エピローグ

「怪我は治ったのね」

「随分前に退院してるよ。事後処理で色々忙しかったから、ここに来るのが遅くなっちまったんだ。待たせて悪いな」


 面会エリアのテーブルを挟んで、武田はエリザに言った。

 彼女は警察への捜査協力を終えて、再び更生施設に戻っていた。


「まるで私が待ってたように言うのはやめてくれるかしら」

「まあまあ、落ち着いてエリザちゃん。武田さんもあんまりからかわないであげてくださいね」


 山崎が仲裁に入った。

 エリザは、妙に子ども扱いした「エリザちゃん」という言い方に少々いらだったものの、実際子供であることを相手が指摘に使ってきたら論破される恐れがあったので、口答えはしなかった。天才ハッカーは負けが見えてる戦いなどしないのだ。


「それで、どうして面会に来たのかしら?」

「まあシンプルな話、お礼を言いに来たのさ」

「あら、素直ね。いくらでも感謝してくれていいのよ。できれば保護期間の短縮という目に見える形で示してほしいわ」

「その判断をするのは俺たちじゃないから、どうしようもない」

「知ってるわ。言ってみただけ」

「ただ、上層部には『協力者は捜査にとても貢献してくれた』と伝えておいたよ。実際、お前の働きは十分すぎるくらいだった。GitHubが計画していた犯行を止めたられたのも、俺たちが今ここにいられるのも、お前のおかげだ」

「……それは良かったわ」


 エリザは武田と山崎から顔をそらして答えた。あまりにも正直に褒められて、エリザは少し照れくさい気分だった。


「しかも、GitHubのメンバーを一人特定してくれたしな」

「そうですね……まさか喜多村くんがメンバーの一人だったなんて……」


 あの事件の直後、エリザはGitHubのメンバーを一人捕まえることに貢献した。対策課の新入りであった喜多村が、ハッカー集団の一員であることを突き止めたのだ。


「彼が外部に情報を漏らしたから、あなたたちが向かうことは相手にバレてたみたい。どうりで、あの施設で待ち伏せされたわけね」

「あれは一体どうやって見つけたんだ?」

「そうね……。実は、せっかくの警察内部のシステムを扱える機会だったから、気晴らしにネットワークをこっそり覗き見してたんだけど……」

「は?」

「そしたら妙な匿名通信の痕跡を見つけたの。追っていったら、彼がGitHubのメンバーと連絡を取ってたのが分かったわ」

「完全に偶然じゃないか。本当に手癖が悪いな……」

「まあ結果オーライよ」

「武田さん、あの事伝えなくていいんですか?」

「ああ、そうだった。…さて、良い知らせと悪い知らせがあるんだが、どっちから聞きたい?」

「何その海外映画みたいな言い回しは」

「言ってみたかっただけだ。それで?」

「それじゃ、悪い方から」

「ああ。残念ながら、あの施設のドローンを操作していた、GitHubのメンバーの手掛かりはつかめなかった」

「まあ、そんなところよね……。良い方は?」

「ブックメーカーへの投稿の件だが、警察は罪に問わない方針だ。本来なら違法賭博に当たるんだが、やむを得ない対処として認められたよ」

「よかったわ、その分の罪で保護期間の短縮がチャラにならなくて。正直、あなたたち警察って融通が利かないから、大喜びで逮捕してくると思ってたわ」

「手厳しいな」

「冗談よ。それで、今回の協力だとどのくらい保護期間は短縮されるのかしら? まったく、手首が痒くなってくるわ」


 エリザは自分の左手首を眺めた。手首にはブレスレット型の監視端末が付けられている。保護対象者の位置情報はもちろん、心拍数や体温や歩行記録など、あらゆるバイタル情報が施設中央によって監視されていた。


「さて、20年分くらいじゃないかな」

「中々悪くない数字ね」

「ですけど、初回は大目に評価してくれるのが通例です。ここから先は、エリザちゃんの地道な努力が必要になると思いますよ?」

「嫌な響きね、地道な努力だなんて」


 エリザは退屈そうな顔をして頬杖をついた。


「施設の職員から評価を下げられたくなかったら、まずはそういう口ぶりから改めていくことだな」

「……。分かったわ、口うるさいわね。それで、もう用は済んだんでしょ? お二人とも忙しいでしょうから、私なんかに時間を使わずに、そろそろお仕事に戻ってくれてもいいのよ?」

