十 なにが起きても不思議じゃない

 あなたが犯人ですね。

 ……ちょっと待ってください、飛石さん、何事もなかったかのように作業に戻らないでください。これから大切な話をするので、ちゃんと聞いてください。

 えへん。では、気を取り直してもう一度。あなたが、えっと……なんとかいう人を殺した犯人ですね!

 もちろん納得はされないでしょう。わたくしがどのようにしてこの驚くべき結論へとたどり着いたのか順にご説明しましょう。論理の糸は細く長く伸びていきますが決して途切れませんのでご安心あれ。

 きっかけは些細なことでした。一昨日、私が犯行現場付近の住民から聞き込みをしていたときのことです。植木鉢は隣の家から運ばれてきたという情報がもたらされました。しかし、犯人はなんのためにそんなことをしたのでしょう。重いものはこれこのとおり、いくらでもここにあるというのに。

 発想を逆転させるべきではないか。私の本質直観が耳元でささやきました。着目すべきは死体ではなく、植木鉢のほうではないか。犯行が起きたのはこの家ではなく、隣の家だったのではないでしょうか。

 そのときです。私の眼に、トラックの荷台に敷かれたブルーシートが飛びこんできたのは。それはまるで洗ったばかりのように青々としていました。私の灰色の脳細胞が、ここになにか秘密があるぞと耳元でささやきました。

 まわりくどい言い方はやめましょう。うん、よく探偵が説明の途中でこういうこと言うの、気持ちわかりました。ただの思いつきがまぐれ当たりしただけなのに、これこそ唯一の真実です他の可能性はありませんて感じに理屈を整えるの、すごく面倒くさいですね。

 ズバリ、この事件はだったのですね。もうすぐ台風がやってくる。飛石さんは畑が心配になり、様子を見るべくトラックを運転してきた。隣の家の近くには急カーブがあります。タイミング悪く家からでてきた、えっと……加藤さんを、あなたは誤って轢いてしまった!

 え? 加藤じゃない? 鹿毛池? どういう字を書くんですか。鹿に毛が生えた池? 毛が生えてるのは池じゃなくて鹿では。いえ、そんなことはどうでもいいんです。

 鹿毛池さんをあなたは誤って轢いてしまった! お年寄りにありがちな、ブレーキとアクセルの踏み間違いですかね。勢いよく吹っ飛んだ鹿毛池さんは、割れてしまうくらい植木鉢に強く頭をぶつけたわけです。

 このとき折り畳み傘も壊れたのでしょう。傘を差そうとしていたところを車に撥ねられて、傘が身体の下敷きにでもなったんですかね。好都合なことに、警察はこれを台風による風で壊れたと勘違いし、棚ぼたでアリバイができた飛石さんは容疑の目から逸れることになりました。

 さて、亡くなってしまった加藤さんを目にして、飛石さんはなんとか罪を逃れようとしました。死体と植木鉢をトラックに乗せ、この家に運んできました。台所から持ってきたシートで死体を包んで血が床に落ちないようにし、台車に乗せて階段まで運びました。

 血で汚れたブルーシートは持ち帰って洗い、台風が去った後に戻したのでしょう。玄関を施錠しなかったのはもちろん「被害者が雨宿りのため勝手に空き家へ忍びこんだ」という嘘を成立させるためです。本来なら翌日にでも、飛石さんご自身が初めて死体を発見したふりをするはずだった。思いがけず瑠兎さんたちが先に死体をみつけてしまったわけですが。

 おや、言わないんですか? ほら、こういうときの、お決まりのセリフです。証拠はあるのかー! あります! お姉ちゃんから無断で借りてきた、このスマホをご覧あれ!

 見てください、この写真を! 見事なまでの青白い輝きを! ルミノール反応実験キット五千七百円と、粕丘中学科学クラブの助けを借りて成し遂げましたですよ!

 あれ? あれれ? そうですね、やっぱり知らなかったのですね。血液の汚れって、ちょっと洗ったくらいじゃ落ちないのです。人の目にはきれいになったように見えても、化学反応を利用すれば血痕が浮かびあがってくるです。

 飛石さん、ブルーシートは燃やしちゃうくらいしないと。いっそ植木鉢も死体も畑に埋めるべきでした。証拠隠滅は完全犯罪への第一歩です。ちゃんと勉強して、次からは気をつけてくださいね。

 やれやれ、これだからコナンくんすら読んでない世代はまったく。というわけで、年貢の納め時です。古今の名探偵の作法に従い、警察への通報はしていないです。飛石さん、潔く自首を……あれ、なんで鍬を持ってるですか?


