KAC5 「ルール」 二度と帰らぬ織姫
「ねえ、おとうさん」
不思議そうな声色で、ハルカが僕に問いかけてきた。視線を下げる。浅葱のワンピースに白いカーディガン。一粒種の娘がそこにいる。
「どうした?」
その場に屈み、好奇心の権化の目を見据える。少しだけ、ハルカの目線が高くなっていることに気づいた。子供の成長は早いものだ。
先を促すように薄く微笑むと、ハルカは口を開いた。
「どうして一年に一度だけなの?」
ハルカが首を傾げ、僕は空を見上げた。
寄り集まる星々。群青に寝そべる光の川。大三角。
ハルカの言葉を補えばこうなるだろう――織姫と彦星は、どうして一年に一度だけしか会えないの?
「どうして一年に一度だけなの?」
ハルカが繰り返す。
「そういうルールだから」
そう、これはルールなのだ。
「誰が決めたの?」
「神様かな」
神様がきまぐれに作ったルール。
「神様が決めたルールかあ」
そっかぁ、と呟き、ハルカも空を仰いだ。
ハルカに夜空を見せに来ていた。
一面、夜に染まった緑。背丈の低い夏草が囁くように波打っていた。少し肌寒い夏の夜で、いつもは心地よく感じる夜風が体温をゆっくり奪っていく。
余程長く居すぎるとハルカが風邪をひいてしまうかもしれない。そう考えた僕はそろそろ帰ろうと促したが、ハルカはもう少しだけ見ていたいと強請った。
せめて、と思って胡坐をかいて座り、その上にハルカを呼んだ。着ていた黒のジャケットでハルカを包み込む。
そうしてしばらく、ぼんやりと星を二人で眺めていた。
「神様は、ひどい人なの?」
ゆらゆらと左右に揺れていたハルカが、おもむろに呟く。問いの意図を掴みかねて、僕は尋ねた。
「どうして?」
ハルカは揺れるのをやめた。じっと空の一点を見つめていた。
「だって、好きな人同士ををわざわざ離しちゃうんだもん。どうしてそんなルール作るの? 神様ひどい」
織姫と彦星のことを言っているのだと僕は気づいた。神様が作ったルール。自分ではきっとそうなのだと思っているのだけど、あまり子供に話すにはふさわしくなかったかもしれないと数分前の自分を思い、苦笑する。
「そうだねえ、神様ひどい人だねえ」
ハルカが体半分で振り返り、僕の顔を見上げる。引き結んだ口元が震えている。ゆっくりと口を開く。
「おかあさんが遠くに行っちゃったのも、神様のせい?」
ハッとした。幼子のまっすぐな目に心を奪われ、動けなくなる。
「神様が作ったルールのせい?」
ハルカは目を逸らさない。大事なことを話すときは、しっかりと人の目を見て話すんだよ。そう教えたのはハルカの母だった。
「おとうさん言ってた。おかあさんは遠いところに行ったって。でも、一年に一度は会えるんだよね? 神様が作ったルールだもんね?」
いたたまれなくなる。神様が作ったルールに僕らはどうやって抗えばいいのだろう。
「ハルカ、あのな」
細い髪を梳くように、ハルカの頭を撫でる。
「おかあさんはな」
ハルカが首を傾げた。母親によく似た仕草だった。
とても、とても良く似ていたんだ。
それだけで十分過ぎたんだ。
「おとうさん、どうしたの?」
ハルカには見られたくなかった。
だから、抱きしめた。
「寒いの?」
ハルカをまだ短い腕を一生懸命に伸ばして、僕の背中をさすってくれた。
KACまとめ 結城七 @yuki_7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。KACまとめの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます