海賊は足から落ちた。

「あー、どうなってんだくそったれ」


 おっと、口が悪くて失礼。

 何せ教育、礼儀作法からは縁遠い人生を送ってきたもんで。

 そういうのを教えてくれそうな頭でっかちは、あっという間に海の藻屑だ。あー、単なる喩え、ってわけじゃあねぇ。俺の可愛い家族ファミリーは、お礼は鉛玉って教育されてるもんでね。

 俺はそこまで酷くない。前に、俺に神様の御言葉を教えてくれた神父様が居たが、俺ぁ感動した。感動して、こんな良いお話を俺一人が独占するもんじゃないって思ったね。

 確信したよ、もっと大勢に聞かせるべきだって。だからまあ、


 ま、とにかくだ。


 俺が解るのは海の事だ――何処の港の女より美人で、とびっきりの性悪女。

 そうとも俺は、海の事なら何でも御座れさ。どんな商船より早く荷物を運んでやるし、何なら、荷物の調達から請け負ってやる。

 気に食わない連中は撃つし、気に入った連中も気分で撃つ。昨日の敵に水を分けてもやるし、その水が毒入りってこともある。


 相棒はラムとジン、運が良けりゃあワイン付きの船を沈められるさ。


 そんなこんなでお尋ね者。そうとも俺は海賊さ。

 首に値札をぶら下げた俺は、軍艦と適当にやり取りした後で、そう、に辿り着いたってわけだ。

 あー、まあ実のところ。

 辿り着いた、ってのはオマケ過ぎるな。


 船はボロボロ、味方は散り散り。

 何人かの部下をどうにか逃がして、ありったけの火薬を残して俺も船を捨てた。


 大爆発は爽快だったが、その後の漂流は堪えた――何か甘い匂いのするピンクの霧に囲まれた時は、意外にも天国に来られたかあの時の神父さんありがとうなぁなぁんて思ったが。

 それでもどうにか漂着した。

 









 島の入り江には、ボロボロになった小舟があった。

 見覚えのある小舟だった――俺が部下を五人、乗せて下ろしてやったもんだ。


「……は、悪運ってやつか?」


 部下が居る。

 そうと解れば、俺は未だ未だ船長だ。みっともない姿を見せるわけには、いかない。


「それに……くく、ここは俺の知らない島だからな」


 旗揚げからずっと、この辺りを縄張りにしてきた。その俺が見たこともない島なんざあるわけ無いし、当然、海図にも載っちゃあいないだろう。

 ということは。

 ――ここは、誰も知らない。


「はっはは、最高の隠れ家ってことだよな!」

「隠れに来たのですか?」

「っ!?」


 突然の声に、俺は喧嘩刀カットラスを抜いた。

 部下の声じゃあねぇし、寧ろ俺の嫌いな感じクイーンズの英語だ。友好的になる方が難しいだろ?


 とはいえ、そいつの格好には流石の俺も度肝を抜かれた。フルフェイスの兜にチェインメイル、サロペットに似た妙な前掛け付きズボンって、何だ、十字軍かよ。

 重要なのは、そいつの右手に鉈が握られてることだ――海軍どものサーベルなんかより、直接的な死の予感ってヤツを感じる。


「……誰だ?」


 懐の銃を意識しつつ、俺は尋ねた。

 十字軍野郎の返答は、まあご尤もだった。


「……え、それってこっちの台詞だと思うのですけれど」

 それでも、十字軍は頭を下げた。「私はアリシアと言いまして、今はの管理人をしておりますが」

「ご丁寧にどーも」

 数歩、互いに間合いより遠くで立ち止まりつつ、俺はにやけた。「アリシア……女か?」

「貴方は男性ですよね、えっと、船乗りの方ですか」


 ふむ、と俺は剣を納めた。

 どうも敵意は無さそうだし、俺の素性も知らないようだ。

 だとしたら、現地の住民といざこざを起こすのは不味い――ここから出るにしろ、利用するにしろ。


「あぁ、そうさ! 俺は」

 甘い香り。霧が風に乗って、俺の鼻に飛び込んだ。「……俺は、海賊さ」

「海賊でしたか。それはそれは、お珍しい」

「そうかい?」

「海賊と言えば大概がお尋ね者。素性を隠しておくものでは?」


 兜のせいだろう、不気味に反響するアリシアの声を、俺は一笑に伏した。


「はっはは、海賊ってのは勝手なもんでな。どうせやらないんだろって言われると、やりたくなるのさ!」

「あぁ、そうですか」

 アリシアの声は、酷く退屈そうだった。「まあそれもありますが、えぇ、海賊の方が穴に落ちたいのですか?」

「穴に?」

 甘い、匂い。「……あぁ、そうさ! だって穴だろ? 落ちる以外に何があるってんだ?」

「あぁ、そうですか。それはそれは、良いことです」

 ちっとも良くなさそうに、アリシアは頷いた。「丁度良く、地元の船乗りの方が先程いらっしゃいまして。良い肉を頂いたところなのです、潮風が利いていて、懐かしい味わいだと思いますよ?」









「穴は、明日くらいまでは開いています」


 兜を脱いだアリシアは、思った以上に若い女だった。

 上品にも俺らの同類にも見える、不思議な女だ――ガキ、と呼んでも良いくらいだ。


 俺が案内されたのは、まぁまぁ確りした造りの丸太小屋だった。

 アリシアは装備を壁に吊るすと、鍋の準備に取り掛かった。赤い新鮮そうな生肉を適当に刻み、妙な香りの草と一緒に煮込んでいく。


「貴方は幸運ですね、目指していたわけでもなく、ここに辿り着くなんて」

「ま、導かれたってのはあるのかもな」

 着替えとして差し出された服の、霧と同じような妙な匂いに首を傾げる。「流れのまま、漂流だ。どっかに着くだけ運が良いってもんだが、はは、まさか穴に着くとは」

「ここでない島なら、良かったでしょうね」

「は? 何でだよ」

「この辺り、お詳しいのでしょう?」

 アリシアは、鍋を椀によそい、俺に差し出す。「故郷の港に戻られた方が、次の航海に繋がったでしょうに」

「次……」

 椀からは、服や霧と同じ甘い香りが漂ってくる。「次なんていらねぇよ、大事なのは穴だ、穴に落ちることさ!」


 そうですか、とアリシアは失望した様子で肉を口に運んだ。

 そうさと俺は、喜びと共に肉を口に運んだ。

 まるで海で生まれ育ったような、塩味の利いた肉だった。









「穴には橋が掛かっています。何処からどのように落ちていただいても構いません」

「応とも、はっはは、自由ってのは素晴らしいねぇ」

「自由は好きですか」

「そりゃあそうさ。世界で一番自由なやつ、それが海賊ってもんだ」

「穴に落ちるのは好きですか」

「そりゃあそうさ。世界で一番深いところに行きたがるやつ、それが海賊ってもんだ」


 軽い足取りで橋の先端にまで行く。

 穴の中心の、真上だ。底の見えない穴からは、甘い甘い匂いが強く立ち込めて、俺は幸せな気分になった。


「……では、御自由にどうぞ。私は、えぇ、単なる管理人ですから」

「そりゃあご苦労様。んじゃあまあ」


 お元気で。


 俺はひょいっと、気軽に穴へと落ちた。

 足の先には何もなく、そのずっとずっと先に、海水の名残が見えていた。


 そこが全く近付いてこない事に気付いて、俺はそっと目を閉じた。









『海賊は足から落ちた。何処かを目指したその足は、結局何処にも着かなかった』

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レライエ @relajie-grimoire

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