 占木円うらき まどかは気持ちが沈んでいた。元バイト先の後輩と三ヶ月ほど交際し、焼きそばにかつお節をかけるか否かで口論した末に別れ、二十五歳のバースデーを独りで迎えたからではない。

 不動産会社に勤める円は、とある独居老人の家で話をしてきたばかりだ。東京にでていった息子が急死し、娘夫婦と一緒に暮らすことにしたという。いま住んでいる家屋と土地を売り払うことはできるか相談を受けた。

 工場建設のため企業が土地を求めているとか、市や町が他の土地からの移住を推奨する制度を設けているとか、そういう話があればそれなりの価格をつけることができる。けれど、磯水町にそんなうまい話はない。このあたりは限界集落というほどではないが、それでも野浦群だけあって高齢者の比率が高い。相談してきた老人の家は古く、いっそ更地にしたほうが売れやすい。けれど更地にすると固定資産税が跳ねあがるし、もちろん家屋の取り壊しにだって金がかかる。

 そういう気の滅入ることを寡黙な老人に延々と説明して、ご検討よろしくお願いします、今後も良いお付き合いをと頭を下げて辞去した。

 未来のない話をするのは息が詰まる。子供の頃、円は遠い土地に憧れを抱いていた。けれど大学に進学する余裕はなく、今の会社に潜りこむのがせいぜいだった。この土地の暗い話をたくさん耳にしてきた。

 円が高校生のとき親が再婚した。年の離れた義弟は、円がさんざん反対したのに警察官への道を歩み始めている。義弟だけでも東京や他の大都市で就職させたほうが家のためにも本人のためにも良かったのではないか。そう思うことがある。

「暑い……」

 五時を過ぎても陽光がまばゆい。気温はそれほどでもないが湿度が高い。台風が去ってからは涼しかったのに、また暑さが戻ってきた。これが今年最後の夏の暑さかと思えば名残惜しい気もするけれど。

 道路にでる。車のほうへ行きかけて、嫌なものが目に入った。回転する赤い光。隣家の前にパトカーが並んでいる。あれ、まずいところに駐めたっけ。

 どうやら駐車違反の取り締まりではないらしい。パトカーは三台もある。そのうちの一台に老人が乗りこもうとしていた。左右から警察官が、まるで老人を支えるかのように寄り添っている。あれ? 老人が両手首を前に並べている。ひょっとして手錠をされているのだろうか。

「奇遇ですね」

「うひゃ!」

 地面から三センチくらい円は飛びあがった。長い睫毛に、さらさらの黒髪ロング。麗人という言葉がぴったりの人物が、すぐ隣に立っていた。

「ひょっとして、森澄さん?」

「ご無沙汰していました」

 どうもどうも。円はぺこぺこと頭を下げた。白い詰め襟の学生服を、円はマンガの登場人物以外で初めて目にした。どこかの高校に潜入捜査でもしていたのだろうか。いや、こんな制服の学校、県内にはないだろう。

 ずいぶん前になるが、トナミフーズという食品会社の副社長夫人が銃撃される事件が起きた。その事件に円は義弟と一緒に巻きこまれ、この性別のよくわからない探偵と関わった。

「なにかあったんですか?」

「まあ、簡単に説明するとですね」

 三日前、この家から死体がみつかった。発見者の女子高生を疑っていたが、もう一人の女子高生から連絡があり、どうやら犯人ではなさそうだとわかった。推理を立て直すべく森澄は犯行現場を再び確認しに来た。

「そうしたら、格闘の真っ最中でした」

「はあ。誰と誰が?」

「犯人と、中学生探偵が」

「中学生探偵」

「推理を突きつけて自首を勧めたら、逆上した犯人が鍬をふりまわして追いかけてきたようですね。あそこの栗の木によじ登って助けを求めていました」

「森澄さんが助けたんですか」

「危ないので、警察の人が来るのを待ちました」

「まあ、そうですよね」

 老人が連行されたのとは別のパトカーがこちらへ向かってきた。後部座席に小学生くらいの女の子がいた。あれが中学生探偵なのか。追いかけまわされたせいでそうなったのか、おかっぱの髪がになっている。

 急に笑いがこみあげてきて円は口元を手の平で覆った。隣にいる人物を見上げる。

「どうかしましたか?」

 森澄の声に、円は黙って首を横にふった。こんなつまらない平凡な土地でも、この人のまわりだけは不思議なことが起きているらしい。

「あの、」

「なんでしょう」

「不躾だとは思うんですけど」

 さすがにためらう。まあ、ここで会ったのもなにかの縁だ。

「森澄さん、何歳でしたっけ」

 トナミフーズの事件のとき、義弟は中学生だった。この探偵はたしか高校生だったはずだ。あのときから大人びた雰囲気だったけど、まったく変わっていないように見える。まるで不老不死かなにかのように。

「年齢ですか。そうですね、今のボクは――」

 森澄は斜め上に目をやり、それからうつむいた。困ったように、あるいは焦らすように。やがて顔を上げ、まっすぐ円をみつめ返すと笑顔で答えた。

「十八歳です」

 天使のように無垢で、悪魔のように美しい。そんな笑顔をしていた。

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名探偵は、性別不明。 小田牧央 @longfish801

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