年経過して俺はプロの役者になった。舞台を中心に活躍し、主役を演じることもある。最近は名前も知られるようになった。


 そしてどういう縁なのか、あの日、台本を書き換えた女性と付き合い、なんと来月に結婚する。交際期間中には、紆余曲折、ったんだがあるのだけれど……そのエピソードはまた、別の機会にでも話すとしよう。




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