金星に囚われた男

東風

金星に囚われた男

 ぼくはしょうらい、きんせいにいきたいです。


 小学生の時、「しょうらいのゆめ」を話すという時間で、ソウジはそう言った。先生は少し驚いていたが、「素敵な夢ね」と曖昧な感想で済ませた。もっとも、俺も真には受けず、「なんじゃそりゃ」とか思っていたのだが。


 

 しかし、中学生になってもあいつの夢は変わらず「金星に行く」だった。さすがに中学生にもなってそんな突拍子もないことをいうやつはあまりいない。というかゼロであったから、周りの人間はあいつを「変なやつ」と認定して避けてたりした。

 俺はあいつとどういう関係を築いていたか。実は小学校では毎年同じクラスであり、さらに出席番号も近く、おまけに家も近かったから、よくつるんでいた。中学校でもやっぱり同じクラスだったのだから、もう笑うしかない。二人とも帰宅部で、大抵は共に帰宅した。帰宅途中はあいつから宇宙に関することを散々聞かされる羽目になったから、なんだかんだで普通の中学生よりは宇宙についてちょっとばかり詳しくなれた。

 中学3年になって間もないある日、志望校の話になった。


 「セージはどこ高受けんの?」

 「あー、まあハザマあたりじゃないか?俺の頭なら?」

 「じゃあ、ぼくもそうするかー」

 俺はギョッとした。おまえならもっと上を目指せるだろうに。なんでわざわざ。そう思って尋ねると、あいつはこう返した。

 「いーのいーの。高校までは。セージと話すのも楽しいし。」

 頼むから現実を見てほしかったが、あいつは言った通り俺と同じ高校を受けた。そして二人とも同じ高校の生徒となった。

 さらに、入学式の日同じクラスだと知ったとき、俺は笑いながらため息をついた。完全に腐れ縁になった。あいつもケラケラ笑っていた。


 高校ではあいつはどうだったか。初めての自己紹介でやはり「金星に行く」と堂々と宣言し、あだ名が「金星」になった。あいつは喜んでいた。「素晴らしいよ。自分が目指している星の名前で呼んでもらえるなんて」とか言うもんだから苦笑いするしかなかった。

高校の先生もきっとあの自己紹介は、か何かだと思ったに違いない。でもあいつはそれ以後も「金星に行く」を変えなかったから焦り始めた。先生たちは、いろいろあいつに言っていたが要はこの言葉に要約される。


 「現実を見なさい」


 それでもあいつは飄々としていて、自分の夢を変えることはなかった。先生たちの指導を難しくしていたのがあいつの成績だった。普段はぼんやりとしているようにしか見えなかったがあいつの成績は抜群に良かった。あいつは自分の夢には何が必要かきちんと分かっていた。理系の大学に入学することも決めているらしかった。周りの人間はあいつを「成績はいいがよくわからない夢を抱いている変なやつ」とみていた。そもそもあいつは俺に合わせてこの高校を選んだのだ。俺に合わせなければもっと良い学校で良い友達に恵まれていたのではないか、という思いがいつのまにか俺の中に存在していた。俺には明確な夢とか目標とかはなかった。

 高校2年にもなるとあいつに対して申し訳なさという感情が重くなってきて、話すのもつらくなった。さすがに大学は別になるに違いないが、それなら別に高校からでもよくはなかったのか。そう言った思いに加えて自分自身の進路などの悩みもあって憂鬱だった。やはり俺には明確な目標がなかった。

 ゴールデンウィークが明けた日の夕方、あいつは興奮気味だった。

 「金星探査機が打ち上げられるってさ!楽しみだねえ!」

 その顔は心底楽しみという表情だった。だからだろうか。思わず聞いてしまった。

 「なあ、なんでそこまで金星にこだわるんだ?」

 これまで聞いたこともなかった。聞く気はなかった。

 「有人探査ってさ、まだ月までしか行ってないしさ。他の探査は全部機械だ。日本ならはやぶさとか、かぐやとか、あかつき。海外はスプートニク、パイオニアとか、カッシーニ、メッセンジャーにボイジャー。まだまだある。でも、どれも有人じゃない。次に有人探査するとして金星だなんて保証はない。というより火星の方がメディアなんかではよく出てくるな。そもそも金星はとても地表に降り立てるような環境じゃないって教えてくれたのはお前だ。万が一金星に有人探査するとしても一体何年先だ?その時まで現役で宇宙飛行士やっていられるのか?こんなに可能性が低い中でどうしてそれでも金星に行くための努力ができるんだ?」

 そう、それだけ可能性が低い中で、それでも信じていられるのはきっと、心の中にがあるからだろう。きっと、それを俺はと感じてしまう。それはとても嫌だ。まぶしいと感じることも、そう感じていまうほど何もない自分自身を知ってしまうことも。ああそうか、だからあいつの夢について聞けなかったのか、とこの時になってやっと気づいた。

 一気にべらべらとしゃべったから口の中が乾いていた。あいつはというとにこりと笑っていた。


 「セージ、明けの明星と宵の明星って知ってるよね?」

 「.........当たり前だ。」

 一体何回聞かされたと思っているのか。けれどそれがどうしたの言うのだろう?

