2-5
脱出したケーブルカーが衝突する音を聞いたところで、ライオコブラはゆっくり転げ落ちないように坂に寝転ぶ。噛み付いていた枕木を離したコブラが、心配そうに横腹の傷を舐めていた。
「アクション映画は観るものであって、やるものじゃないね。ところで、アレもクロスなの?」
「わからん。ひょっとしたら、怪人かもしれねえ。ただ、とんでもねえヤツなのは間違いねえな」
春菜が尋ねるが、それはライオコブラにもわからぬ問いであった。
全身のシルエットや変身ベルトは、ファーストやネクストのようなクロス同様だ。
だが、おそらく食人鬼になる前からあった牙と爪。さらにあの獣性は、動物型の改造人間であるライオコブラに劣らぬ、いや、それ以上であった。それぐらいでなければ、獣の肉を食いちぎるなんて、堂に入った噛みつきはできまい。
ネクストが技術の発展から生まれた新型なら、あのクロスは大自然からやってきた野獣だ。怪人に野獣呼ばわりされるほどの仲間を持つとは、クロスというのも業が深い一団だ。
「痛ッ」
痛みに顔を歪めるライオコブラ。食いちぎられた横腹の傷から、血が流れ始めていた。
「待ってて。荷物に薬と包帯があるから」
春菜は動揺を隠し、リュックサックの荷物をあさる。これまで、ショッピングモールからずっと同行してきたが、ライオコブラがこうも痛みを隠さないのは始めてだった。
春菜は包帯と消毒薬を取り出すが、ライオコブラは戻すよう指示した。
「それはお前のモンだ。だいたい俺様の身体に人間用の薬は効きが悪いし、そもそも量が足りねえ。それより、血をくれ。お前の血があれば、自己再生でどうにかなる」
ライオコブラにとって、動力源となる若き女の血。血を飲めば飲むほど、その性能は向上していく。
春菜は本体の傷を舐め続けているコブラを手に取り、自らの腕に噛みつかせようとする。
「あっ!?」
だが、コブラは春菜の腕から逃れ、獲物を見つけたかのように一直線に伸びる。その方向は、坂の下――
「クケーーーーー!」
坂を猛スピードで駆け上がってきたクロスが、一直線に襲いかかるコブラの攻撃を避け、跳躍する。ケーブルカーの衝突に巻き込まれ、多少焼け焦げてはいるものの、その狂暴な動きに遜色はなかった。
「バケモノめ……マジかよ!?」
クロスを睨みつけていたライオコブラは、驚きで目を見開く。
跳躍したクロスは、伸びたコブラの身体を足場に、再度跳躍。そのまま、線路の脇に並ぶ木に跳び移り、またも跳躍。更に、別の木に跳び移り……。
坂も敵の体も森林も、角度も足場も方向感覚も無視した縦横無尽の大跳躍。四方八方に跳ぶその姿は、ライオコブラの目ですらとらえられなかった。
寝たままのライオコブラは突如左腕を構え、自らの身体と脇にいた春菜をかばう。直後、ライオコブラの左腕に深い爪痕が刻まれた。
ライオコブラの腕を爪で刻んだクロスは、勢いを殺さぬまま、再び木に飛び移る。ここはもはや、謎のクロスの狩場であり、獣性の結界であった。
徐々に勢いを増している以上、次に襲いかかられたら、防げまい。とっさの判断とて、限界がある。
悩むライオコブラに、春菜が話しかける。
「突如標的が二つになれば、アイツも混乱するんじゃないかな」
「おう、そりゃあ混乱……するわけねえだろ。お前がただ、俺様を見捨てて逃げた思うだけだ。俺様を殺してから追うか、先にお前を殺してから始末しに来るかのどっちかだ」
自分が囮になると暗に言い出した春菜を、ライオコブラは正論で否定する。
ライオコブラも春菜も、お互いを失えば生き延びることが難しくなる一種の運命共同体である。
突如二手に分かれれば、数秒程度時間は稼げるかもしれないが、しょせんは数秒である。自殺行為と引き替えにするには短すぎる。
「でも、私も何かしたいんだ」
ただ守られている状況、しかも追い詰められている状況で、今の自分は無力すぎる。
自分もなにかしたい。この状況であっても、春菜の気持ちは折れていなかった。
「なら、じっとしてろ。血液袋のお前がすべきは、余計なことはしないことだ」
ライオコブラは、そんな春菜の葛藤をあっさり切り捨てた。
無言のまま、春菜は手にしたリュックサックを力いっぱい抱きしめた。それは、焦燥か、それとも悔しさか。
だが、今、ライオコブラに春菜の様子を見ているヒマはなかった。謎のクロスの木々を使っての跳躍は、先程よりも勢いを増している。
「んん?」
ライオコブラは、思わず目をこする。
今しがた、クロスの跳躍にゆらぎが出来たかのように見えた。まるで、突如地震に巻き込まれたかのような、不自然なゆらぎだ。
「キキッ!?」
どうやらそれは、見間違いではなかったらしい。クロス当人も、突如のバランスの悪さに困惑していた。困惑しつつ、木に飛び移るクロス。
ここで、ライオコブラもクロスも、異常の原因に気がついた。
クロスが足場としている木が、大きく傾いている。ケーブルカーのレールを左右で囲む大木、今、クロスが貼り付いている右側の木が、数本まとめて傾いていた。
木は貼り付いているクロスを巻き込み、そのまま倒れた。
一本の木が倒れたことが連鎖となり、次々と倒れていく木々。突如起きた木の雪崩に巻き込まれ、哀れクロスは再び坂の下に流されていった。
「いったい、どういうこった?」
あまりに都合の良すぎる気の倒れ方を、不審がるライオコブラ。
コツンと、ライオコブラの頭を固いものが小突く。
ライオコブラに向けられたのは、猟銃の銃口であった。
「その娘を離しな、バケモノ」
ライオコブラと春菜の二人が、久々に聞く、自分たち以外の人の声。久々の新鮮味があるはずの他人の声は、新鮮とは真逆にしわがれていた。
その人物は、老婆であった。
曲がりかけの腰に深いシワにカラスの足跡、白髪頭に手ぬぐいをかぶり、着古した毛玉が目立つセーターと色あせたもんぺを履いた姿は、まさしく田舎の老人である。
だが、手には猟銃、腰には鈍く光るナタ。足場の悪い坂も地下足袋でものともせず、微動だにせずライオコブラを眼光鋭く睨む姿は、牧歌的という言葉の真逆にいる。
鷹頭山でライオコブラと春菜が出会った存在、それは野獣の如きクロスと、老いた狩人であった。
世界征服している場合じゃねえ! 藤井 三打 @Fujii-sanda
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