2番手の矜持
キロール
三回忌にて
ああ、その手で来るのか。
いや、強いな……まるであいつの手の様だよ。
負けてしまったな、詰みか。
投了だ。
ああ、あいつがあんな死に方をして三年も経った。
俺達は仕事柄、恨みは良く買ってたからな、その絡みだと思ってたんだが、生憎とどいつもこいつもアリバイがある。
――ああ、何となく分っていたよ、お前さんの目はホシを探すあいつにそっくりな輝きを持っているからな。
そうだな……常に二番手だったワシが疑われるのは当然だ。
あいつとの付き合いはとても長い。
大学からの付き合いだからな。
それまでワシは小中高と地域で成績は一番だったし、将棋もチェスも囲碁も負け知らずだった。
所が、大学であいつに出会った一変した。
あれから五十年、ワシはずっと二番手だった。
あいつには全く勝てなかったからだ。
万年二番手の
ワシが第三者ならば、それも視野に入れて捜査しておるよ。
そうだな、やっていないと証明するのは、悪魔の証明だ。
そいつの証明にはならんが、一つこの老人の長話に付き合って判断してくれ。
お前さんは、ハーバート・ラッセル・ウエイクフィールドと言う作家を知っているかね?
怪奇小説作家だ。
いにしえのイギリス怪奇小説の最後の書き手とも言われておる。
彼の作品に『ボーナル教授の見損じ』と言う作品がある。
――正に、ワシとあいつの様な関係の男二人が主役だ。
常に己の上を行くライバルを疎ましく思っていたボーナル教授は、チェス大会の世界選手権出場のために腕を磨いていた。
結局、最大のライバルに打ち勝つ一手を編み出したと意気揚々とチェス大会に出場するも、決勝でライバルに出会い、負け掛けた。
どうしても勝ちたかったボーナル教授は、殺人と言う過ちを犯し、そいつをうまく事故死に見せかけた。
さあ、これで世界選手権で腕を振るえると言う時に……。
怪奇小説作家の書いた作品だ、オチは分かるだろう?
ショッキングな描写も少なく地味な話だが、ワシにとっては心胆寒からしめる内容だったよ。
ワシも、あいつが居なければと思った事が何度かあったからな。
劣等感、敗北感、次こそはと気力を振り絞っても易々と越えられるように感じられて、身悶えした物だ。
将棋、チェス、囲碁、コンピューターゲーム……頭脳を使う物は軒並み勝てなかったからな。
ワシが弱いだけならば良いんだがな、他の連中には普通に勝てた。
それでも、あいつには勝てなかった。
その悔しさがどれ程か分かるかね?
分らんと思うがね、こればかりは。
……ああ、そうだ。
この話を知ったワシにとって『ボーナル教授の見損じ』は間違いを起こさない聖書の如き作品になった。
人生の岐路で誤りなく進む為の道しるべさ。
結局、ワシはあいつにはずっと勝てなかったし、その機会も一生無くなってしまった。
あいつが死んだ次の日、実は新たなボードゲームで勝負を挑むつもりだった。
奴があまり知らぬ筈のモノポリーでな。
そればかりではないぞ?
チェスの戦法も一つ思いついていたし、将棋だってそうだ。
しかし……実際戦っていたら如何なっただろうな?
大人げないとは分っていたが、お前さんとの勝負にも練りに練っていた一手を指したんじゃがね。
いやはや、あいつの孫にも負けてしまったわい。
しかし、この三年間ずっと燻っていた物が消えたように清々しい。
負けたのに、清々しいのはおかしいか?
ワシもそう思う。
だが、今ならばその意味が分かる気がする。
常に全力を尽くしても、尽くしても届かぬ頂があればこそ、ワシは以前よりも良い一手を打てる。
多くの事を覚える事が出来た。
その目標が不意に消えてしまったんだ、心も頭も淀んでしまう物だ。
このままあの世に行ったのでは、死んでも死にきれん。
だから、お前さんがワシに勝ったのは嬉しいよ。
他の連中では、手を抜いてもワシが勝ってしまうからな。
ん、どうしたかね?
何?
――ははっ、こう打てとあいつが耳元で囁いた気がしたって?
存外に孫バカな奴だ。
それで、疑いは晴れたのかね?
随分と表情が柔らかくなっている。
――――馬鹿を言うな。誰が目を輝かせてあいつについて語る物か。
ただ、そうだな。
ボーナル教授を非難する気もないが……『一番になれないから、一番の奴を殺してしまえ』などと考えるような奴に、あいつは倒せなかったろう。
あいつの相手をするからには、そんな馬鹿な振る舞いは出来んのさ。
それが、この二番手だった男の意地って奴だ。
しかし、あいつが死んで、永遠の二番手か……。
いやいや、諦めてなる物か。
あの世であいつに勝って一番になってやるわ。
それまでボケんように、新たな一手を編みだし、多くのゲームを覚えてやるわい。
ああ、これも二番手の矜持ってもんだ。
<了>
2番手の矜持 キロール @kiloul
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