先に気づいても二番手ならば

香枝ゆき

私を支えてくれた恩師、友人、家族、そしてすべての人たちへ。

 謝辞は決めていた。

 構成も昔から考えていた。

 それでも僕は、あと一歩及ばずだった。


「……僚さん!」

 転がるように屋上に乗り込んできたのは、修士課程の研究仲間だ。

 学生会館の屋上は、風が強く吹いている。

「すごいよな、友谷のやつ。修士で本出せるってなかなかないから」

 修士課程二年、友谷光希は社会学研究科の中でも注目を集めていた。

 誰もやったことがない研究をやりなさい。

 そんな教えを見事にやってのけたのだ。

 具体的には、50年は停滞していた研究の再発見。そして論文発表。

 瞬く間に学術系出版社から本を出すことも決定した。

「でも、あの分野はもとはといえば」

「上野」

 思ったより固い声が出た。あえて名字で呼んだことで、余計に線を引いた気がした。

「……結果がすべてなんだよ」

 僕らは黙って、沈んでいく夕日を見ていた。



 とある新興宗教の幹部の子供として、僕は生まれた。この新興宗教は、かなりの秘密主義で、ろくな記録も残っておらず、全ては口伝で伝えている。外部の、つまり信者ではないものに他言するなという取り決めがあるためだ。

 もちろん、日本みたいに信じるものがチャンポンな国で、「私は○○教を信じています」とか、日常会話ではまず話題にのぼらない。

 だから僕がそんな話を触れ回るはずもなく、信心深い他の人らが言うまでもなく、当然の流れとして信者は自然に減少していった。

 なにより、他人への勧誘ができないのだから仕方がない。

 まあ僕は、特に信じてはいなかったけれど、このままなかったことになるのはもったいないと思い、大学の研究テーマに据えることにした。


 まあそれなりに楽しかった。

 楽かと思えば奥は深かった。

 論文といった形で残されている最新の研究成果は50年前のものだったし、教授が興味を示してくれたこともあった。

 どうやら排他的らしく、まともに聞き取りができることも稀なようで、僕ならばできるのだという一種の優越感があった。


 そして、大風呂敷を広げ、大学では当たり前のように調べきれず、課題を残して卒業した。


「でも、僚さんは、また戻ってきた。一旦は社会人になったけど」

 僕はぐいっと、缶チューハイを傾ける。

「それが遅すぎるってんだよ」

 塗装の剥げたくずかごに、空になった缶を投げ捨てた。


 一念発起して社会人入試を受け、なんとか母校の社会学研究科修士課程に合格。会社を休職し、研究に打ち込める環境を手に入れた。

 そして開かれた顔合わせ会。

 先輩として紹介されたのが、友谷光希。

 同じ新興宗教の信者の子供だ。


 びっくりした。

 そして、恐怖した。

 研究テーマが同じだったから。

 年下の先輩に、抜かされると思うととても不安だったから。

 なにもかもをなげうって。

 それでも結局。


「間に合わなかった。二番目にしか、なれなかった」

 論文発表のタイミング、中身のレベル。

 いずれも及ばなかった。

 一番になりたかった。

 一番と二番では、違う。

「それでも僚さんは、きっと、友谷さんよりも先に研究に着手しました」

「さしずめウサギと亀のウサギだな」

 上野は黙る。

 こんなことを言いたいんじゃないのに。

「……でも、二番目なら、二番目なりのやりかたがありますよ」

 ぼおっとした目で、僕は上野を見やる。

「名誉も、被引用件数も、一番と二番は絶対違います。それでも、一番の問題点やなんやらを指摘できるのは二番だし、ひっくり返せるのも二番なんです。だから」

 先に気づいても二番手ならば。

「……意味がないなんて、思わないで」

 月が上っていた。

 構内には電球がまばらについていた。

 ただただただ。

 僕は泣いた。




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先に気づいても二番手ならば 香枝ゆき @yukan-yuki

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