25話.蛇と鷲

 氷川修司は自分の立場をよく分かっている。

 彼は26歳という若い年齢で日本術者統合会議の3議長の一人となり、もう術者界の頂点に立った人物だ。権力も財力も実力も持ち合わせて、しかも絵に描いたような美男子だから、他人から見れば『怖いものなんてないエリートの人生』に思われるかもしれない。

 しかし現実は全然違う。つまり、氷川修司はとても危うい立場だ。人生を楽しむどころか、一瞬たりとも気を抜けない。気を抜いたら3議長の残り二人に食われてしまう。

 修司は3議長の中で一番若く、一番弱い。三つ巴の戦いが続いている今、少しでも隙を見せたら消される。それは修司自身が一番よく分かっている。

 『怖いものなんてないエリートの人生』……それはただ見た目だけで判断したものだ。実際の氷川修司は誰よりも慎重に、注意深く、生き延びるために動いている。


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 アカデミー14階の『第3会議室』は、大きな円形テーブルに椅子が三つあるだけの部屋だ。普段は使われていないが、それはこの部屋が特別な時のための場所だからだ。

 その特別な時というのは日本術者界の頂点である3人……つまり『3議長』が集まる時だ。3議長はこの素朴な部屋で、数多くの術者たちの運命を決めている。

 そして暑さが日本を支配している7月のある土曜日……氷川修司がこの第3会議室の扉を開いた。


「お久しぶりですね、天原さん」


 修司は先に来ている女性に愛想笑いをしながら挨拶する。


「久しぶり、氷川君」


 女性が無表情で挨拶を返す。修司は足を運んで、彼女の向こうの席に座る。


「天原さんの美貌は相変わらずですね。20代前半に見えるくらいです」

「ありがとう」


 女性は褒められても無表情のままだ。修司は内心苦笑する。

 この女性こそが、3議長の紅一点の『天原幸音(あまはらゆきね)』だ。36歳の彼女は修司の言葉通り目を見張るほどの美人で、色白の肌と大きな瞳がまるでお人形みたいだ。


「藤間さんはちょっと遅れるみたいですね」

「予定時刻までまだ3分残っています。待ってみましょう」


 幸音は修司に見向きもしないまま答える。大体の女性は美男子の修司にある程度の好感を持つけど、この幸音は例外だ。彼女は修司の魅力にまったく興味がない。

 いや、ただ興味がないというレベルではない。幸音は修司のことを嫌っている。そしてそのお人形みたいな美貌の中にどんでもない残酷性を隠している。修司が少しでも隙を見せたら、間違いなく彼女に抹殺されるだろう。

 蛇……そう、天原幸音と一緒にいると美しい白蛇の姿が頭に浮かぶ。人間も魔物も、彼女の前ではみんな同じ餌にすぎないのだ。


「待たせたな」


 いいタイミングに姿を現したのは、もちろんこのアカデミーの創立者である藤間英治だった。

 藤間英治も相変わらずの美中年だ。彼の端正な服装と節度ある振る舞いは、自然と『近づけない威厳』を演出している。しかも彼の威厳は見た目だけではない。権力も財力も実力も、3議長の中で最強の男だ。つまり誰もが認める日本術者界のトップなのだ。

 しかし藤間英治は、天原幸音とは別の意味で危険だ。彼は暴力を好む人間ではないけど、必要な時は迷いなく暴力を使う。『闘争の時代』、和平交渉を拒んだ術者一族を一人も残らず抹殺したこともある。そんな彼の行動のおかげで闘争の時代が終結したのは事実だけど、平和な時代になった今は彼のやり方に疑問を持つ人も多い。まあ、もちろんそんな疑問を公的な場所で口にする命知らずはいないけど。

 鷲……天原幸音が白蛇なら、藤間英治は鷲だ。誰もが彼の鋭い目つきを怖がって、従っている。


「暑い中、ここまで足を運んでくれたことに感謝する」


 英治が残りの席に座る。それで3議長が全員集まった。ほぼ1年ぶりだ。

 藤間英治、天原幸音、そして氷川修司……いつ見ても個性豊かな3人だな……と、修司は面白く思った。


「週末に私たちを集めるなんて、よほど急ぎの用件があるようですね、藤間さん」


 修司の言葉に、英治が手に持っていた書類を前方に差し出す。すると彼の手から弱い電撃が流れてきて、書類を修司と幸音の前へ運ぶ。


「これは……」

「最近の魔物たちの動向について、アカデミーの研究員たちが調査した結果をまとめた報告書だ」


 修司と幸音はその報告書を注意深く読んだ。


「予約すれば、魔物たちのコミュニティーが人間に対する敵対心で団結し始めている……ということですね」

「ああ、そうだ」

「なるほど」


 修司が頷く。確かに最近の魔物たちはどこかおかしかった。それが『新しい体制』を作り上げる時の混乱だったのか……。


「このままだと、魔物たちはいずれ我々に対抗できるほどの力を得るかもしれない」


 魔物たちが今までこれといった対抗もできずに狩られてきたのは、統一された指揮系統が存在しなかったからだ。力が分散されているせいで団結した人間の相手にならなかった。

 しかしその構図が今、変わろうとしている。


「そこで、遅くなる前に魔物たちのコミュニティーとの交渉することを提案する」

「交渉……ですか?」


 修司と幸音が同時に眉をひそめる。


「もちろん全ての魔物たちを説得できるとは思っていない。しかし魔物たちのコミュニティーの中ではまだ人間への敵意が高くない部類もある。そいつらと交渉して魔物たちの戦力を削っておくべきだ」

