24話.反魂魔

 土曜日の朝、優と詩織は木本茜の車に乗って東京を離れた。

 茜の赤い車はそんなに大きくないけど、3人が乗るには別に不便はなかった。ただ目的地の長野県までは3時間くらい走らなければならないから、優としてはちょっと退屈だ。


「……ところでさ」


 車が高速道路を走っている途中、退屈に勝てず優が話し出す。


「詩織と俺、二人なんだけど……報酬はどうなるんだ?」

「上と相談して、報酬の金額をちょっと増やすようにしておきました。たぶん40万は出るんじゃないかな、と思います」

「じゃ、一人に20万か。ありがとう」


 30万が20万に減ったのは残念だけど、それでも相当な金額だ。不満はない。


「その……『反魂魔』だったけ? そいつについて詳しく教えてほしいんだけど」


 この3人の中で捕獲対象の『反魂魔』について知らないのは優だけだ。ちょっと恥ずかしいけど、ここは聞いてみる必要がある。


「そうですね……」


 茜が運転しながら頷く。


「お二方は『術者の3大禁忌』という言葉をお聞きになったことがありますか?」

「いや、ないな」


 優が首を横に振ると、ずっと黙っていた詩織が口を開く。


「『精神支配』、『自然操作』、そして『死者蘇生』のことですね」

「はい、その通りです」


 茜が笑顔を見せる。


「この『術者の3大禁忌』という言葉は別に学術用語ではありませんが、日本はもちろん全世界の術者たちが共通的に禁忌として認識しているものです。国によっては、この三つに該当する術を研究するだけで処罰を受けることもあります」

「なるほど」


 優が頷く。『精神支配』、『自然操作』、『死者蘇生』……確かにどれも危険そうなものばかりだ。


「しかしこの三つの禁忌はあくまでも人間の禁忌……当然ながら魔物たちには適用されません。そして『反魂魔』は『死者蘇生』の禁忌を破った存在です」

「つまり……死んだ者を生き返らせる魔物ってことか」

「はい」


 優は内心驚く。いくら魔物とはいえ、そんなことができるのだろうか。


「『反魂魔』については、江戸時代からの伝承があります」

「伝承?」

「はい」


 茜がその伝承を語り始める。


「江戸時代、堺にある商人が住んでいました。彼はあまり裕福ではありませんでしたが、妻を深く愛していたので、二人で幸せな生活を送っていました。だがある日、大きな火事が起こって……商人の愛するの妻が亡くなってしまいました」

「悲しい話だな。それで?」

「商人は深い悲しみに包まれて、生きる気力すら失いました。しかし一週間後、死んだはずの妻がいきなり彼の前に現れたんです」

「実は死んでいなかった……とかではないだろうな」

「はい。火の中で息絶えていく妻の姿を、商人は確かに目撃しました。それなのに妻が生前の姿のまま生き返ってきたので、商人は大変驚きましたが……妻を愛する心で、それを奇跡だと思うことにしました」

「奇跡か……」

「もちろんそれは奇跡ではありませんでした。生き返った妻はどんどん変貌して、時々記憶を失ったり、理由もなく夜に出かけたりしました。そしてある日……妻は突然狂い出して、夫の商人と近所の人々を殺害してしまいました」

「悲惨な伝承だ。つまり、それが『反魂魔』の仕業ってことか」

「はい。反魂魔は偽の肉体を作って、そこにまだ成仏していない魂を定着させます。それで一見死者が蘇生したかのように見えますが、実は反魂魔自身も偽の肉体の中に入り込んでいて、死者の家族と近所の人々の肉体と魂を侵食します」

「相当危険なやつだな」

「反魂魔はとても希少な魔物でもあるから、詳細なデータがありません。それで反魂魔による被害に対処することも大変困難でしたが、2日前、長野県の術者たちが反魂魔を捕まえることに成功しました」


 その説明に優が首を傾げる。


「え? もう捕まえたの? じゃ、俺たちは……」

「報告によると、捕まった反魂魔は偽の肉体に入っている状態です。つまり肉体から反魂魔を取り出さなければなりません。しかも死者の魂に傷を付けずに、ね」

「なるほど。それは……難しそうだ」


 優も一応は退魔術を使えるけど、プロの戦闘術者としては水準以下だ。強力な霊体が相手だと到底対抗できない。

 今回の仕事は詩織と茜を信じるしかない。でも俺にできるだけのことは精一杯やってみよう……と優は思った。


---


 長野県長野市に着いた優たちは、まずホテルにチェックインして荷物を部屋に運んでもらった後、食事を取った。

 市街地の中央に位置したホテルは、一晩泊まるには申し分ないところだった。部屋は広いし、レストランもいい雰囲気だから優にはちょっと高級すぎるように見えるくらいだ。もちろんそれは優が庶民だからなんだけど。