 「あれってさ、どっちがきれいなんだろうね?」

 「....は?」

 「いや、地球から見たら分からないんだけど、近くで見たらどうかなって、ずっと疑問に思ってるんだ。どっちがきれいなのか、しっかりこの目で確かめたい。一番きれいな金星を見てみたいんだよ、僕は。」

 俺はどんな顔をしていただろう。そんなに単純な理由でこいつは金星に行こうというのか?誰に馬鹿にされようとも?行けるかもわからないのに?


 気づいた時には、腹を抱えて笑っていた。爆笑していた。あいつは少し怒った。

 「そんなに笑わなくてもいいじゃないか。」

 「い、いや、だ、だってお、おまえ...。はあはあ、じゃあなんか具体的なプランとか」

 「うーん、実はあまりないんだ。」

 アホだ。こいつはじつにアホだ。いや俺がこいつに何か見すぎていただけなんだろう。全く。いやでも、これで腑に落ちた。


 「お前は、本当に、ただ金星に行きたいだけなんだな。」

 「最初からそう言ってるじゃないか。」

 ソウジは笑った。





 「こちら、ヒューストン。そっちはどうだ?金星に近づきすぎて溶けてやしないか??」

 しばしの沈黙。

 『こちら、セカンド。それよりもボブのおならで死にそうなんだ。助けてくれよ、。』

 何やってんだ、あいつらは。俺は少しため息をつく。



 あいつは本当に運がいい。大学を出た後、20代のうちに宇宙飛行士選抜試験が実施されたこともそうだが、なによりも一番は金星の探査機が未知の金属の鉱脈を見つけたことだった。金星の環境でも耐えることのできるものらしい。この発見により金星の重要性が高まり、あっという間に有人探査計画が進められることになったのだった。もっとも、今回のミッションは金星を周回して帰還するものだ。しかし、月とは違ってこれだけで着陸に等しいものだと俺は勝手に思っている。金星有人探査のメンバーに選ばれたのは、これは運ではなく実力だ。当たり前だが、間違いない。ちなみに探査船の名前は、「セカンド」。太陽系のの惑星、金星に行くかららしい。最初は仮称だったのだが、いつの間にか正式の名前になっていた。いいのかそれで?

 俺のほうはあの日の後どうだったかといえば、死にもの狂いの一言に尽きる。あいつに追いつくためには今までに開いた差を埋めるだけではなく、あいつについていくことが必要だったからだ。知恵熱を何回だしただろうか?そうまでしてなぜあいつについていこうとしたのか?多分あの日あいつの夢を助けることが俺の夢になったからだ。俺のことすら目もくれずに「金星に行く」ことだけ見ている。にもかかわらず、その過程があまりにも無計画なあいつの道を作ることを自分の目標としてしまった。後には引けないだろう。全く後悔はないが。

 こういうことを話すとあいつは必ず決まってこういうのだった。


 「でも、あの探査機のアイデアは?セージ博士?」

 確かにその通りだ。金星の有人探査の優先順位を上げるには、人類にとって有益な何かを見つける必要があるとは思った。でも、大学院在学中の研究で自分が出したアイデアが採用され成功したとはいえ、それが探査機に使用されることになったのは偶然だし、もっと言えば一発で大発見するとは思わなかったのだ。やっぱりあいつの運の強さだと思うしかない。

 実はこのミッション、俺もメンバーを打診されていた。でもしっかりと断った。俺はあくまであいつの夢について行った、もっと言えば行かせてもらったのだ。一番最初に金星を見るべきは間違いなくあいつだ。

 



 そろそろ金星も近くなっただろう。今は日本なら明けの明星が見える。

 いくつかセカンドのクルーとやりとりした後、あいつに尋ねた。


 「こちら、ヒューストン。そろそろ周回軌道に入る。眺めはどうだ?」

 しばしの沈黙。でも、返ってくる言葉はわかっている。



 嘆息。そして、

 『こちら、セカンド。きれいだ。実にきれいだよ。』

 

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