「それはとても藤間さんらしくない意見ですね」


 冷たい声でそう答えたのは、天原幸音だった。


「藤間さんは武力で『闘争の時代』を終わらせた張本人なんでしょう? それなのに何故今更交渉なんか主張するんですか?」


 幸音は相変わらず無表情だが、彼女の目は不満と不信に満ちている。


「武力はあくまでも最終手段だ」

「いいえ、最も効率的な手段です」


 英治と幸音の視線がぶつかった。両方とも引き下がる気はないらしい。


「まさか『魔物隔離原則』をお忘れになったわけではありませんよね? 魔物の全面抹殺が日本術者統合会議の基本方針です」

「もちろんその『魔物隔離原則』をも変えるつもりだ。大事なのはそんな方針なんかではない」


 英治の答えに幸音が首を横に振る。


「本当に魔物たちが力を集めているのなら、交渉なんて無意味なことをする余裕はありません。むしろこちらから一刻も早く先制攻撃を仕掛けるべきです。それが最も効率的で、最も迅速に問題を解決する方法です」

「戦争を軽々しく主張しないでくれたまえ」

「私は決して軽々しく主張しているわけではありあせんが」


 英治と幸音が互いを睨み始める。それで第3会議室の空気が一変する。これではまるで戦場だ。

 もちろん英治も幸音もここで殴り合うほど愚かではない。しかしそんなことが起きたら更に面白くなるだろうな、と修司は思った。


「お二方とも落ち着いてください」


 修司が愛想笑いしながら仲裁に入ると、幸音が不満そうな視線を送る。


「氷川君はどっちを支持するの? 先制攻撃? それとも交渉?」

「そうですね……」


 修司の顔が愛想笑いから冷笑に変わっていく。


「私の考えでは、お二方の考えは両方とも現実性がありません」


 その答えに英治と幸音が同時に修司を睨みつけるが、修司は動じない。


「まず交渉なんですが、藤間さんは一体それをどうやって実現させるつもりですか? 『魔物隔離原則』が作られてから人間と魔物はもう100年以上対話をしていないんですよ。今更我々が交渉を進めたところで、魔物たちが『はい、分かりました』と受け入れるはずがないじゃありませんか」


 英治は何も答えなかった。


「続いて先制攻撃なんですが、天原さんは我々の現状で本当にそれが有効だと思っていらっしゃるんですか? 日本術者界は大きな戦いを乗り越えるほど堅実な状態ではありませんよ。術者の絶対数の減少が何年も続いているし、特に戦闘術者の減少は著しい。つまり魔物界へ先制攻撃を仕掛ける余裕などないんです。そんなことをしたら、もし戦いに勝ったとしても自滅するだけですよ」

「じゃ、氷川君は一体どうしたいの?」


 幸音が殺意のこもった目で質問する。


「防備を固めて、魔物たちの動向を警戒しましょう。そして全国の結界を再整備し……」

「そんなことは現在もやっている。しかもそれでは何の解決にもならないじゃないか」


 今度は英治が声を上げる。しかし修司は相変わらず動じない。


「はい、私の考えはまさにそれです。現実性のない計画で全てを失うより、今までやってきた通りやればいいと思います。もちろん問題の根本的な解決はできないだろうけど、私たちの世代までは何とか耐えられるでしょう。そして未来のことは未来の世代に任せればいいんです」

「正気で言っているの?」

「冗談はやめたまえ」


 英治と幸音が同時に怒り出す。


「もちろん最後は冗談でしたが、とにかく私は無謀な計画に付き合うつもりはありません」

修司が自分の意見を言い終わると、3議長は沈黙に陥る。3者対立の中、互いを言葉で説得することも、力でねじ伏せることもできないからだ。

「……氷川」


 やがて英治が口を切る。


「君は私の考えに現実性がないと言ったな」

「はい」

「まあ、確かに一理ある言葉だ。そう簡単に魔物たちと交渉できるはずがない。しかし……あの女を探し出せば、交渉が可能となる」


 修司と幸音がまた同時に眉をひそめる。


「あの女って……まさかあの巫女のことですか?」

「そうだ」


 英治はいとも真面目な顔で答えたが、修司は冷笑を浮かべる。


「あの巫女がどこに身を隠しているのか、藤間さんもご存知でしょう。あそこから誰かを探し出すのは私たち3人でも不可能、つまり日本の中でそれができる術者なんていませんよ」

 3議長はただ権力と財力があるだけではない。この3人は日本術者界の頂点である『規格外術者』だ。つまりこの3人にできないことは、他の誰にもできない。


「いや、そうでもない」


 英治が首を横に振る。


「たった一人、それができる人物がいる」

「誰ですか、それは」


 修司の質問に英治は少し間を置いて答える。


「真田京志郎」

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オオカミナリ 書く猫 @kakuneko22

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