Tristar

728B1

Tristar

「ダイチ。ほら、覗いてごらん。あれが地球だよ」


 ダイチと呼ばれたその少年は、うながされるがままに望遠鏡をのぞいた。


「うーん、小さくてあまりよく見えないよ。お父さん。それに、なんだか欠けているみたい」


「でも、昔はコロニーにいるよりもずっとたくさんの人があの小さな星で生まれて、生活して、そして死んでいったんだぞ。先生に教わっただろう」


「そんなことを言われても、僕たちコドモには何のことかわからないよ。それに、そんなこと知って何になるのさ」


 少年は地球には興味を示さなかったようで、望遠鏡を地球や太陽の反対側に広がる暗い世界に向ける。


「あっ、あれってオリオン座だよね」


「ええ、そうよ」


 厚いガラスの向こう側を指差す少年に、少年の母親が優しく答え、その手をそっと彼の頭に乗せる。


「あの星って、僕たちみたいだね。宙はこんなに広いのに、三つ仲良く隣り合って並んでる」


「はは、なかなか詩的なことを言うじゃないか。こりゃあ将来は大物になるかもな」


 暗い部屋の中に小さな笑いの花が咲いた。


 少年が大きなあくびをして目をこする。


「僕、もう眠くなってきたな。『こーるどすりーぷ』しないといけないんでしょ。ちゃんと出来るかな」


 少年は両親と手をつないで、部屋の中央に川の字に三つ並んだカプセルへゆっくりと歩いていく。


「大丈夫よ。しっかり見ていてあげるからね。そのあとで、お母さんたちもカプセルに入るから、目を覚ますまで、三人で一緒よ」


 そういうと、母親は少年を強く抱きしめた。


「じゃあ、おやすみなさい」


 少年が眠りにつくと、カプセルの蓋がゆっくりと閉まった。


「最後まで泣かないようにって、決めていたのに……ごめんね、ダイチ。ごめんね……」


 少年の母親は、かすかに残る息子のぬくもりを確かめるように手を体の前で組み、さめざめと泣いた。


 並んだカプセルの前に広がるパノラマを、別のコロニーが横切っていく。しかし、一つの灯りさえ伴わないその風貌は、深海を行く深海魚のように冷たい。


「……私は、まだ納得していない。私の母は確かに地球で私を身ごもった。だから一応はオトナ世代なんて言われるけど、生まれ出たのはこのコロニーだし、地球での記憶なんて一つだってない。だから、上の人たちが、コロニーを放棄して、今の自分たちを殺してまで新しい星を探そうとする理由がわからない」


「地球の記憶がないのは僕も同じだ。僕は地球で生まれたが、立つことも覚えないうちにコロニーへやって来た。だけど、どうだろうか。まだ何一つできなかった僕らを地球からはるばる土星のコロニーまで届けてくれたのは何だろう」


「……ロケット?」


「そう。ロケットがなければ僕らはとっくに野垂れ死んでいた。人間はとても弱い生き物だ。今だって、あのガラス一枚向こうに放り出されたら、あっという間に死んでしまうだろう。だけど、僕らはこうしてコロニーによって守られている。これは人類の歴史の産物なんだ。そして、地球が住めなくなった今、ここが人類の歴史のフロンティアだ」


「…………」


「だが、残念ながら、資源の限られたこのコロニーは人間が歴史を重ねていくにはあまりにも小さすぎる。だから、新しい星を見つけなければならない。そして、そのために僕たちは研究員に資源と時間を残さなければならない。今の僕たちにできることは、遺伝子情報を残して退場することだ」


「随分と高尚な意見を持っているのね。だけど、そんなのあまりにも理不尽じゃない。過去の人間が好き放題やってきたせいで、私たちは地球を追い出され、今やこの世さえ追われようとしている。子供たちを騙しまでして、その人類の歴史とやらを守っていく意味があるとは思えない」


「君の言うとおりだ。人類の歴史のため、なんて偉そうなことを言ってみたけど、その疑問に対する答えを示すことは僕にはできそうもない。その代わり、一つ言えることがある。生きることは苦しみじゃない。確かに、こんな時代に生まれた運命を恨んだこともある。それでも今、僕は幸せだ。それは、君、そしてダイチと巡り合えたからだ。ダイチも言っていた。僕らも星と同じだ。生きているものは、ひとつひとつが宙の星に負けないぐらいに輝いている。この宇宙から命の灯火を消したくない。……これが、僕が死を選ぶ理由だ」


「相変わらずあなたは口が上手いわね……。あなたたちと言った方がいいかしら。降参よ」


 先ほどまで窓の端に見えていたオリオン座が正面まで来ていた。

 二人は、それぞれのカプセルに入って仰向けになった。


「私たちのクローンや子孫も、いつか彼らの星でオリオン座を眺めるのかしら」


「残念だけど難しいだろうね。星座は立体的なものだ。その星はここから何百光年も離れているだろうから、三つ星も離れ離れになって、彼らにオリオン座は見えないだろう」


「そうなんだ……。なんだか寂しいね」


「そんなことはないさ。彼らの星で、彼らが星空を眺めて、僕らの知らない星座について語り合うとき、そこには僕らの知らないストーリーがあって、そしてきっとその時、その星はかつての地球のように美しく輝いているだろう」


「……うん。やっぱり私、あなたと結婚してよかった。今から死ぬのに、すごく幸せな気持ち」


「ありがとう。さあ、そろそろ時間だ」


「おやすみ……」


 部屋の角に設置されたランプが赤色に点灯し、カプセルの蓋が閉まった。

 いくばくかの時間が過ぎ、シューという音とともに部屋から空気が抜け、カプセルの中に白い煙が充満する。

 床が開き、カプセルが一つずつ吸い込まれていく。

 コロニーから射出された三つのカプセルは、まっすぐ等間隔に並んで、環の上を通り過ぎ、三つの流れ星となって土星の雲に落ちていった。

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