二番目の幽霊さん

蒼真まこ

第1話

「ねぇ、夏海。体育館のトイレって、なんかイヤな感じがしない?」


 友達の愛華が、不安そうに呟いた。


「うん、だってあのトイレにはいるからね。自殺して成仏できない幽霊が」

という言葉を、私は呑み込んだ。同じ学校の友達とはいえ、知られたくない。

私は幽霊が見えることを。


「あのトイレ、日陰になってて冷えるからじゃない? 気になるなら

あまり利用しないほうがいいよ」

「うん、そうだね」


 遠回しにトイレに行かないように忠告した。見えていなくても、弱気に

なってると憑かれてしまうことがあるから。


 幼い頃から、この世のものではない者の姿が見える。おばあちゃんが

スゴ腕の霊能者だったから遺伝らしい。でもそんなの関係ない。

だって私は幽霊が大嫌い。だから姿が見えても、ガン無視、徹底スルーを決め込む。下手に存在を認めてしまうと面倒だから。

 それなのに、私はアイツに出会ってしまった。あの気弱で情けない、

二番目の幽霊に。


             ◇


 アイツに出会ったのは、学校の帰り道だった。道路の脇にぼぅっと立ち尽くす

よくいるタイプの地縛霊。

 地縛霊は厄介だ。目をつけられて憑かれて「お持ち帰り」したら最後、あっという間に体調不良になる。その日も徹底的に無視しようと気持ちを引き締めた。

 目線を前だけに集中していたら、前を走っていた自転車の男の子が、転んで道路に飛び出てしまった。あのままじゃ車に跳ねられてしまう。助けようと走り出した時だった。あの地縛霊が、少年をそっと抱き上げ、助けたのだ。その子には体が急に浮いたように感じたらしい。きょろきょろと周囲を見回している。怪我もなかったのか、自転車に乗ってそのまま走り去ってしまった。

 地縛霊が、通りすがりの人間を助けるのを見たのは初めてだった。少年を助けた地縛霊は静かに微笑んでいる。その姿は幽霊なのに、切ないぐらい幸せそうで。こんなヤツもいるのね、そう思った瞬間。私は地縛霊と目が合ってしまった。

しまった……と思い、無視を決め込んだけれど、もう手遅れだった。


「あの~失礼ですが、女子高生さん。僕のこと見えてますよね?