「清々しいくらい生意気なやつだ」


 武田はやれやれと山崎の方を見て、まったくお手上げだと言わんばかりに大げさなジェスチャーを取った。そういう態度が火種になってまた言い争いになるんですよ、と山崎は苦笑いで返した。


「ああ、そうだ。もう一つ良いニュースがあったんだ」

 

 思い出したように武田が言った。


「何かしら」

「寄付金だよ。以前あった、都市部でのGitHubの犯行被害を受けて、どっかの誰かが、数億円相当も市に寄付したらしい。寄付は全額ビットコインで支払われてたよ」

「そう。良かったわね」

「念のため、どこのビットコインアドレスから送られてたか調べたんだ。ビットコインは仕組み上、今までのすべての決済記録が残ってて、だれでも追跡できるからな」

「……」

「そしたら、送り主はあのブックメーカーのサイトを利用してたことが分かったんだ。記録によると、そいつはあのGitHubとの対決で俺たちが勝つ方に多額の金を賭けてて見事当てたらしい。しかも、それで儲けた分をほとんど寄付金として送金してきたんだ」

「市が貰ったお金のことなんて放っておけばいいじゃない。そんなことに時間を使って給料をもらってるなんて、立派な仕事ぶりね」

「まあまあ。市はどうしても寄付者にお礼を言いたいらしくて、俺たちに頼んできたのさ。仕方ないだろ? まあ、あんまり調査に時間を使ってもしょうがないから、適度なところで切り上げたよ。最後に分かったのは、その寄付者は、あの賭け対象に誰よりも早く飛びついて金を賭けたってことだった。ログデータによると、投稿から三十秒も経たずにベットしてた。四六時中サイトを見てる熱心なギャンブラーもいたもんだな。それとも偶然すぐに見つけたのか……、あるいは……」

「話はそれだけ? 私には関係ないわ」

「ああすまない、関係ない話だったな。ついさっき、違法賭博については不問にするとも言ったことだし」

「……」


 エリザは何も言わなかった。寄付者が自分から正体を明かしていないのであれば、わざわざ探る必要などないはずだと思っていた。市がお礼を言いたいというのも、エリザにとって気にくわない話だった。

 その手の感傷的な気持ちのやり取りを、彼女はとても苦手とする。なぜ平気な顔をして「ありがとうございます」だの「どういたしまして」だのと言えるのだろう? まるで、「相手はこういう気持ちだから、こう言われたら嬉しいに違いない」と、分かるはずがない他人の頭の中を分かったように決めつけるのが、どうしても傲慢に感じられるのだ。


「さて、そろそろ俺たちは行くよ。あとそうだ山崎」

「忘れてませんよ。エリザちゃん、これ」


 山崎が真っ白な封筒を手渡してきた。


「うちの小笠原が、手紙を渡してほしいって。内容は私たちも知らないの」

「そう……」


 エリザは封筒を手に取って眺めた。あの変な分析官のことか、と思い出した。


「それじゃさよならだな」

「お元気で」

「ええ、さようなら」


 二人は席を立って帰っていった。

 エリザも自分の部屋に戻った。施設内の殺風景な部屋の中で、ベッドに腰を下ろした。

 

 渡された封筒を開けると、折りたたまれたA4用紙が一枚入っていた。それは、手紙というにはあまりにもお粗末なものだった。一目で、パソコンでさらっと打ち込んだ走り書きを、そのままプリントアウトしただけのものだと分かった。読み終わったらそのままゴミ箱に捨てても問題ないような気さえした。

 内容はシンプルだった。


 ――― 


 協力ありがとう。なかなか面白い体験ができてこちらも楽しかった

 更生施設での暮らしは退屈だろうけど、自分のせいだから文句を言っても仕方がないと思う

 まあ頑張ってほしい

 そうそう、保護期間を短縮するためのカリキュラムの中で、おすすめなのは、小中学校への、情報処理技術の講師としての協力だと思う

 警察への事件捜査の協力よりポイントは低いけど、実は、継続して続けていくと、どんどん評価が上がりやすくなる

 君の性格的にすごく嫌だと思うかもしれないけど、案外やっていくと楽しくなってくるかもね。

 実際ぼくも、最初はすごく苦手だったから。

 さようなら。もしかしたらまたどこかで。


 ―――


 エリザは、しばらく手紙を手に持ったまま、窓の外を眺めた。

 やがて、手紙を丁寧に折りたたんで封筒に戻し、机の引き出しにしまった。


 終わり。

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兵庫県警ブラクラ対策課 一ノ瀬メロウ @melomelo_melonpan

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