ねえ、お願い、買って買ってー!

六畳のえる

買ってよー! いいでしょー!

「ねえ、あきら、いいでしょー! おねがーい! 買ってよー! 買ってくれてもいいじゃーん!」


 秒速でお昼を食べた後の昼休み。匂坂さきさか高校で地学を教える機会がなくなって存在意義をなくした地学準備室。


 大きな黒板の他は4つの長机が四角いドーナツ型に配置されただけの殺風景な空き教室で、俺の彼女、朱莉あかりはスマホの画面を俺の手に押し付けた。


「幾らおねだりしてもムダだぞ」

「えー、なんでー! お願い! ねっ、これ買ってくれたらしばらく何も要らないから!」

「だーめ」


 すげない俺に、朱莉あかりはぷうっと膨れる。やや茶色にも見える黒髪のセミロング、高校2年生にはちょっと見えないオトナな目鼻立ち、よく通る声。


 見てるだけで幸せになれる、ド直球で好みな彼女を見ながらしかし、俺の顔は完全に呆れている。



「ちょっとー! 彼女の頼みなのに聞けないのー! そうだ、もうすぐ交際1年じゃない? その記念で、ね!」

「ダメだっての」


「ねー買ってよー! アタシのこと嫌いになったのー!」

 嫌いになんかなるかよ、そういうことじゃないんだよ……。



「ねーねー! お願いだからー! 『エターナルドリーマー』の会員になって万能薬サプリメント買ってよー! それで一緒に売ろうよー! 何でイヤなのー!」

「危なそうなビジネスだからだよ!」

 彼氏に頼むことか!






「大体な、朱莉。ちょっと前にエターナルドリーマーは辞めるって言ってなかったか」

 どこの世界に彼氏をネットワークビジネスに誘う女子高生がいるのか。


「いやあ、辞めようと思ったんだけど、ちょっとしたお小遣い稼ぎになるからさあ。今の学校生活を続けながら、自由な時間も残しながらさ、月に1~2万、ううん、うまくいけば3~4万、余分なお金が手に入ったらどう? 嬉しいよね?」

「勧誘トークになってんぞ」

 その余計な手振りを今すぐやめろ。



「でもね、あきら。暁は『へルシアスULTRAアルトラ』サプリの良さを知らないから買う気にならないだけなんだよ。あのね、我々エターナルドリーマー、通称エタドリ会員はいつも、『新しい価値』を顧客に提供したいと思っているのです。じゃあどういう領域なら買った人が真の意味で喜んでくれるか。そこで答えの1つに行き着く。やっぱり万人に共通するのって『健康』だと思う。ここまではいいわよね?」

「いや、全然……」

 こんなに何もかもよくないの珍しくないですか。



「そして何と今回、そのサプリの実物を持ってきています!」


 鞄をガサガサと漁る朱莉。こんな状況でも「あれー?」と中を覗き込んでる表情は可愛くて、顔にちょこっとかかって口に入りそうになってる黒髪は何だか色っぽくて、2人っきりで彼女を見ている独占感の甘さに頬が軽く緩んだ。


 やがて彼女は、「あった!」とグミくらいの袋を取り出し、自信ありげに小さな鼻を膨らませる。


「はい、これが『へルシアスULTRAアルトラ』。にわかには信じられないかもしれないけどね?」

「ほうほう」

「これを1日3粒飲んでると、どんな病気も治るのよ!」

「信じられないよ!」

 お前も少しは疑えよ!



「大体、朱莉は試したのか? なんか効果あった?」

「うっ!」

 おい、「うっ」って聞こえたぞ今。痛いところ突かれた顔してるぞ。


「そ、そうだ、胃腸炎のときに飲んだら、7日くらいしたら治ったわ!」

「もうそれ自然治癒だろ」

 胃腸炎にしても重い方だし。


「そういえば暁も風邪気味じゃん。今飲んでみなよ!」

「怖いからいいよ……何の成分入ってるか分かったもんじゃないし」

「はあ、まったく。成分なんてちっぽけな問題じゃない」

「サプリの一番大事なところだよ!」

 お前もよく飲めたな!



「さあ、そしてここからは今回のエタドリのビジネス説明に移るわね。あ、大丈夫? 何か飲み物持ってくる?」

「ファミレス設定で喋るな」

 トークマニュアルを再現するなよ。



「まずエタドリの会員なら商品を割引で買えるの。それを他の人に定価で売れば、それだけで販売益が出るわよね? でもこれは当たり前の話。さらに夢は広がるのよ」


 いつの間にか雨もあがったらしい。カーテンのない窓の額縁の中に、鮮やかな日光か描かれて、両手を広げて話す彼女をムダに神々しく照らす。



「自分や自分が勧誘した人が商品を買うと金額の8割のドリームポイントがついて、ポイント数に応じて現金がキャッシュバックされるのよ。自分が勧誘した人が他の人を勧誘して売ったらそれも暁のポイントになる。8割って他の商品よりかなり割が良い方なの! どう、夢いっぱいでしょ?」

 日常生活で「夢いっぱい」なんて単語ホントに使うことあるんだな。



「この『へルシアスULTRAアルトラ』は1ヶ月分2万だから、と」

「たっか!」

「そうなの! 1万6千ポイントって結構高いのよ!」

「そこじゃなくて!」

 サプリ本体だよ! 察せよ!



「どう、悪くないでしょ! ね、買って買って!」

「い・や・だ」

「えーっ! 暁のケチーッ!」

 んもう、と口を尖らせて肩を落とす朱莉。



「はあ、やっぱりダメか。1回も買ってくれてないもんね。でもアタシ、諦めないから」

「俺もお前を辞めさせるの諦めないからな」


 2人で少し真顔になった後、プッと吹き出した。

 変な関係だけどなんだかんだ上手くいってて、それがとっても愛おしい。



「じゃあこのサプリのサンプル、あげるね。風邪気味なんでしょ、気が向いたら飲んでみて!」

「要らないってのに」



 小袋に入った数粒の試供品を俺に渡し、準備室を出ていこうとする朱莉。

 その肩を、後ろからクッと掴んだ。



「何、買ってくれる気に——」

「あー……時間使ってやったんだから、ご褒美くらいあってもバチ当たんないだろ」



 振り向いた彼女を、そのままドアに押し付ける。



「風邪は感染うつして治すことにするわ」

「……どうぞ」




 その唇が、俺の一番の万能薬だったりするんだぜ。

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ねえ、お願い、買って買ってー! 六畳のえる @rokujo_noel

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