前から2番目だったあいつ

西藤有染

背の順

 背の順に並んで、前から2番目にあいつ。そのすぐ後ろに私。それが私たちの定位置だった。


 小学生の時には、何かと背の順で並ぶ事が多かった。そうやって整列する時というのは大抵、毎週の朝礼でつまらない話を聞く時か、行事等で何処かに集合する時、つまり暇を持て余す時なのだ。だから幼い私が、暇潰しの為に目の前に並んでいたあいつにちょっかいを掛けて遊ぶようになるのは必然だった。

 ある日、起立したまま校長の長話を聞いている時に、なんとなく、前にいたあいつに「膝カックン」をやってみた。当時、クラスの中で流行り始めていた、相手の膝裏に自分の膝を当てて、意図的に曲げさせるそのいたずらは、予想以上の成果を見せた。あいつは膝から崩れ落ちたのだ。それを先生たちに貧血と勘違いされ、顔を真っ赤にしてこちらを睨みながら保健室に運ばれていく様子を、私は笑いを堪えながら見ていた。

 次の朝礼の日、私の「膝カックン」はまた見事に極まり、倒れたあいつは再び先生たちに貧血と勘違いされた。誤解を解くために、私が原因であると先生に説明していたのだが、その先生が「女の子が『膝カックン』なんてするわけ無いでしょう!」というよくわからない理論を展開し、あいつの言葉は信じてもらえなかった。あの頃は「先生、ナイス!」などと思っていたが、今考えると、思考が凝り固まっていたり、生徒の事を信用していなかったりと、教育者としては駄目な人だったのでは無いだろうか。結局その日もあいつは顔を真っ赤にしながら保健室に連れて行かれた。

 また別の全校集会の日、あいつに「膝カックン」を試してみたが、今度は失敗した。脚に力を入れて突っ張り、膝が曲がらない様に対策してきたのだ。私の「膝カックン」を阻止したあいつはこちらをちらりと振り返り、してやったり顔をしてきた。それが気に食わなかったので、後ろから指で脇腹を突いてやった。すると、全校生徒が集まる体育館に、あいつの声が短く響き渡った。どうやらくすぐりにめっぽう弱いらしい。あいつは耳まで真っ赤になりながら、こちらをこっそりと振り返り睨んできたが、私は笑いを堪えるのに必死で、それどころでは無かった。

 いたずらに対するあいつの反応はいちいち面白く、飽きる事は無かった。あいつもあいつで、私のちょっかいに対して抵抗や仕返しを試みてはいたが、結局上手くいかず、いつも顔を真っ赤にしながらこちらを睨んできた。その様子を私は笑って見ていた。そんな関係が小学校卒業まで続いた。そして、私たちは中学生になった。


 中学に上がると、かなり環境が変化した。私やあいつが通っていた小学校だけで無く、他の小学校の生徒も入って来る為、単純に学年ごとの人数が増えた。さらに男女の区別がはっきりとされるようになった。体育の際には別々の更衣室が用意され、整列する時にも男女別で並ぶ様になった。


「はいじゃあ男女別で背の順に1列ずつ並んでね」


 初めてそう言われた時には、もしかしたらあいつと離れてしまうかもと思い、漫然とした不安に襲われた。しかし、蓋を開けてみると、私は女子列の前から2番目で、あいつも男子列の前から2番目だった。定位置は変わってしまったが、これからもあいつにちょっかいを掛け続けられると思うと、自然と顔が綻んだ。早速、先生にばれないようにこっそりと肘で突いてみる。するとあいつも突き返してきた。横目でちらりと見てみると、あいつもこちらを横目で見つつ、楽しげな笑みを小さく浮かべて、「やられっぱなしでいられるか」とでも言いたげな、挑発的な表情をしていた。それからは、新しい校長の話が全く耳に入らない程に、ちょっかいを掛け合う事に夢中になっていた。完全に私たちだけの世界に入り込んでいた。ただただ楽しく、朝礼の時間はあっという間に過ぎ去った。

 当時はそこに恋愛感情など全く無かった。だから、入学からしばらくして、

 

「付き合ってるの?」


と、別の小学校から上がってきた友達に聞かれた時も、咄嗟に出たのは否定の言葉では無く、


「誰と誰が?」


という疑問だった。その子は、さも当然と言う様に私とあいつの名前を挙げた。


「あれだけ仲良さそうにじゃれ合ってるんだもの、そうとしか見えないわ」


という言葉に、一瞬考え込み、


「考えたことも無かった」


と零すと、


「あなたって小学生みたいね」


と、その子に呆れられた。いや、あんたも私もつい最近まで小学生だったでしょうが、という反論はすんでの所で飲み込んだ。結局その話題はそれ以上広がる事も無く、すぐに終わったのだが、その影響は思いの外強かった。

