09. ハッシュレートはかく語りき(3/3)

 武田の予想を裏切り、攻撃は当たらなかった。抉られた地面を見ながら、武田は自分がぎりぎりのところで助かったことを知った。


『そんな…調子がおかしいな……』


 この状況をGitHubの男も飲み込めてないようだ。

 四脚ドローンはもう一度攻撃を繰り出そうとしたが、動きがあまりにも鈍くなっていた。ハンマーを持ち上げようとしても途中で固まったり、急に機敏に動いたかと思えば、結局アーム部分が初期状態の位置に戻ってしまっていた。


 その様子を見て、武田はふと、かつての上司である宮田主任について思い出した。

 彼が、「インターネットの調子がおかしい!」と自分のパソコンを怒りに任せて叩いていた姿だ。目の前の四脚ドローンの調子は、そんな宮田主任が怒りをぶつけていた、読み込みが遅くてすぐに動作が固まってしまうブラウザにどこか似ていた。


『思ったとおりね』

『上手くいってよかったです』


 分析室からの通信が入った。どうやら、彼らは上手くやったらしいと武田は思った。


「また助けられたようだな……」

『言ったでしょう、このくらい朝飯前だって。まあ実際のところ、こっちもあんまり余裕はなかったけれど』

『ありえない…改竄かいざん不可能なブロックチェーンを利用しているのに、一体何をしたんだ?』

『悪いけど、この戦闘は今、世界中の注目を浴びてるのよ。勝手に中継させてもらってるわ』


 エリザは彼に種を明かしてやった。彼女のPCには、あるWEBページが表示されていた。それは、海外のブックメーカーのサイトだ。

 ブックメーカーとはつまり、オンラインの賭博サイトである。そこでは、ありとあらゆる現実世界の出来事が賭けの対象になる。大統領選の結果や、ワールドカップの優勝国がどこになるか、クリスマスに雪が降るかどうか、人気ドラマシリーズの結末、挙句の果てには戦争の勝敗など、様々なテーマがブッキングの対象として扱われている。掛け金はドルなどの賭博が禁止されていない国の法定通貨をはじめ、ビットコインといった仮想通貨も受け付けられている。


 そのサイトでは、ユーザーが独自に賭けの対象としてテーマを投稿し、他のユーザーがそれにベットすることができた。少し前にエリザが投稿した、「ハッカー集団と日本警察、勝つのはどちらか?」というテーマは、そのサイト内でもひときわ注目を集めていた。

 サイト内の機能によって、そこには、武田たちの機体から取得されている映像データがリアルタイムで映し出されていた。そのあまりにも風変りでユニークな戦いは、小笠原分析官のネット上での宣伝工作活動も助けとなり、投稿まもなくしてネットユーザー達の間で一気に話題となった。俗にいうところの「バズった」という現象である。

 すでに賭けられていた金額は日本円にして五百億円を超えていた。正確に言えば、五百億円相当のビットコインである。この奇妙なテーマを賭けの対象にした投稿者「RedCat」は、賭け金の受付をビットコインのみに制限した。


『送金を急激に増加させて、マイニングサーバーの処理をパンクさせたのか……』

『その通りよ。ハッシュレートが追い付かないようね』


 エリザの説明が終わる前に、GitHubの男は四脚ドローンが動かなくなった理由を理解した。


 ドローンのメインコンピュータはマイニングサーバーを母体としている。ビットコインを維持する仕組みであるブロックチェーンの恩恵を受けることができるが、それは同時にブロックチェーンと一蓮托生になるということだ。

 世界規模でのビットコイン送金が急激に増えれば、マイニングサーバーはそれらの送金の正当性を担保するため、承認処理に追われることになる。四脚ドローンは、そんな世界中のマイニングサーバーのうちの一つだ。ブックメーカーに送られた莫大なデータ量のリクエストを、正当なデジタル通貨の取引として証明するため、必死になって複雑なハッシュ計算をしていた。その計算処理にリソースを割きすぎてしまい、ドローン自体は、もはやまともに動けなくなってしまったのだ。

 ブックメーカーの総賭け金額はさらに膨らみ、すでに九百億円に達しようとしている。


「どうやら、ハッキング攻撃をする余裕もなくなったみたいだな」


 武田はパワードスーツ内部のディスプレイからエラー警告の表示が消えているのを確認した。操縦桿を手に取り動かすと、機体が正常に操作できることが確認できた。


『武田さん、この状態がいつまで続くか分かりません。今のうちに攻撃を加えてください』

「分かってるよ、小笠原分析官」

 