「反魂魔を取り出すためには、午前0時に『禁制術』を使う必要があります。私は下準備をしますので、お二方は夜10時まではゆっくり休憩を取ってください」


 茜の説明に「分かった」と返事はしたものの、夜10時まではまだ8時間くらい残っている。体の疲労なんか簡単に回復してしまう優にとって8時間の休憩は長すぎる。


「詩織、お前はどうするつもりだ?」

「別にすることもないから、部屋で本でも読もうかなと思います」


 じゃ、俺と一緒に街の中を見て回ろう……と言いたかったけど、優自身と違って詩織は休んでおく必要がある。あまり無理をさせるわけにはいかない。

 結局優は一人でホテルを出て、一人で長野市を見て回った。蒸し暑い夏の空気に耐えながら神社やお寺、城などを訪ねていると、最初はちょっと寂しい気持ちもあったけど、どんどん観光を楽しめるようになった。後で瑞穂を健に見せるための写真もいっぱい取った。

 午後6時にホテルに戻って、シャワーを浴びてから食事を取った。そしてちょっと休んでいたらもう時間は10時になっていた。


「よし、行ってみるか」


 ホテルのロビーに行くと詩織と茜が待っていた。優は彼女たちと一緒に茜の車に乗って、長野市の中心地から離れた。そして30分くらい後、車は人の気配を感じられない空き地に止まった。

 3人は車から降りて、その空き地を少し歩いた。すると捨てられたような巨大な倉庫が見えてきた。


「ここです」


 茜が倉庫の鍵を開けて内部からスイッチを押す。それで真っ暗だった倉庫の内部が明るくなる。


「これは……」


 優が入ってみると、倉庫の床には複雑の封印式が描かれていて、その封印式の真ん中には人が寝ていた。


「この人が……」


 優は寝ている人に近づいた。どこにでもありそうな、サラリーマン風の中年の男性だ。


「この人が生き返ってきた死者なのか」

「はい。この男性は先月交通事故で亡くなった方ですが、反魂魔の力によって偽の肉体にその魂が定着しました。でも不幸中の幸いに、遺族たちと接触する前に長野県の術者たちが捕まえました」

「そうか……」


 確かにそれは不幸中の幸いだ。遺族たちが死んだはずの彼を見たら、大変なことになるだろうから。


「それでは、今夜の作戦について説明いたします」


 優と詩織が茜に注目する。


「お二方もご存知のように、死者の魂に傷を付けずに反魂魔を取り出さなければなりません。そのために私は『禁制術(きんぜいじゅつ)』を使います」


 『禁制術』……優は知らない術だ。たぶん相当高位の術なんだろう。


「禁制術は午前0時にしか使えませんが、あらゆる力を無効化する強力な術です。この術によって反魂魔が作り出した偽の肉体は崩壊し、やがて死者の魂も開放されるでしょう。しかしそこには問題があります」

「問題?」

「はい。私が禁制術を使えば、この倉庫に設置されている封印が真っ先に力を失います。その後、反魂魔が完全に力を失うまでは時間がかかります」

「つまり……封印から解放された反魂魔が、その力を完全に失うまで誰かが相手しなければならないってことだな」

「その通りです」


 茜が頷く。


「反魂魔は禁制術を阻止するために私を狙ってくるでしょう。だから藤間さんは私を守ってください。そして真田さんは反魂魔が逃げ出せないように、偽の肉体を傷つけずに制圧してください」

「分かった」

「分かりました」


 優と詩織は各々の役割を理解した。


「しばらくして偽の肉体が崩壊し、死者の魂が解放されると……反魂魔の本体が現れるでしょう。その時はお二方の退魔術で消滅寸前まで攻撃してください。すると私がそこの木箱に反魂魔を封印します」