 次の朝礼の際、いつも通りに横にいるあいつにちょっかいを掛けようとして、ふと「付き合ってるの?」という言葉が頭を過ぎった。その瞬間、伸ばしかけていた手を思わず引っ込めてしまった。いつもの行為が、何となく気恥ずかしいものに思えてしまったのだ。いつもなら肘で強めに小突く所を、控え目に指の甲でコンと叩く程度に留めてしまう。それでさえも照れ臭く感じてしまい、少し顔が熱くなるのを感じた。そうやってひとりで悶えていた所で、違和感を覚えた。

 いつまで経ってもあいつがやり返して来ないのだ。控え目過ぎて、ちょっかいを出された事に気付いていないのかと思い、もう1度手の甲で、今度は少し強めに叩いてみる。無反応。肘で小突いてみる。無反応。横目で様子を確認しながら、つま先であいつの足を突っつく。全くもって無反応。それどころか、こちらを振り向こうとすらしなかった。さすがにむっとし、思い切り足を踏んづけてやろうとしたが、先生がこちらの方に寄って来そうな気配がしたので、踏み止まった。

 その日、あいつが私のいたずらに反応する事は無かった。次の朝礼でも、その次の朝礼でも、あいつは頑なに反応しようとはしなかった。

 その理由は、意外と早く明らかになった。

 中学では週に一度、班ごとに分かれて全員で担当の教室を掃除していた。夏休み前日の大掃除の日、私の担当だった化学室の清掃を終え、教室に戻ると、まだ掃除中だった教室の中から、あいつの声が聞こえてきた。


「だから、俺はあいつの事なんて好きじゃない! あいつが勝手にいじってくるだけだ!」


 聞こえたのはそれだけだったが、それだけで話の流れは理解出来た。恐らく、あいつも私と同じ様な質問をされていたのだろう。それも、からかわれるような意地の悪い口調で。あいつはそれに反論し、その証明として、私の行為を無視していたのだ。それでも私がちょっかいを出し続けるから、周りも面白がり、ついにはこうして語気を荒らげて反論するまでヒートアップしてしまったのだろう。

 事の経緯は何となく予想出来た。だが、それを受け止められるかはまた別問題だ。恋とか恋愛だとか、そんな感情は無いつもりだったが、「好きじゃない」という言葉を叩き付けられた時、私は酷く動揺した。その日、どのように帰宅したのか覚えていない程に、ショックを受けた。あいつにそう思われていなかった事に、ショックを受けている自分が、理解出来なかった。そんな理解出来ない傷を負ったまま、夏休みに突入し、その傷は癒えること無く休みが明けた。

 久しぶりに登校すると、あいつは見違える程に背が伸びていた。夏休み前は余りに変わらなかった筈の身長が、見上げる程の高さに変わっていた。だから、休み明けの全校集会では、あいつは背の順で後ろの方に並ぶ事になった。代わりに私の横に並んだのは、話した事も無い男子。当然ちょっかいを掛ける訳にはいかなかった。かといって、前にいる女子にいたずらをする気にもならない。久しぶりにまともに参加する朝礼は、時間の流れが酷く長く感じた。あいつが側にいてくれたら、こんなに退屈せずに済むのに。ふと、そんな事を考えてしまった。

 

 それからというもの、あいつと話す事は1度も無いまま、中学を卒業してしまった。

 

 結局の所、私とあいつの関係というのは、背の順で整列した時に絡む程度の仲でしか無かったのだ。言葉を交わさずとも通じ合っている様なつもりになっていたが、実際は言葉を交わしていなかったので、お互いの事は全く知らなかった。だから、背の順の列で位置が離れてしまった事で、あいつとの接点は完全に無くなってしまった。側にいないあいつに、ちょっかいを掛けること以外でどのようにコミュニケーションを取れば良いのか、分からなかったのだ。


 しかし、例え言葉を交わしていなかったとしても、あいつに絡んでいたのは、結局あいつが良かったから、あいつの事が好きだったからなのだろう。今更気付いてももう遅い。ずっと続くと思っていた私とあいつの関係は、身長が変わった程度で終わってしまうような関係だったのだ。 

 今や、あいつがどこの高校に行ったのかも知らない。


 初恋は実らない。思春期の目覚めと共に齎さられるそれは、気付いた頃には手遅れで、周囲の思春期的な好奇心によって壊されてしまうのだ。


 これは、前から2番目に並んでいた男の子に対する、私の苦い初恋の思い出。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

前から2番目だったあいつ 西藤有染 @Argentina_saito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