 四脚ドローンが無力化できているのは、あくまでビットコインのブロックチェーンに大きな負荷をかけている間だけだ。この状態がいつまで続くかはわからない。ネットユーザーは熱しやすく冷めやすい。いかに刺激的なコンテンツといえど、そんなものは世の中にありふれている。

ユーザーがブックメーカーに訪れ、賭けに投じる勢いは、やがて波のように静まってゆくだろう。そうでなくとも、大手マイニング企業が予備のサーバーを稼働させて、ネットワークの混雑を早期に解消する可能性もあった。


「こちら山崎、機体の動作が回復しました」

「こちら須藤、私の方もいけます」

「よし、二人とも誘導弾を叩きこめ。さっさと終わらせよう」


 三人が誘導弾を発射して四脚ドローンの外殻を攻撃していった。思いのほか強固な素材で出来ていたようで、須藤と山崎の分を撃ち切ってもまだ完全に破壊するには足りなかった。


「武田さん、こちらは撃ち切りました。とはいえ敵ドローンは大きく損傷しています。残りは武田さんの分で破壊できると思います」

「よくやった。……まったく、さんざん遊んでくれたな」


 武田がトリガーを引いたが、エラー警告が再び出現した。


<<発射装置が故障しています>>


「……! そんな…!」

「武田さん! 最後はカッコよく決めるとこでしょう!」

「さっき攻撃されまくったせいで発射装置が壊れたんだ! どうしようもないだろこんなの!」

『武田さん、急いだ方が良いですよ……。ビットコインの送金が落ち着いてきました。そろそろ相手ドローンが動き出します』

『あらあら、せっかくお膳立てしたのに酷いオチね……はあ……』

「まだ完全には終わってないだろ! 食らえ!」


 エリザがため息をつき、武田は対物散弾銃を四脚ドローンに撃ちかました。しかしわずかに装甲を削っただけで、火力がまるで足りていないのが分かった。その時、四脚ドローンがわずかに揺れた。その長い脚がゆっくりと動き始めたのだ。まもなく敵は完全に復活してしまう。


「やばい、もう時間がない…!」

「武田さん、これを!」

「須藤? ……そうか!」


 須藤のパワードスーツが、両手に持った金属の塊を、四脚ドローンの方に向けて放り投げた。それは、この施設に着いたとき自爆攻撃で出迎えてくれた飛行ドローンだった。爆弾が上手く起爆しなかった残骸がいくつか落ちていたのだ。

 武田は須藤の意図を素早く理解し、飛行ドローンの残骸に銃撃を放った。

 大きな爆発が起こり、四脚ドローン内部のメインコンピュータに損傷を与えた。ドローンは完全に動きを止め、巨大な鉄くずになった。


「勝った……のか?」

『武田さん、敵ドローンは完全に沈黙しました。我々の勝利です』


『すごいよ、おめでとう。敵ながらあっぱれだね』

「お前は、GitHubの……」

『有利な待ち伏せの形だったのに、まさか負けてしまうとはね。これで事前の犯行予告も実行できそうにないし、おまけに僕らは資金源のマイニングサーバーを一つ失ってしまった』

「随分とあっけらかんとしてるな」

『僕らハッカーが一つの勝負にこだわるとでも? 僕らは世界中に分散するアノニマスさ。いつどこからでも、あらゆる場所をターゲットに出来るんだ。勝てる見込みのある戦いを繰り返せばいい。ただ……』

「ただ?」

『君たちを相手にするのは分が悪いようだ。お金にならないけど楽しい戦い、ってのも悪くはないんだけど、あんまり損失が大きいのはごめんだね。しばらくはさよならだ』

「……」


 GitHubの男は敗北を認めて、そのまま消えた。彼らは再び、世界のどこかをターゲットにしてサイバー犯罪を仕掛けるのだろう。サイバー世界に限らず、あらゆる犯罪はイタチごっこだ。去る者と追う者の構図は変わらない。今はこの小さな勝利を喜び、すぐまた次に備えるだけだ。

 

 救護車両が到着して、武田たちは最寄りの病院に運ばれた。

 しばらく入院した後、本部へと戻った。

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