二番目の達人 (花の秘剣1KAC2版)

石束

二番目の達人

「なんの、わたしは『二番目』だよ。到底、一番目には届きはしない」


 それが、師範代、矢倉新之丞の口ぐせだった。

 

 彼がそのことを口にする時は、きまって端正な細面の顔に、ほんのりと淡い笑みが浮かぶ。

 どこか、遠くを見ているような、なつかしむようなそんな口調。

 しかし、口数の少ない彼は、それ以上の説明をしようとしない。


◇◇◇


 月浜藩は畿内近江に二郡、河内に一郡、あわせて1万7千石を領して成る小藩に過ぎないが、それでも近隣に知られた「自慢」がある。

「花の秘剣」で知られた晴願流の剣客、名人・小菅甚助その人こそがそれで、彼の道場では、剣名を慕って藩の内外から集った門弟たちが、日々、剣の腕を競っていた。

 そんな晴願流であるが、少ないながら女性の門弟もあり、男だけが怒号を張り上げて殴り合う「普通」の道場とは、雰囲気が違う。

 磨き上げられた杉板ばりの道場にしても、あかり窓に竹の花入れがあって、折々の花が生けられていたりと、凛と透き通った清冽さがあった。

 これを穏当清明とするか、柔弱怯懦と言おうか。だが、まさにそんな道場のあり方を象徴するのが、当代の師範代・矢倉新之丞だった。

 

 剣の腕は立った。音もなく動いたかと思うと、次の瞬間にはあいての首筋に木剣のしのぎを当てて、その動きを扼(やく)してみせるあたりは、流石といえた。


 しかし、彼は生来、蒲柳の質というか、体が弱いところがあって、体つきも華奢である。激しい稽古の後は、青白い顔で静かに息を整えていたりもする。

 もちろん、剣術家であるから、弱音を吐いたりしない。不平不満も口にいない。いつも端然として物静かで争う事もない。

 自然、主張して前に出ることもなく、二言目には

「自分は、『二番目』」

などと、謙遜とも、自嘲とも聞こえる言葉を、もらしてた。

 その端正な白い横顔もあって、家中ひそかに、侮るものもいたのはしょうがない。


 とはいえ、日常の稽古では不具合は起きなかった。道場の師範代として新之丞は十二分だったし、新之丞にせよ、ほかの門弟にせよ、師である小菅甚助に心服していたからだ。


 空気が変わったのは、その師がにわかに体調を崩して以降のこと。


 健啖家だったはずの師が季節の変わり目に風邪をひき、あっという間に衰えた。床に伏して起き上がれなくなった。幸い、病状は安定したが、無二の存在だった師の急病で、道場は騒然とした。


 はじめて。そう、この時はじめて誰もが思った。

 一体、何人が、この組木細工のように美しく整った道場を受け継ぐことになるのか?――と。


 小菅甚助には嫡男がいない。

 小菅家にはとびぬけた美貌で知られた評判の一人娘「加代」があるのみだった。


 ◇ ◇ ◇


 新之丞は矢倉家の三男で、幼少期から徒弟奉公のように小菅甚助の道場に住み込みに入った。

そのため「加代」をよく知っている。


 年は、加代にとって新之丞が二つ上、新之丞にとって加代は二つ下。


 剣術家の一人娘で、晴願流が女性の門人を嫌わぬこともあって、ほんの小童の頃からともに剣を振っていた。

 幼馴染といって差し支えない。

「娘らしく」なってきた最近は、人前で稽古をすることがない加代だが、その相手を務めることがあるとすれば、新之丞の他にはいない。

 恩師も、加代の相手役に新之丞を選んだ。


 そこに恋慕の情が生じなかったとは、いわない。


 やがて花嫁修業か、加代は道場に足を運ぶこともなくなり、その代わりに、まるで芸事の階梯を上るかのように真面目に、一人の女として成長していく。    

 その姿を、新之丞は微かな痛みとともに、しかし、いつも通りに、眺めていた。


 だが、師の急病以来、さすがに心がさざめくのを自覚していた。

 

 ある日、彼は町はずれの川へいった。

 びょうびょうと、葦がゆれる川べりにたって、空と水を眺めると、加代のことが思い出された。

 最近では、少しやつれた面差し。白い手首。襟足。気苦労を感じさせる緩み。

 遡ると、今度は、新之丞と同じ藍色の稽古着を着て、竹刀を構えている姿だ。

 真剣で緩みない表情の中に、どこか生きていることすべてを愛するかのような、生気があって。


 それは、常に自分の体調を気にしていた頃の新之丞にとって、妬ましくも眩しかった。

 誰にも、寄り掛からず。何物も、頼みにせず。

 凛として立つその姿にこそ、苦しいほどの憧憬を感じた。


 だからこそ、意外だった。

 新之丞は手紙を取り出した。

『相談したいことがあるので、二人きりで逢ってほしい』

 短く、それだけがしたためられた女文字の手紙。


「加代」からの手紙だった。

 

 一刻ほども、冬枯れの葦を眺めて、ようやく、新之丞は踵を返した。

 加代は、来なかった。


◇ ◇ ◇


 夕暮れの道場。

 住み込みの彼の住まいである離れに向かう途中、気配に気が付いて踏み込むと、大柄な人影があった。

「遅かったな」

 三上源三という男だった。六尺ゆたかな大男で肩幅も広く、固太りした四肢にはみっちり肉が詰まっている。小菅道場の門弟で、恐るべき膂力の持ち主であり、人を圧する気勢ともに打ち込んでは、相手を弾き飛ばす男。