お願いあるんです、助けていただけないでしょうか? あ、無理だったらいいんです。時間があったらでいいんです。でも他に頼れる人もいなくて」

「うん、無理。時間もないし。他をあたってくれる?」


 遠慮がちに頼むくせに、地縛霊はポロポロと泣き始めてしまった。見た目は大人なのに、子供みたいだ。


「あ~もう! 何を手伝ってほしいのよ!!」


 だから幽霊は嫌いなのよ。一度かかわると、見捨てられなくなるから。


               ◇


「僕は佐々木優吾っていいます。24歳。弟を空港へ車で送っていった

帰りに事故で。死んじゃうときってあっという間なんですねぇ。ははは」

「はははって、そこ笑うところじゃないから。それで事故にあった場所から

動けなくなったと。地縛霊になるなら、この世に未練があるはずなんだけど

何か思い当たることはあるの?」


 スマホをいじって時間を潰してるように周囲に見せながら、地縛霊こと優吾さんに事情聴取を始めた。


「とりあえず母に会いたいです。もう大丈夫だよ、苦しんでないよ、って

伝えたいです」

「お母さん思いなんだね」

「そんなことないですよ。女子高生さんこそ塩対応かと思ったら

意外と優しいんですね」


 ほにゃとした顔で微笑む佐々木さんの顔はとても幽霊と思えなくて、

なんだか戸惑ってしまう。


「『意外と』で悪かったわね。私は神宮夏海。夏海でいいよ。

あと敬語もいらないから」

「夏海ちゃん、ですね。爽やかでいい名前だなぁ」

「そんなこといわれたの、初めてだよ」

「夏に生まれたから夏海ちゃんなんでしょ? うん、いい名前です」


 夏の海を見つめるように、眩しそうに私を見ている。その顔に不覚にも

ドキッとしてしまった。うう、調子狂うよ。この幽霊さん。


「佐々木さん、とりあえずお母さんのところに行って、様子みてみようよ」

「優吾でいいよ。でも僕、ここを動けないし」


 ちょっと考えたけど、方法はひとつしかなかった。


「私に取り憑いて。そしたらここを離れられるでしょ?」

「え? でもいいの? 女子高生の夏海さんに」

「それしかないもの、早くして。決意が鈍るから」

「で、では遠慮なく」


 優吾さんが私に覆いかぶさるように、遠慮がちに取り憑いた。肩がずしりと重くなる。その重さに足が少しふらついた。


「大丈夫? すぐ離れようか?」


 耳元で優吾さんの声が響く。そっと囁やかれているみたいで、なんだか

胸がどきどきする。


「いいから。とりあえず自宅を教えて」


 おどおどする優吾さんを説き伏せるように、家を教えてもらった。

その間ずっと私の体の心配をしていた。これじゃ、どっちが幽霊

なのかわかんないよ。


「ここね」


 『佐々木』という表札がある一軒家。とりあえず来てみたものの、

さてどうしようか。悩んでいると、左手が勝手に動き出した。

表札の横にあるインターホンを押してしまう。


「えっ、優吾さんなの? ちょっと待ってよ」

「大丈夫です。僕に任せて」


 ガチャリという音と共に玄関扉が空いて、顔色が悪い中年の女性が

のそりと現れた。


「なんの用?」

「通りすがりの霊能者です。息子さんから、お伝えしたいことがありまして」


 ちょっと! 何が通りすがりの霊能者よ、全然大丈夫じゃないよ。


「……入って」


 怪しさ満点の台詞なのに、あっさり信じてくれたんだろうか。佐々木さんのお母さんはふらふらとした足取りで、私たちを仏間へと案内してくれた。

そこには幽霊の佐々木優吾さんと、その弟の拓也さんと思われる遺影が置かれていた。あれ、弟さんは生きてるんじゃなかったっけ?

 不思議に思ってると、佐々木さんが私を通してお母さんに話し始めた。


「私、息子さんからの伝言を預かってます」

「息子から? じゃあ、拓也なのね。拓也はそこにいるの?」


 優吾さんのお母さんは、弟の拓也さんのことばかり気にしてる。


「事故で亡くなられたのは、優吾さんだけです。拓也さんは生きて

らっしゃいます。今は海外にいます」


 優吾さんのお母さんが、両手で顔を覆い大声で泣いた。


「良かった、拓也は生きてるのね!」


 お母さんから優吾さんの名前が出てこない。どうして、同じ息子なのに。

言ってやろうかと思ったが、優吾さんが遮った。


「これでいいんだ。拓也がいれば、母は生きていける」


 納得できないまま、私たちは佐々木家を後にした。


           ◇


「僕は母にとって、二番目の息子なんです」


 帰り道、私の体から離れた優吾さんが、ぽつりと呟いた。


「だって、長男なんでしょ?」

「一応、そうなんですけどね。でも弟は勉強もスポーツも得意で、

おまけにイケメンで、明るくてみんなの人気者。

 僕は真逆で、何をやってもダメで。だから母は弟を溺愛してました。

母にとって自慢の息子は弟の拓也で、僕は二番目。僕はお兄ちゃんと

して弟を守り、フォローしていくようにいわれてました」

「なにそれ。兄弟に違いがあるのは当然でしょ? なのに何で差別するの?」


 優吾さんは寂しそうに微笑んだ。その笑顔が切ない。


「僕は死んでも、二番目なんだね」


 フフフと自嘲気味に笑うと、静かに天を仰いだ。朗らかな笑顔が

空に吸い込まれて消えていく。残されたのは、この世を怨む幽霊の顔。

いやだ、優吾さんにそんな顔してほしくない。


「優吾さんは優しいよ。この世で一番優しい幽霊だ」


 何をいってるの、私。でも上手い言葉が出てこない。


「わぁ、女子高生さんに『一番』っていってもらった。嬉しいなぁ」


 ほにゃとした笑顔が戻ってきた、よかった。

 けれどその姿はすでに空に溶け始めていて、彼の成仏が近いことを

感じさせた。ああ、このままお別れなんだ。そう思ったら、無性に泣けてきた。


「なんで、泣くの? 夏海さん」


 優吾さんが私の頭を撫でた。


「ずるいよ、優吾さん。そんな優しい笑顔を見せられたら、あなたのこと

忘れられなくなる」

「それはこっちの台詞。女子高生さんにそんなこといわれたら、君にずっと

取り憑いていたくなる」


 「それでもいいよ」っていいたかった。でもいえない。それは優しい彼を

一番苦しめることだから。


「生きてるうちに、夏海ちゃんに会いたかったなぁ。もうお別れだよ」

「お別れだね……。私、優吾さんに会えてよかったよ」

「僕のこと、たまには思い出してくれる? 二番目でいいから」

「一番に思い出して、文句いってあげるよ。何で生きてるうちに

会いにきてくれなかったの?って」

「最後までキツいなぁ、夏海ちゃんは」


 優吾さんの姿はもう、半分以上消えていた。せめて安らかに空に昇らせて

あげたい。


「夏海ちゃん、最後に抱きしめていい?」

「うん、いいよ」


 私は両手を広げて、優吾さんを優しく抱きしめた。母親が幼子を抱くように。


「夏海ちゃん、逆だよ。僕が夏海ちゃんを抱きしめたかったのに」

「ううん、これでいいの」

「……そうだね。夏海ちゃん、ありがとう。最後に会えたのが君でよかった」


 手を離すと、彼は手を振りながら空にゆっくり昇り、やがて消えた。

優吾さんが消えた空は、紅く染まっていた。



 私は今も幽霊が嫌いだ。でもひとりだけ例外がいる。

きっと忘れないよ。誰より優しくて、不器用な二番目の幽霊さんを。



            了






 


 









 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二番目の幽霊さん 蒼真まこ @takamiya777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