 茜は倉庫の隅に用意しておいた木箱を指さした。


「作戦はもちろん午前0時に開始します。それまで待機してください」


 午前0時まではまだ1時間くらい残っている。3人は各々の位置で戦いに備えた。


---


 優は携帯で時間を確認した。11時46分、11時54分、11時58……午前0時。


「始めます」


 一番後ろの茜が中年の男性に向かって正座した。すると彼女の体から金色の光が放たれる。それが『禁制術』だ。

 詩織は茜の前に仁王立ちして防御態勢に入る。そして一番前の優は人狼に変身し、床に寝ている中年男性の傍に立つ。

 茜の体から放たれる金色の光がどんどん強くなり、やがて倉庫全体を照らす。


「うっ……」


 優は変身が解ける感覚を覚える。禁制術の直接な対象ではないのに、近くにいるだけで優の変身も少し無効化されているのだ。


「う……」


 中年男性が唸り声を上げた。封印が解除されて目を覚ましたんだろう。


「ここは……」


 中年男性は上半身を起こして周りを見回す。しかし自分の傍に巨大な人狼がいるのを確認しても全然動じない。


「幸子……陽一……」


 やがて中年男性は席から立ち、どこかへ向かおうとした。しかしそんな彼の肩を人狼がしっかりと掴む。


「おい、おっさん。動くなよ」


 優は緊張した。相手を傷つけずに制圧する必要があるけど、人狼の怪力なら少し力を入れるだけで人間の体を壊すことができる。十分に注意しなきゃ……。

 しかし次の瞬間、優は自分の誤算に気付く。中年男性がとんでもない力で巨大な人狼を押しのけて、倉庫の入口へ一歩進んだのだ。


「くっそ、止まれ!」


 優が全身で中年男性を阻止すると、今度は中年男性の体から黒いオーラが噴き出てくる。その黒いオーラは明確な悪意を持って蛇のように動き、正座している茜に近づく。


「はっ!」


 しかし詩織が迅速に反応し、防御術で茜を守りながら退魔術の白い光で黒いオーラを追い払う。


「うっ……」


 詩織の顔が少し歪む。禁制術の影響下で二つの術を同時に使うのは予想以上に辛い。


「……何なんだ、お前たちは……」


 中年男性が口を開く。


「私は……幸子と陽一のところへ戻らなければならないんだ……!」


 周りの状況なんてどうでもいい。ここを出て家族たちのところへ戻る。その一念で中年男性は体を動かして、倉庫の入口へまた一歩進む。


「止まれってんだ!」


 もう手加減している余裕はない。優は全力で中年男性を止める。


「頼む、邪魔しないでくれ!」


 中年男性はもう一度黒いオーラを使って優たちを攻撃しようとするが、今度も詩織に阻止される。


「もう一度……妻と息子に会いたいんだ……だから……邪魔しないでくれ!」


 中年男性が涙を流す。そして優は相手の力が弱っていくのを感じる。


「このおっさん……」


 優が見下ろすと、中年男性の体と服が少しずつ灰となって消滅していた。もう崩壊寸前だ。


「幸子……陽一……」


 その言葉を最後に中年男性の動きが止まる。そして次の瞬間には、彼が流した涙すら空に消えてしまう。


「詩織!」

「分かっています!」


 偽の肉体が崩壊した途端、黒いオーラの球体が現れた。詩織はチャンスを逃さず退魔術でその球体、つまり反魂魔の本体を捕らえる。


「そのまま攻撃を続けてください!」


 茜が禁制術を中断し、懐からお札を持ち出して反魂魔に向ける。


「もうちょっと弱体化させなければなりません!」


 茜の指示に、優は人間の姿の戻って退魔術を使った。微力だけど出来るだけのことをやるしかない。


「その調子です!」


 かなりのダメージを受けた反魂魔が茜のお札に吸い込まれていく。封印術が発動したのだ。


「えいっ!」


 やがて反魂魔が完全に吸い込まれると、茜はお札を木箱に入れて、その上にもう一枚のお札を張った。それで反魂魔の気配は完全に消えて、静かな夜に戻る。


「やりました……捕獲成功です」


 茜が笑顔で勝利を宣言した。優と詩織は安堵のため息を漏らして、互いを見つめる。


「……ん?」


 まだ何かの気配が残っている。それに気付いた優が振り向くと、そこには反魂魔から解放された中年男性の魂がいた。


「おっさん……」


 中年男性の魂は何かを言いたそうな様子だったが……結局何の言葉も残さず、この世から消えてしまった。


---


 戦いが終わってホテルに戻ったけど、優はなかなか眠れなかった。

 ちょっと夜のお散歩でもしようか……と思って、彼はホテルの近くの公園に向かった。

 あまり広くない公園には人の気配など感じられなかった。優は適当なベンチに座って、しばらく誰もいない公園を眺めた。


「こんなところで何しているんですか?」


 いきなり声が聞こえてきた。もう耳に馴染んだその声は、もちろん詩織のものだ。


「ちょっと考え事を……いや、お前こそ何しているんだよ」

「ちょっと眠れなくて、お散歩でもしようかなと思いました」

「俺と同じか。でもいいのか? 疲れたんだろう?」

「結構です」


 詩織は優の隣に座る。


「詩織、あのおっさんことなんだけど……」

「はい」

「交通事故で死んで、家族たちと別れて……その悲しみを反魂魔に利用されたんだから、ちょっと不幸すぎる人だったよな」

「確かに」

「でも……最後は成仏したんだから、あの世で安息を得るだろうし……いつかは家族たちとも再会できるだろう」

「それこそ不幸中の幸い……ということでしょう」


 そこで会話が途切れて、二人はしばらく公園の照明を見つめる。


「そろそろ戻ろう」


 優が席を立つ。


「長居すると蚊に刺されるだけだ」

「そうですね」


 それから二人は何も言わずに、ただ足を運んだ。

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