 新之丞が自らを『二番目』と呼ぶとき、道場の誰もが思い出すのが、この三上源三である。

 小菅道場師範代、矢倉新之丞をしても、その力、強さを御しえない男。

 そのように、道場の誰もが認めざるを得ない存在が、この力の権化であった。


 源三は誰もが相手を嫌がる、狂犬のごとき剣術家だった。いっそ道場を放逐されてもよいくらいの乱暴者である。だが、月浜藩の家老職にある真木城衛門の子息と親しくし、その威を借りて威張り散らすなど狡猾でもあった。要するに誰にとっても面倒な男でもあったのだ。

 その源三は新之丞の顔を確かめるようにゆっくりと、言った。


「遅かったな。師範代。加代は俺のものになったぞ」


 なるほど、あの手紙は、こいつの仕業だったか。

 そう了解しながら、しかし。

 新之丞は、いつもどおり、源三に言った。


「うそをつけ。奥にいるのは、佐次郎か?」


 佐次郎とは家老、真木城衛門の次男で、源三が腰ぎんちゃくをしている男の名だ。


「うそなものか! 加代は、俺が力づくで組み敷いて抱いてやったのだ。加代も、道場も俺のものだ」


 ツバを飛ばして、源三が喚いた。落ち着いた様子は、一言分も持たなかった。

 野卑で乱暴な下地が、あっという間にむき出しなる。


「なら、お前はなんでここにいる。子分どもはどうした? 大体、佐次郎が、お前に何かを譲ることなどあるまい」


「やかましいっ」


 源三は大刀を抜き放ち、新之丞に切りかかろうとして、――「ぐう」と低くうなった。

 無手であったはずの新之丞の手に、いつの間にか、木剣があった。

 源三の顔が醜くゆがむ。不様なまでに、狼狽していた。

 いつ? どこから? と、そう顔に書いてある。


「どうした? 無手でないのが、不服か?」

 新之丞がいうと、封じられた動きを取り戻そうと、源三がまた、吠えた。

「に、二番目のぶんざいで、こ、この俺に」

 新之丞は、すっと、半歩間合いを詰める。

「源三。わたしは確かに二番目の男だが、自分がお前に劣ると言ったことは、ないぞ?」 

 なんだと?と、顔をゆがめる源三に向かって、新之丞は言い放った。


「お前はしょせん、『三番目』以下だ」 


 三上源三は咆哮とともに、とびかかった。新之丞が動く。


 晴願流に「けれん」はない。

 単純に、無垢に、純粋に。あらゆる無駄と逡巡をこそぎ落として、削り上げる太刀筋こそ、真骨頂。

 そこに、力の有無は関係ない。技を、心を。只管に、積み上げて、育て上げて、磨き上げた、その先にこそ、『花』は、咲く――


 滑るような踏み出し。体を捌いて真っ向から斜めに切り落とす。大上段から振り下ろされる源三の凶刃は、むなしく杉張りの床に食い込み、新之丞の木剣は源三の横腹にめり込んだ。


◇ ◇ ◇


 道場を抜け、奥屋敷に進む。屋内は静まり返っている。

 顔を出したばかりの月が、庭の松の陰から覗いて見えた。

 

 奥屋敷の庭は、かつて、新之丞が加代と稽古をした場所。


 いま、その場所に、いつつむっつ、何やら転がっている。みれば、どいつもこいつも、名札ばかりこしらえて碌に稽古もしない、不良門人どもである。


「ああ、おそかった」

 源三の言い分ではないが、新之丞は遅かった。終わってしまっていたのだ。

 思わず、そう漏らしたところ、月明かりの庭に一人立っていた人物が振り返る。

 人影は、加代だった。

 彼女は名人、小菅甚助の一人娘。剣の道に天賦の才があった。

 そのことは、幼いころからともに修業した新之丞が誰よりも知っている。

 源三はもちろん、こやつら程度、足元にもよれまい。

 月影に立つ彼女こそ『一番目』。新之丞が仰ぎ見てやまない、剣の極致である。

 ……では、あるのだが。


「……ほかに、いうことはないのですか」


 すこし、拗ねたような口調で、新之丞の幼馴染がいった。

 こんな時にも新之丞がいつも通りなので、さすがに気分を害したらしい。

 新之丞は頭をかいた。それからさらりと言った。


「わたしと夫婦(めおと)になってくださいませんか?」


 加代は目を伏せ、うつむき加減でつぶやく。

「……殿方は」

 は?と新之丞が、聞き返す。よく聞こえない。

「……殿方は、自分より強い女はお嫌いなのではないですか?」


 心細げな、言葉だった。

 なんとなく。確かではないがなんとなく。

 新之丞は、最近稽古に出てこないことも含めて、加代の心中を察した。

 その程度には、この二つ下の幼馴染を知っているつもりだった。


「そうですね。男というのは、大抵、そんなものだとおもいますね」


 やはり、そうですか。と、加代は彼女らしくもなく、悄然と肩を落とした。


「でも、まあ」


 その時、新之丞の脳裏に鮮やかに蘇ったのは、目に染みるほどの青葉と木漏れ日と……そして、おくれ毛を真っ白い額に張り付かせ、得意げにこちらを見下ろす少女の笑顔だった。


「わたしは、二番目が好きですので。とくに気になりませんよ」


 新之丞は、さりげなく間合いを詰める。

 そして、彼女ですら気づかぬうちに、そっと、うつむく加代の手を取った。

 

 終 






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